十五話 18歳 10
レオは長い沈黙の後、いとけない子どものようにたどたどしく尋ねる。
「エミリオ王子は、どんな人だったの?」
「そうね、小さな頃はやんちゃだったわ。2人で侍女に怒られたこともあった。一度私がエミリオを連れ回しすぎたせいで怪我をさせてしまったことがあって、そのときは母にしこたま怒られたわね、『この子は未来の国王陛下なのですよ』って。そうしたら私が『私は何にもなれないの?』って癇癪を起こすものだから、お母さまはお困りだったわ」
「へえ……」
「頭が良くて運動神経も抜群だったわね。馬を操るのが得意で、10歳で自分の背丈より高い柵を飛び越えさせたときには驚いたものよ。それはもう、ご令嬢たちから熱視線を浴びて……王子という身分だったからかもしれないけど、私はエミリオが村の馬丁であってもモテモテだったと思うわ」
「僕がその王子だったって? 全然想像つかないな」
「……でもエミリオは次第に思慮深く考え込むことが多くなっていった。一緒に遊ぶこともなくなったわ。今思えば、私よりもよほど大勢を捉えていたのでしょうね」
エミリオはラヴィニアより4つも年少だったというのに、それが情けなくふがいない。
私が表情を暗くしたのを見て、レオが慰めるように冗談めかして言う。
「君だってさっきは貫禄たっぷりだったじゃないか」
「あれは昔のことを思い出しながら演技しただけ。虚勢を張ることが必要なときもあったから。そうだわ、私がラヴィニア王女だって言ってるなんて誰にも話さないでね」
「王太子殿下にも? どうして?」
「頭がおかしくなったって思われたくないじゃない。レオだってそう思ったでしょう?」
「……ごめん。今もあまり信じていない」
「それでいいわよ」
私は微笑んだが、レオは難しい顔を崩さなかった。
何時間経った頃だろうか。ぽつりぽつりとレオと会話を交わしているとついにガチャリと鍵の開く音がして、見かけだけは紳士然として見える中年の男が現れた。
何と言われていたのかは知らないが、屋敷の主は私の顔を見ると目を丸くし、すぐに人当たり良く笑った。
私も淑やかに笑い返す。
「ごきげんよう、クレメンティ卿」
「これはリンス嬢、先日ぶりですね。まさかこんな場所でお会いすることになるとは」
「そうですわね。私もまさかここで彼に会うとは思っていなかったから、お互い様ですわね」
私が目線でレオを指すと、クレメンティは目尻をピクリと震わせ慎重に問う。
「……彼が何者かご存じで?」
「もちろん。エミリオ王子ね」
「彼がそう名乗ったのですか?」
「いいえ、残念ながら記憶をなくしているようだから」
「……それではどうして彼をエミリオ王子だと思われたのですかな?」
「だってあなたが囲っている人物ですもの」
私は肩を竦ませた。事実とは異なるが、このほうがクレメンティにとって説得力が増すだろう。
必死に動揺を隠そうとする男に、私は畳み掛けるよう朗々と語る。
「クレメンティ卿、あなたは革命後に王子を国外へ逃がすと国王と密約を交わしたわね? でもその約束を守ることはなかった。王子を盾に、革命はあなたの功績によって無血で成される、なんていう文書に玉璽を押させたにも関わらずね」
「……」
「その文書には割印があった。ということは対の文書があるはずだけど未だに見つかっていない。あなたにとってはよほど都合の悪い内容みたいね? あなたも政敵がたも、何年も諦めずに探し続けているようですもの」
「……何のことを話している?」
「密書には取り引きの内容が書かれていた。不正の隠蔽とか、王家の隠された財産をあなたが受け継ぐとか、細かなものも。でもやはり一番の目玉は、あなたが王子を匿うという内容よね」
クレメンティの顔ははっきりと驚愕を宿している。なぜ、たかがメイザンの下級官僚ごときが知っている? 今まで誰も見つけられていないはずなのにと。
密書を探す者は皆、王家の居室を中心に調べたのだろう。王の執政室や立ち入りの制限されていた箇所も。
しかし王家だけに伝わる秘密の小部屋は、実のところ誰でも入れる場所にあった。こちらに来て以来毎日のように通い詰めているせいで、その部屋の中ではグラントもいちいち私について回らない。
ルクサンディで随一の規模を誇る書物庫、その中に隠された部屋はある。決められた順番にいくつもの本を奥へ押し込み仕掛けを解かねば見つけることは叶わない。
私はグラントの目を盗んで小部屋に入り、その存在を確かめていた。
混乱を極めた男に、私は慈悲深く笑う。
「安心なさって。私、まだ誰にも内容は伝えておりませんから」
「どこで見つけた!」
クレメンティが吠えた。
「教えるとでも? 言っておくと、私がいなくなればファノン首相の手に渡るようにしてありましてよ」
