十三話 18歳 8
激情を吐き出し終えるとエミリオは一転して押し黙り、私のほうを向いた。
「もしかして、君はクレメンティの口車に乗せられたのか?」
「クレメンティ? クレメンティ卿のこと?」
突然出てきた名前に私は声をひっくり返らせた。つい先日の交流会で親切そうに話しかけてきたばかりの男だ。こんな場面で聞くことになるとは思わない。
しかしロイドのほうは、僅かに目を眇めただけでさほど驚いた様子はない。
「なるほど、それではやはり君がクレメンティ卿の切り札ということか」
「さすが王太子殿下、事情をわかっていらっしゃるご様子で」
「私とて情報の断片から推測しているに過ぎないが。しかし今君が語ったことで、少なからず確信が持てた。しかしもはや王政復古などクレメンティにとっても現実的ではないだろう。君を真実エミリオ王子と思っているのだとしたら、逆に彼にとって弱みにもなり得る存在だ。とうに消されていてもおかしくないと思うが」
「奴は何か探しているようで、僕の記憶が戻ればそのありかを聞き出せると思っているみたいだ。だから僕を短絡的に消すことはできないでいるってことさ。それで、僕を助けてくれる? この国から出たいんだ」
「どうして私が君を助けなければならない? 今こうして自由に行動できているようだが、自分で逃げ出そうとしなかったのか?」
「……一度失敗してね、二度と失敗はしたくない。これは僕にとって最後のチャンスだ。ルクサンディ国が乱れるのは殿下だって歓迎しないだろう? 僕という不穏の芽を排除しておけば、後々助かると思うけど」
「私は現首相が反乱を抑えられないほど無能だとは思っていない。たとえクレメンティ卿が謀反を図ろうとしても失敗すると思っている。つまり、君を助けるメリットがないな」
ロイドはすげなく拒絶した。
いきなり蚊帳の外に置き去りにされた私は、2人の会話から必死に情報を整理していた。
エミリオはクレメンティに利用されていて、その支配から逃れようとしている? そしてロイドに協力を求めているけれどロイドは拒否しているということ?
完全に置いてきぼりを食らっていたが、エミリオが肩を竦めて私を示したことで再び舞台の上へ引っ張り出される。
「メリットならあると思うけど?」
「……」
「どういうわけか、その子は僕に執心のようだ。そして、殿下は彼女にご執心に見えるね?」
「貴様……調子に乗るとここで叩き斬るぞ」
「彼女の前でやれるものならやってみれば?」
ロイドの低い脅しにも、エミリオは揶揄うように目を細めて動じない。私なんて震えあがりそうだというのに、心臓が強すぎる。
ロイドは暫しエミリオを冷ややかに睨めつけていたが、裏では様々な計算を巡らせていたに違いない。ひときわ大きく息を吐くと、エミリオの願いを聞き入れた。
「いいだろう、帰国の際に使用人に混ぜてやる。確認しておくが、お前はエミリオ王子ではないのだな?」
「違うよ。僕はレオ」
「レオ?」
私とロイドは揃って復唱した。
「さっきから王子なんかじゃないって言ってるだろ」
「でも……」
私の本能は彼がエミリオだと言っている。
しかし、エミリオの小馬鹿にするような態度には親しみは一切含まれない。
「しまったな、王子様じゃないって言ったら君の異常な執着も解けてしまう? だけど王子様のふりなんて無理だしなあ。したところですぐに化けの皮が剥がれちゃうよ。ああでも、僕には小さい頃の記憶がないんだ。そこのお嬢さんにとっては朗報なのかな?」
「記憶がない……」
私はぼんやりと繰り返した。可能性はゼロではないのか。
エミリオ――レオは、私が呟くのを聞いて露悪的に薄ら笑いを浮かべた。
「たとえ、万が一僕がオウジサマだったとして、君は何の関係もない赤の他人なのは変わらないよね。そうだ、赤の他人さん、今更だけど君の名前を教えてくれる?」
「私はエルーシャ」
