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私以外の人と幸せになってください  作者: みりん
ルクサンディ編
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十六話 18歳 11

 私は目の前の男を見据える。


「クレメンティ、お前は幼い王女に会ったとき、下卑た目をくれたな。王宮へ面会に訪れたときのことだ。覚えているか?」


「ああ……ラヴィニア王女か。可愛らしいお方だったからな、常日頃この手で犯したいと思っておったよ。さすがに王族には手出しできなかったのが残念でならなかったなあ。それがどうした? どうして貴様が知っている?」


「クレメンティよ、己が幼い王女にも浅ましい本性を見破られるような無能であると知れ。自分では上手く隠しているつもりだったのだろうが、王女も王妃もお前の本性を感じ取っていた」


「……だからどうした。2人とももうこの世にはおらん」


「周りの者がお前の正体に気づいていないと思うか? さぞかし軽蔑しているであろうな。部下たちがお前を慕っていると思うか? 己の上司が、主が、幼子に手を出すような人間であるという己の身を嘆いているかもしれぬなあ。そして、お前は心の底ではそのことに気づいているのだろう? だから誰も信じられない。お前に信頼を寄せる者も、お前が信頼できる者も誰もいない。まこと孤独で哀れな人間よ」


「……だまれ」


「そのような人間に国を背負うなど到底不可能。お前が首相に選ばれていれば、今頃ルクサンディは周辺国の食い物にされていたか、再び民衆がクーデターを起こし無惨にも戦禍に見舞われていただろう。お前はそれを止める手腕も人材も持たぬ。フェリシエ・ファノンの才覚の足元にも及ばない。……なるほど、自分が首相に選ばれると思っていたからファノンに横取りされたと思うたか? 国民はよくわかっているではないか、誰を頂きに掲げるべきか!」


「黙れッ!!」


 哄笑する私にクレメンティが襲いかかった。口を手で押さえ、窒息させようとする。


「この減らず口が! 一生喋れなくしてやるッ!」

「やめろっ!!」


 レオがクレメンティを引き剥がそうとするが、取り巻きの男に羽交い締めにされて身動きを封じられる。

 もみくちゃになりながら、のし掛かる男を両足をばたつかせて押し戻そうとする。髪はボサボサ、服はぐちゃぐちゃ、矜持も誇りもあったものではない。

 でもここで死んでなんかやるものか。


 一瞬手が口から離れた隙を見逃さず、私はその手に思い切り噛み付いた。


「ぐわああっ!」


 クレメンティが悲鳴をあげてのけぞり、男たちが動揺したように動きを止めた。

 私は口の端にクレメンティの血を滲ませ、ゆらりと立ち上がる。


「お前たち、逃げるなら今のうちよ?」


 取り巻きに向かって言うと、男たちは気味悪げに目配せし合う。

 クレメンティは噛まれた手を押さえながら叫んだ。


「何を突っ立っている! 早くそいつを捕らえろ!」

「私が何も策を講じてきていないとお思い? まもなく政府軍が押し寄せてこよう。なれば逃げ道はない、主と共に拘束されような。お前たちの主はそれほどの価値がある男か? 中には詳しい事情を知らぬ者もいるだろう。家族のいる者もいるだろう。主犯らと共に重い刑罰を与えられるのを是とするか? 否ならすぐにこの場から立ち去れ!」


 私は鋭く一喝する。幾人かは身じろぎし周りの様子を窺う素振りを見せたが、逃げ出そうとはしなかった。そう簡単にはいかないか。

 ……でも、何とか時間稼ぎにはなったらしい。


 クレメンティが迫る足音に気づいたときには、既にその首に王手がかかっていた。


「武器を捨て投降しろ!」


 雪崩こむように入ってきた兵士たちに男たちは呆然と立ち竦むほかなかった。一人が武器を落とすと、最後にはなりたくないとばかりに次々と武器を放り投げ降伏の意を示す。

 兵士が男たちを素早く拘束し連行していく。その光景を見て、私は緊張の糸が切れて膝を折った。床に倒れ込みそうになった身体をレオが抱きとめる。


「大丈夫か?」

「疲れたわ……」

「君のおかげで助かったみたいだ。何とお礼を言ったらいいか」

「礼ならあの方に」


 私の目線の先に、室内へ悠々と踏み入る美丈夫の姿があった。


「やあクレメンティ卿、随分楽しげな格好をされているではありませんか」

「……ファノン」


 クレメンティは兵士に左右から腕を捕らえられながら、噛み殺さんばかりの形相でファノンを睨む。


「メイザンの高官が監禁されていると通報を受けて来てみれば、クレメンティ卿も関与しているとは! これは詳しく話を聞かねばなりませんね」

「……」

「おや、黙秘しますか? それもいいでしょう」

「……いつか後悔させてやるぞ……!」


 クレメンティの呪詛に、ファノンは些かの痛痒も覚えぬ様子で答えた。


「せいぜい足掻くがいい。貴殿の失敗は、すぐに彼女を外に放り出して知らぬ存ぜぬを突き通さなかったことだな」



 クレメンティの身柄は部屋から引きずり出され見えなくなった。ファノンが私たちを保護するように兵士に指示する。ようやく手首の縄を切ってもらえて、強張っていた肩から力が抜ける。

