二十話 18歳 14
帰国当日、お世話になったルクサンディの人たちに別れを告げて――フランには「絶対にまた来てちょうだいね。グラント様を連れて」と念を押された――首都ルクラを後にした。
行きより道連れを一人増やして。
帰宅した私を両親は真っ青な顔で出迎えた。私が危険に晒されたこと、そして無事助かったことを前もって報せておいてくれたらしい。
怒りたいのに安堵で怒れない。よく頑張ったと労いたいけど素直に労えない。父の口を真一文字に結んだ顔と、母のくしゃりと歪んだ顔からそんな心境が透けて見える。
私は荷物を下ろし、恐る恐る言った。
「ただいま……」
「……馬鹿! 心配させて!」
父はさらに口をぎゅっと絞り、母は泣いた。そして私の手首の包帯を見て怒った。
「無事って聞いてたのに怪我してるじゃないか!」
「ちょっと痣になっただけだから大丈夫よ」
「強がるんじゃないの! 怪我は治っても、心は痛いままなんだから!」
母の怒りは収まる気配がない。これでも見た目は大分良くなったのだとは言わないほうが良さそうだ。
父が母の肩に手を置いて宥める。
「ここで話すことじゃないだろう。まずはお茶でも淹れて落ち着こう。それと、私たちはまだ一番大事なことを言っていないよ」
母はそうだったわと頷いた。
「おかえりなさい、エルーシャ」
「おかえり、エリー。よく頑張ったね」
「……ただいま!」
私は勢いをつけて2人に抱きついた。
レオのこと以外の話せることは全部話した。私は成長して帰ってきたのよと伝えたい。
母は大げさに驚いたり感心したりしていたが、父は静かに聞いていた。
「私が怪我で休んでいる間に、一度だけバルフォア様がお見舞いにいらしてくださったのよ」
「何と……閣下が?」
武勇伝のようにその話をすると父は目を丸くした。父は私よりもバルフォアのことをよく知っているにちがいない。だから余計、宰相を鏡に映したようなあの御仁が見舞いなどという生産性のかけらもない行為をしたとは俄かには信じられないのだ。
いや、見舞いがメリットになるならするだろうが、相手は下っ端小娘の私である。メリットなど見当たらない。
「そうか……閣下に目をかけてもらえるとは、エリーは頑張ってきたんだね」
「そうなの、頑張ったのよ」
私は大いに頷いた。あちらへ走りこちらへ走りとてんてこまいになりながら、必死に頑張ったの。たくさん褒めて。
後半はちょっと、方々に迷惑をかけすぎたけど……父が知ったら卒倒しそうだ。
「エリーがルクサンディでやりたかったことはできたかい?」
父が尋ねる。私はレオのことを思い浮かべ、いっそう大きく頷いた。
「やりたかったこと、できたわ。父様、ありがとう。心配かけてごめんなさい」
「いいんだよ。心臓に悪いから、もう無茶は止めてほしいがね」
父は優しく笑った。
帰国した翌日、私は何もやることがない休みを満喫していた。2日後からまた仕事が始まる。つかの間の休息だ。
家には誰もいない。母は「傷跡が絶対に残らないと評判の軟膏を仕入れてくる」と商家の実家に戻った。父は仕事だ。
昼食を一人で食べ、メイザンにいなかった期間の新聞に目を通していると呼び鈴が鳴った。
ご近所さんかしらとドアを開けると、なんと立っていたのはヴィクター殿下だった。
「殿下!? どうしてここに」
「エルーシャが怪我をしたと聞いて様子を見に来たのだ。これは土産だ」
「どうぞお入りください」
軒先で殿下を帰したと母にバレようものなら大目玉を食らってしまう。私はこじんまりとした家に一応存在する客間に殿下を案内した。
台所に引っ込みお茶を淹れると殿下に出す。
「粗茶ですが」
謙遜でもなく王族にお出しするには粗茶も粗茶だ。殿下は礼を言って口を付けた。
ヴィクター殿下と会うのは、喧嘩というか私が勝手に怒って捨て台詞を吐いてから初めてである。
気まずい……なんて思っているのは私だけのようで、殿下は興味深そうに部屋を見回している。申し訳程度に絵画が一枚飾ってあるだけの何の変哲もない部屋だから、じろじろ見るのは止めてほしい。
「ええと、わざわざお越しくださってありがとうございます」
「ルクサンディで暴漢に襲われたと聞いた。無事とは知っていたが、居ても立ってもいられなくてな。怪我の具合はどうだ?」
「この通り、全く問題ありません」
ロイドが帰国したばかりでヴィクター殿下も大変な忙しさのはずなのだけど……今頃殿下の代わりに部下たちが東奔西走しているのだろう。私は彼らに心の中で合掌する。私を恨まないでほしい。