「そう、エルーシャ、君はエミリオ王子の何なの?」
嘲りとともに単刀直入に聞かれる。一体この質問をされるのは何度目だろう。
「私は、エミリオ王子の……」
「エミリオ王子の?」
「……決して裏切らない、生涯の味方」
「……なんだよ、それ」
レオは不快なものを耳にしたと眉間に皺を寄せる。
「抽象的すぎる。そんなもの答えになるとでも」
「私はこの国にあなたを迎えに来たのだわ」
私はレオの発言を遮った。
「エミリオ王子が生きていると聞いて、王子を助けるために私は無理やり使節団に捩じ入ったわ。あなたは自分が王子ではないという。けれど、私はあなたを助けるためにここに来たのだわ」
縛られて椅子に座るレオの前にかがみ、その頬を両手で覆う。
「あなたがエミリオでもレオでもどちらでもいい。私は何があってもあなたの味方でいる」
間近で紫の瞳を合わせる。レオの目は大きく見開かれ、鮮やかな虹彩まで見えるほど。
同じ色をした目がレオをまっすぐ見つめているだろう。どうか、嘘ではないと信じて。
突然背後から腰の辺りを抱き寄せられ、私は後ろにたたらを踏んだ。覚えのある体温の中に収まる。
「ロイド、様」
「……今日のところは宮殿に帰る。レオ、お前は悪いが宮には連れていけない」
「あ、ああ……そうだろうね」
レオは半ば呆然としたまま頷いた。
「帰国日にどこかで合流することになるだろうが、打ち合わせは明日以降にしたい。どこかで落ち合えるか?」
「大丈夫だと思う。しばらく従順に振る舞ってきた甲斐あって、最近監視が緩くなってるんだ。クレメンティの屋敷を抜け出してくるよ。ベロニカ亭はわかる? そこで落ち合おう」
「わかった」
ロイドが騎士に縄を解くように指図する。ようやく解放され、レオは縄の痕をさすった。
まだ夢と現実の境目にいるような心地だった。
宮殿へと帰る道すがら、明らかに心ここにあらずという様子の私にロイドが釘を刺す。
「絶対に馬鹿な真似はするなよ」
「わかっています。ロイド様、明日は私もついていきますから」
「……大人しくしていろと言ったつもりだが」
「連れていってくださらないなら無茶をするかもしれません」
私がしれっと宣言するので、ロイドは「この利かぬ娘をどうしてくれようか」と渋い顔をした。
「どうしてあなたはそうなんだ。少しは従おうという気はないのか?」
「私とてロイド様に逆らいたくはないのですが、譲れないこともございます」
「譲れないことが多すぎる。私の問いにも一向に答えようとしないし、一体どれほど譲歩していると思っているんだ」
「それは……申し訳ありません」
これまでロイドが様々な言葉を飲み込んでくれていたことはわかっているので、私は素直に謝った。散々振り回して迷惑をかけているのに、ロイドが最終的には許してくれるのに甘えている。
「どうか帰国するまではお許しください。帰国後はロイド様のお手を煩わせるような真似はいたしませんから」
元の部署に戻れば接点もなくなりますゆえ、そう言ってもロイドはますます機嫌を悪くするばかりである。
どうすればと途方に暮れると、騎士が「まあまあ」ととりなしてくれた。
「私が明日エルーシャ嬢とベロニカ亭に行って参りますよ。ロイド様はさすがに2日連続で宮を空けるわけにはいかないでしょうから」
「……しかたない。エルーシャ、明日の仕事明けはそのつもりで」
「はい! ありがとうございます」
「まったく、私が甘いのも原因だな」
張り切って返事をした私に、ロイドがため息をついた。
いかに効率的に宮中を回るかは残業量の多寡に直結する。回らなければならない箇所はあちこちに点在しているのだ。
王女であった頃は何も感じていなかったけれど、扇型に広がる建物はなんて不便なのだろう! 扇の上辺の端から端まで歩くとなると、かなり時間がかかる。
