十一話 18歳 6
私はギディに案内されて小洒落たレストランへ入った。いつもグラントと行く大衆食堂とは違い落ち着いた雰囲気だけど、そこまでかしこまっているわけでもない。席と席は適度に距離を保たれ、周囲があまり気にならないように品よく観葉植物が置かれていた。
出された食事はどれも美味しい。私はほろほろと崩れる羊肉の煮込み料理に舌鼓を打ちながら、ギディの話に陽気に笑った。
「僕の妹は父の跡を継いで猟師をやっているんですけれど、未だに父は『お前に継いでほしかったのに』と言ってくるんですよ。その度に妹に『兄さんは少し血を見るだけで真っ青になるのに、猟師なんて無理に決まってるじゃない』と言われる始末で」
「たくましい妹さんですね」
「昔から喧嘩で勝てた試しがありません。僕は体を動かすのはからっきしでしたが頭を使うのは得意だったので、適材適所に収まったという感じです。リンスさんはどうして官吏になろうと思ったんですか?」
「私は、ロイド殿下のことを昔からお慕いしていたので……できるだけ殿下のお役に立ちたいと思った結果でしょうか」
「王太子殿下がライバルとは、最初から負けが決まっているじゃないですか!」
「ふふふ」
ギディが降参と両手を上げるので、お世辞とわかっていても気分が良くなる。この人は女性の持ち上げ方が上手だ。
「来年からお互いの首都に外交官を常駐させようという案が出ていまして、僕としてはリンスさんに来てほしかったのですけれど……この分では叶いそうにありませんね」
「そんな話が出ているんですか?」
「あ、まだご存じではありませんでしたか。僕から聞いたというのは内緒にしてくださいね。リンスさんが常駐員になってくだされば、ルクサンディの悪いようにはなさらないだろうという打算と、僕が嬉しいという個人的な下心もありまして」
「下心をそんなにあけすけに言ってしまっていいのですか?」
「こういうのは下手に隠すほうが格好悪いものなんですよ」
ギディが得意げに話すのがおかしくて私はくすくす笑う。ギディはわざとらしくため息をついた。
「はあ、あと5日で帰国されてしまうなんて残念です。お帰りになる前にもう一度お会いすることはできませんか?」
「お気持ちは嬉しいんですが、難しいかもしれません。本当はあまり自由行動を許されていなくて」
「護衛の男がついていらっしゃいましたよね。……リンスさんはただの外交官ではないのでしょうか?」
ギディの目が探るようにきらりと光る。私は護衛というのを否定せず、曖昧に微笑むに留めた。そもそも外交官ですらないのだが、わざわざ自分が怪しい人間だと言う必要はない。
私の無言の返答にギディが苦笑を漏らす。
「リンスさんのことをもっと知りたいんですが、そう簡単に話してくださるわけないですよね。……リンスさんはふとした瞬間にものすごく美しい所作をなさるので、実はとても高貴な方なのではないかと思っているのですけれど」
「まさか、私はしがない官僚の娘ですよ」
「ご自分では無意識なんでしょう」
ギディは軽妙に場を盛り上げる裏で、私を目敏く観察していたのだろうか。下官とはいえ外交に携わる人なのだ、人間観察はお手の物だろう。油断してはならなかった。
俄かに私の顔に緊張が過ぎったのを見て、ギディが慌てて手を振る。
「すみません、不快にさせるつもりはなくて、好奇心が勝ってしまったというか。個人的なことを無遠慮に聞かれたら気分悪いですよね」
「いいえ、ギディさんは勘違いされているだけですから不快も何もないです。今日はとても楽しい時間をありがとうございました」
私が笑みを貼り付け立ち上がると、ギディは悄然と肩を落とした。
「ああ、失敗しました……自分が悪いんですけれど……。こちらこそ、今日はありがとうございました。宮殿までお送りします」
「いえ、結構です。一人で帰れます」
「まだひと気があるとはいえ、女性一人では危険です。どうか送らせていただけませんか?」
「彼女は私が送るので必要ない」
突然割り込んできた艶やかな声に、私とギディは揃って声のほうを向く。
「でっ……」
殿下と叫びそうになった私の口を、ロイドの手が押さえた。
髪が茶色いのはかつらでも被っているのだろう。おまけに眼鏡までかけていて、一見では誰かわかりにくいはずだが、ギディはその人の正体を過たず察したらしい。微かに口元を強張らせつつ、綺麗なお辞儀をした。
「どうやら僕の出る幕ではなさそうです。彼女をお願いいたします」
「ああ」
「リンスさん、それじゃあまた」
「あ、ありがとうございました」
ギディはあっさりと去っていった。
私は急展開についていけず、呆然としたままロイドに手を引かれて店を出る。
「殿下、何をされているんです……?」
「しっ、名前で呼べ」
「……ロイド様、いつからあそこにいたんですか?」
「ほぼ最初からだ」
悪びれず答えるロイドに私は絶句した。寝る間もないほど忙しいはずなのに何をしているの。実は暇なの?