今にも私に掴みかかりそうなクレメンティに釘を刺すが、実際には密書は小部屋に隠したままにしてあった。今はどうなっているか知らないが。
私は涼しい顔ではったりを続ける。
「私と彼を解放するなら、密書は闇に葬って差し上げる。そうしないなら、あなたの罪は白日に晒されることになる。国家反逆罪? それとも国家転覆罪かしら。いずれにせよ地位も栄誉も財産も全て失うことになるわね。さて、どちらのほうが利口かしら?」
「ぐっ……」
クレメンティは私を射殺さんばかりに睨みつけてから、眼球をあちこちに忙しなく動かす。脳内で目まぐるしくこの先の勘定をしているようだった。
「……本当に密書は捨てるというのだな?」
「もちろん。約束は守るわ」
クレメンティが憤懣やる方ないという表情で唸る。
「……よかろう。こちらへ来い」
クレメンティが私たちに扉のほうを示した。レオは信じられない様子で私とクレメンティの顔を交互に見ている。
何とか賭けに勝ったようだ。私は内心安堵し、それを顔にはおくびにも出さず示された通り扉へ近寄る。
その瞬間、クレメンティの手が伸びてきて私の首を掴んだ。
「ぅぐっ……!」
「馬鹿な、信じられると思うか? どうせ逃げた瞬間話すに決まってる。それならここで殺して逃げてやる……!」
血走った眼できつく首を締め上げられる。もがいて逃れようとするが、手を縛られているためろくに抵抗できない。
視界が霞みかけたとき、クレメンティの体が横に吹っ飛んだ。レオの体当たりをもろに食らったのだ。
「こっちだ! 早く!」
レオは咳き込む私の腕を掴み、階段を駆け上がる。激突する勢いでドアを開け、不意をつかれて棒立ちになっている見張りを無視して玄関へ向かおうとするが、そこは別の見張りに塞がれていた。
追い立てられるように階段を上り、3階の廊下を進むと近場の部屋に飛び込んだ。幸い誰もおらず、暗い部屋の中で荒い息を整える。
外からは「どこだ!」「出てこい!」と怒声と足音が聞こえる。ここにいてもすぐに見つかってしまうだろう。
レオは窓に駆け寄り、音を立てないように慎重に窓を開けると下を覗き込んだ。
「クッションになりそうなものはないか……」
「私のことは放っておいて、レオは逃げて。密書のことがあるから簡単には殺されないはずよ」
「さっき殺されかけたじゃないか! それに、ここで君を置いて逃げたら僕は一生自分を恥じることになる」
押し殺した声が聞こえたわけではないだろうが、扉が開く音がして私たちははっと振り返った。男が「いたぞ!」と声を張り上げ、わらわらと部屋の中に屋敷の人間が集まってくる。6、7人ほどいるだろうか、こうなってしまってはレオ一人が逃げるのも難しい。
男の一人が私へ手を伸ばした。私は鋭く一喝する。
「わたくしに触れるな!!」
命じられた男が雷に打たれたように動きを止めた。
――町娘に等しい格好なのに、従わずにはいられないのはなぜだ……!?
――この平民に相応しからぬ威圧感は一体……
男たちは感電でも恐れるように私に触れるのを躊躇しながらも、逃がすまいと周囲をじりじりと取り巻いている。私はレオを横目で見た。その顔は恐怖に凍りついている。自分の今後を想像してか、私が傷つくことに対してか……。
レオの前に仁王立ちする。誰にもあなたを傷つけさせない。私があなたの盾となる。
男たちに遅れて到着したクレメンティは、荒々しく肩で呼吸をし、囲われている私を見て歯茎をむきだしにして嗤った。
「この小娘が! 楽には殺さんぞ。犯し尽くしてその顔をめちゃくちゃに汚してやるっ」
「わたくしがお前ごときに汚されると思うか? 自惚れるな、下郎」
私は傲然と吐き捨てた。クレメンティの顔が朱を通り越してどす黒く染まる。
「……やはり女は年をとるといけない、余計なことを知って生意気になっていく。まあよい、私が調教し直してやるわ」
血走りながらも粘ついた視線をよこすクレメンティに、俄かにラヴィニアの頃の記憶が刺激された。
――この男には会ったことがある。
クレメンティが面会に訪れたとき、幼い私は父と母の隣に立っていた。王族として臣下より挨拶を受けるのも義務であるが、その時の私はクレメンティの絡みつくような視線に怯えて母のドレスに隠れたのだった。
決して甘やかしてはくれない王妃は何も言わず娘を隠してくれた。母も察するものがあったのだろう。
蘇った記憶につられるように、王妃の言葉が呼び起こされる。
慎ましく微笑んでいなさい。愛される王女でいなさい。己の発言に足元を掬われることのないように。むやみに敵を作らぬように。
けれど王族としての矜持を傷つけられたときは怒りを示しなさい。
容赦なく、叩き潰しなさい。