最短距離を歩こうにも、扇の要の部分は首相一家の居住スペースなのである。他国の官僚ごときには近づくことはできない。
右翼廊の端の部屋に書類を渡しに行ったついでに上階の自分の客室から必要なものを持ち出すと、そのまま洗濯室に立ち寄った。メイザン国一行の下女の一人が洗濯をしている。
ルクサンディに来て見知った仲になった彼女に衣類を渡し、小瓶も一緒に手渡す。
「それじゃあお願いね」
「はーい。あ、あのオイル、随分調子が良いよ」
「それはよかったわ」
笑い返して、外に待たせていたグラントとともにロイドの客室兼執務室へ戻る。途中で各所から書類をピックアップしてくるのも忘れずに。
余計な雑用を言いつけられることもなく無事に仕事を終えた私は、予定通りロイド付きの騎士と共に指定された食事処へと向かった。代わりにグラントは留守番だ。
店に入りさりげなく見回したが、レオの姿はまだなかった。
「まだ来ていないようですね」
「ええ。ひとまず座りましょうか」
満席ではないがそれなりに混雑している店内の入口付近に座る。
料理を注文しレオが現れるのを待つが、一向に姿を見せない。ゆっくり食事を進めていたが、ついに皿は空になってしまった。
「どうしたんでしょうか」
「もしかしたら抜け出せなかったのかもしれませんね。明日また来ることにしましょう」
私は頷いた。騎士が立ち上がる。
「支払いしてきますので待っていてください」
「騎士様に支払わせるわけにはいきません。自分の分は自分で払います」
「ロイド様のポケットマネーですから大丈夫ですよ」
騎士が茶目っ気を含ませ片目を瞑って見せたので、私は躊躇いながらも頭を下げた。
すっかり夜に支配された街の中を歩きながら、レオは大丈夫だろうかと心配する。今日は都合が悪かっただけ、明日にはきっと姿を見せてくれるはずだわ。
俯きがちに歩みを進めていた私は、騎士の声に顔を上げた。
「エルーシャさん、私のことは名前で呼んでいただけますか? 騎士様と呼ばれるのはどうもむずがゆくて」
「それでは、アルバ様とお呼びします」
「様なんてつけなくて構いませんよ。何なら呼び捨てでも。ああでも呼び捨てなんかされたらロイド様に何と言われるか……恐ろしい!」
言葉と裏腹に顔はにこにこと笑っている。本心では全然怖がってなんていなさそうだ。むしろ面白がっているというか。
「エルーシャさんは随分、ロイド様と仲がよろしそうですね?」
「私が一方的にお慕いしているだけですよ」
「お慕いというのは、恋慕のほうですか?」
「まさか!」
私は仰天して手を振った。
「臣下がお仕えする方を敬慕しているだけのことです。恋だなんて恐れ多い」
「そんなことないと思いますけどね。エルーシャさんだって、ロイド様が少なからず自分を気にかけてくれているとわかっていらっしゃるでしょう?」
「それは……」
ロイドに気に入られている――あるいは自虐的に解釈すれば素性の怪しさから放置できないと思っているのかもしれないが、一臣下には釣り合わぬ関心を寄せられていることは自覚していた。
アルバが続ける。
「私はロイド様の幸せが最優先なので、ロイド様が好いた女性と一緒になるのならお相手の身分などどうでもいい思っているんです。ですが……」
アルバは一拍置いて、愛想良く笑っていた目をすうっと酷薄に細めた。
「ロイド様を裏切ったら許さない。覚えておいてください」
敵とみなしたら容赦はしない。私はその情なき警告に、怯えるどころか嬉しくなって笑みを返した。
「あなたのような方がロイド様のお側にいてよかったです」
「……私の話聞いてました? 脅したつもりだったんですが」
「ええ、もちろん。私の忠誠はずっとロイド様に捧げられています。アルバさんに……皆さんに信じてもらえるとは思っていないけれど」
「信じたい気持ちが強いのでしょう……私も、ロイド様も」
アルバは独白するように呟いた。