殿下は良かったと表情を緩め、ついでのように私にとっての重大事項を教えてくれた。
「そうだ、あのレオという男は俺の預かりとなった」
「どうしてそんなことに!?」
ルクサンディから追放されたとはいえ微妙な立場の彼を野放しにできないのはわかっていたが、ヴィクター殿下の元に置かれることになるとは予想していなかった。
「父の側に置くには素性が知れなさすぎるが、自由にしておくには危険すぎるという判断になった。その辺りはエルーシャのほうが詳しそうだが」
「でも、彼に任せられる仕事はあるのですか?」
「それはおいおい考えるさ。というわけで、レオに会いたければ俺のところに来るんだな」
殿下が悪戯そうに笑う。もしかして、それが目的ではないでしょうね。私は胡乱な目で殿下を見るが、藪の蛇をつつきたくはないので口には出さない。
本当に顔だけ見に来たという感じで、長居せずに殿下は帰っていった。
仕事に復帰すると、上司への復命を終えてからいつもの先輩の元へ向かう。
「先輩! 肥料はどうですか」
「まず挨拶しろ挨拶を」
「ただいま戻りました。これお土産です」
「よーし、わかってるじゃないか」
からかいがいのある先輩に、普段からお世話になっているお礼にとルクサンディ土産を渡した。先輩は「何かな?」と箱を振っている。中身はルクサンディで流行っていた焼き菓子だ。恋人がいるなら恋人に渡してくれてもいい。
先輩には自分が離れている間植物の世話をしてくれるよう頼んであった。黒土をそのまま運ぶのは効率が悪い。より運びやすく、そして効果の高い肥料を作るために、色々な物と混ぜた黒土を撒いて、成長の速さを比較していたのである。
先輩が並んでいる植木鉢の一つを指した。
「泥灰と混ぜたやつが一番良さそうだ」
「本当ですね」
他よりも明らかに苗の伸びが良い。
目に見えて違いがわかるなんて幸先の良いスタートだ。私は先輩の手を握りブンブン振って感謝と喜びを表した。
「ありがとうございます先輩! これからもよろしくお願いします!」
「お前、俺を使い勝手のいい駒だと思ってないか?」
「やだな、尊敬する先輩に決まってるじゃないですか」
「嘘くせえ」
先輩は嫌がりながらも満更でもなさそうに笑ってくれた。
復帰直後から私は大小さまざまな業務に追われることになった。自分の研究だけじゃなく、他の人を手伝うこともある。でもそれだけなら問題はないのだ。
厄介なのは、ルムヤル長官にやたらと仕事を振られることだった。
「お前は俺が育てたんだからな。他に取られないぐらいこきつかってやる」
なんでも、私を引き抜きたいとお声がかかっているらしい。有難い話だが、今の私は肥料作りに夢中である。
私は大人げない長官に呆れながらぼやいた。
「育てられたというか、勝手に育ったというか」
「見ないうちに随分うぬぼれになっちまってまあ! 俺が一から謙虚さってもんを教えてやる」
謙虚という言葉から一番かけ離れているルムヤルについていても、一生身につかないと思う。
人遣いの荒い長官のおかげで、休息もそこそこに慌ただしい毎日を送っている。
ロイドとの接点はなくなった。元より関わりの薄い部署だ。呼び出されなければ話すこともない。
たまにすれ違うときにちらりと一瞥を投げられたりするぐらいで、私はルクサンディに行く前のように頭を下げて通りすぎるのを待つだけ。
……のはずだったが、筆頭補佐官殿が私に声をかけたことで少々変化が生じることになった。
王太子殿下の姿が見えていつも通り隅によけて待っていると、ロイドの後を歩いていた筆頭補佐官がふくふくとした顔をにこにこと一層丸くさせながら、周りがぎょっとするほど気さくに話しかけてきたのだ。
「やあエルーシャさん、その後変わりはないかな?」
「はい、お心遣いありがとうございます」
「あなたがロイド様へ素敵な女性を紹介してくれるのを待っているんだが、良さそうな人は見つかったかね?」
「おい何を話している」
先に進んでいたはずのロイドがすごい形相で引き返してきた。
「あの、その話はまだ有効だったのですか……?」
「もちろん。それともあの言葉は本心ではなかったのかい?」
「いえ、そんなことはございません!」
ロイドが支え合える人と一緒になれればいいと願っているのは今も変わらない。
私は拳を作って意気込んだ。
「不肖リンス、殿下の更なる幸福のため、腕によりをかけて探して参ります!」
「放っておいてくれるのが一番私のためになるんだが」
ロイドの訴えを私と筆頭補佐官は黙殺した。味方がいるって心強いわ!