 手元を見ると縄の痕が赤く擦れて残っている。縛られていたときは興奮していて気づかなかったのだろうか、次第に手がジンジンと熱を持ち始め、感覚がなくなっていくのがわかった。思ったより良い状態ではないのかもしれない。

 私がレオの手を借りて立ち上がるのを待って、ファノンは朗らかに言う。


「メイザンの王太子に貸しができたのは君のおかげだよ、ありがとう。クレメンティがついに尻尾を掴ませてくれそうだと聞いて仕事をほっぽり出してきたのだ。高官の監禁となればこれだけで懲役10年は固い」

「あの、私は高級官僚では……」

「いいや、君は高官だ。誰が何と言おうと今日から高官だ。いいね? さて、また後ほど詳しく話を聞かせてもらうが、今は宮に戻ってゆっくりお休みなさい。外で君の王子様がじれじれしながら待っているよ」


 君の王子様、などと言われると全力で否定したくなるが、ファノンはさっさと踵を返し喧騒に包まれている屋敷内を歩き出した。レオに支えてもらいながら、私は痺れて感覚のない両手をだらりと下げてついていく。

 階下へ降りている最中、レオが小声で自嘲を吐き出した。


「自分より年下の女の子に守られるなんてみっともないなあ……本当は僕が守らなければならなかったのに、足が竦んで動けなかった。ごめん」

「あなたはクレメンティから私を助けてくれたじゃない。だから今度は私が助ける番だと思ったのよ」

「……どうしてだろうね、君の背中はとても大きく見えたよ。なんだか家族に守られているような安心感があった。君は、本当に……」


 レオが言い淀んでいる間に私たちは玄関にたどり着いた。

 ロイドは屋敷外で落ち着かない様子で腕組みしていたが、私に気づくと僅かに顔を歪める。目の前まで来ると、彼はくしゃりと整った相貌をいっそう崩した。両腕でそっと身体を包まれる。

 ……温かい。

 無意識のうちに背中に手を回そうとして、私は痛みに呻いた。


「うっ……」

「どこか怪我してるのか!?」

「ちょっと手が痺れているだけです」


 刺激されるとジンジン、ビリビリするような痛みが走る。

 ロイドが私の手首の縄の痕を確認し、揺らめくような怒りのオーラを纏う。


「……帰って手当てしよう」

「ごめんなさい」


 私は出し抜けに謝った。謝って済むことではないとわかっている。さすがに今回ばかりは愛想を尽かされたかもしれない。帰国して職を解かれることも覚悟の上だ。

 ロイドは私の顔を見て、たくさんの言葉を飲み下したようだった。


「言いたいことは山ほどあるが、帰ってからにする」


 ロイドが私の膝裏を掬い抱き上げる。


「ろ、ロイド様っ?」

「動くな。落とすだろう」

「落としてください! 殿下に運んでいただくわけには!」

「うるさい。大人しく掴まっていろ。そこの青年も宮殿に招待していただきたいが、よろしいですか?」


 後半はファノンに向けて言う。ロイドの要求にファノンがレオを見る。

 ファノンは苦笑混じりにため息を漏らした。


「仕方ありません。どうせそのうち処理しなければならない問題ですから」


 その応えに首相がレオの正体を察していることがわかって、私は思わずロイドの胸元を掴んだ。ロイドは私に視線を落とすと大丈夫だと言う。


「悪いようにはさせない」

「安請負いしてもらっては困るのですがねえ」

「お互いに貸しができたでしょう」

「お互いにとおっしゃいますか。殿下の頼みを聞いて、兵たちまで動員して彼女を助けて差し上げたでしょう?」

「代わりにクレメンティを拘束できたでしょう。貴殿が奴に長いこと悩まされていたのは知っています」

「さて、何の話だか」

「今更とぼけても無駄ですよ」

「……貴国の諜報員は優秀でいらっしゃる」

「代わりに褒めておきましょう」

「……」

「……」

「……ところで、随分その方を大切にされているようですね。王太子殿下にそんなにご執心の相手がいらっしゃったとは、通りで我が娘を歯牙にもかけてくださらないわけです」

「フラン嬢こそ私には興味を持っていませんよ」

「親の心子知らずとはこのことです。年頃の娘をどうにかして殿下に近づけようとする有象無象の連中を排斥するのに、どれほど苦労したかわかっていません」

「それは素直にお礼を申し上げておきましょう」

「こんなことなら無駄なことをしなければよかったですよ。そうしたら殿下への嫌がらせになりましたのに。それで、これだけ骨を折ったのですから早急に密書をお渡しいただきたいが」

「もう一つ頼み事を聞いていただけるのであれば喜んで」

「……王太子殿下は欲深でいらっしゃる」

「貴国にとって悪いようにはしませんよ」


 ロイドの腕で運ばれていた私は、心地よい揺れと温もりにいつしか眠っていた。

 低く交わされる会話は子守唄のように遠く聞こえた。

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