ロイドの後ろにひっそりと付き従っていた護衛騎士が、「私もおりました」と口を挟む。ふたり揃って暇人か。
「ロイド様の焦り具合は見ていて大変愉快でした。いつ乱入するかとひやひやしましたよ」
「お二人はどうしてここに?」
「あなたのことを信用しているわけではないからな。余計なことを言わないとも限らない」
「ロイド様、先程のギディとかいう男の言を少しは見習わねばなりませんよ」
騎士の言葉に私は首を捻ったが、ロイドは心当たりがあったようで不愉快そうに顔を顰めた。
「さあ、帰るぞ」
「は、はい」
私はわけがわからないままロイドの後を追った。先頭を騎士が進み、私とロイドがその後ろをついていく。
ロイドが前を向いたまま、訥々と私に尋ねた。
「先程の、あなたの言葉は本心か?」
「何のことですか?」
「……あなたが私を慕って官吏になったという言葉だ」
私は自分の顔がかっと赤くなるのを感じた。本人に聞くなんて、鬼かしらこの人は。
顔を見られないようにそっぽを向き、口を尖らせて言う。
「盗み聞きは趣味が悪いと思います」
「すまない。どうしてあなたのことが気になるのか知りたくて、こんな行動をとってしまった」
「……理由はわかりましたか?」
「わからない。けれど、あなたの言葉に喜びを感じたのは確かだ」
何それ。不審に思っているから気になるのではないの? それではまるで、ロイドが私に好意を抱いているみたいじゃない。そんなの……。
いつの間にか私は足を止めていた。少し先に進んでから、私がついてきていないことに気づいたロイドが振り返る。私に声をかけようとして、何かに気づいたように目を見開いた。
「きゃっ!」
「エルーシャ!」
突然誰かに腕を強く引かれる。私とロイドの悲鳴が重なった。足がもつれて倒れそうになる寸前で、すっぽりと後ろから身体を囲い込まれて動きを封じられる。
「動かないで」
耳元で男の低い声が響いた。首筋に冷たいものが当たっている。多分、刃物だ。
私の背中を寒気が伝う。
「この人を傷つけられたくなければ、大人しくついてきてください」
男は明確にロイドを脅していた。彼が誰だかわかっているのだ。騎士が抜剣してロイドの前に立ちふさがろうとするが、ロイドがそれを手で制す。
「わかった。だから絶対に彼女には手を出すな」
「ロイド様、私のことは構わないでください!」
私の叫びをロイドは無視した。それならばと私は騎士に目で必死に訴える。あなたの役目は王太子殿下を守ることでしょう。早くお連れして逃げなさい!
私の訴えも虚しく騎士は微動だにしなかった。目は油断なく男を見据えている。タイミングを図っているのだろうか? 私にはわからない。どうしよう、私のせいでロイドの身を危険に晒すなんてあってはならないのに。
後のことは全く考えていなかった。刺されたっていいとすら思っていた。
私はなりふり構わず身をよじって後ろを振り向いた。ちくりと首筋に痛みが走る。男は目深にフードを被っていて口元しか見えなかったが、その口が「馬鹿」と形取ったのはわかった。僅かに拘束が緩む。
騎士は私の首から刃が離れた隙を見逃さず、瞬く間に距離を詰めて男を地面に押し倒した。素早く腕を固めて背中を膝で押さえつける。
解放された私はすぐさまロイドの腕に覆われた。
「大丈夫か?」
「ええ、ありがとうございます……」
「少し血が出ているな。……あなたが動いたのを見て、寿命が縮むかと思った」
ロイドの目が私の傷を確認してから、厳しい視線を男に向ける。つられて私も男を見た。拘束から逃れようともがく度、灰色のフードからくすんだ金の髪がはらはらと零れ落ちる。
騎士が男の腕を紐で縛り上げて地面に座らせるとフードを剥ぎ取った。男のアメジストのような目が露わになる。それは暗闇の中でも美しく輝きを放ち、ロイドを鋭く見上げていた。
「あ……」
「エルーシャ?」
私は紫の瞳に誘われるがままロイドの腕を抜け出して、男の前に膝をついた。困惑を表す男の顔をまじまじと見つめ、その頬を両手でなぞる。
丸みを帯びていた輪郭は鋭くなっているし、髪の色は昔よりも濃くなっている。けれど、目の色は少しも変わらない。唇の形も、耳の形も。
「……エミリオ」
「何?」
「エミリオでしょう? ほ、ほんとうに生きていたなんて……ああ、神様!」
私はエミリオの頭を抱いて、「神様、感謝します」と繰り返す。
「あなたは一体……?」
自分を抱きしめ嗚咽する見知らぬ女を、金髪の青年は目を白黒させて見ていた。




