81枚目
「お疲れさん」
トイレに立ってトイレから出てきた私に対して、結城はまるで待っていたかのように声をかけてきた。
「なんか、楽しそうだったじゃん」
そうした結城の言葉に、私は疲労感たっぷりに答えた。
「もう、疲れた。楽しかったけどさあ」
あれから私は、ひたすら歌わされ続けた。どうやら私は比較的歌が上手いみたいだ。それはよかった。でもだからと言って、よくも知らない曲をデュエットするのは止めていただきたい。『大丈夫だよー歌詞出てくるんだしー』なんて言われても、メロディすら知らないのだからうまく歌えるわけないだろう。それでも武田や阿部について行って何とか歌ってはいたものの、それでもつっかえるところが多くて申し訳なくなった。なぜか私が歌うときにはギャラリーが多かったし、みんな私を見るなあと思いつつ歌い続けていた。その結果が今の喉の疲労である。
「トイレ!っていうの、めっちゃあれだったぞ。わざとらしかったぞ」
「ええ、嘘でしょ?そんなわけないよ」
と言いつつ自分の下手な演技を思い出した。反射的に反抗してみたものの、確かにあれはわざとらしいを超越した何かだった。でもなあ、股間抑えたままトイレに行くなんて真似もできないしなあ。
「まあ、帰っていったらまた歌わせられるでしょうから、しばらく結城とお話ししようかな」
「あ、そのセリフめっちゃツンデレっぽい」
「はあ?」
他の人ならば『べ、別にツンデレじゃないんだからね!!!』くらい言うのかもしれないが、結城ならばはあ?だけで十分だ。妄言を述べるなカスが、なんてきつく言うほどでもないのが、私と彼との微妙な距離感を表していた。
「そもそも、結城は歌ったの?」
私は話を正常に戻した。結城は少しだけ目を見開いていて、まるで驚いているかのようだった。
「……何驚いてんのよ」
「いや、俺が歌うわけないじゃん」
え?今度は私が驚いた。
「……何驚いてんの?」
「いやいやそれこっちのセリフよ。あんた、何しに今回の打ち上げに来たのよ」
「知らないか?家田。この星の人々がカラオケに行く理由は二つあるんだ。1つは歌を歌うため、もう1つは誰かの歌を聴くためだ。その点僕は後者ってところかな」
「なるほど、それは解りやすいわね」
私もそっちの方がよかったなあという心の声を、ぐっとのみこんだ。
一応聞いておこう。
「今の話、本当?」
「嘘」
………危惧したとおりだった。私はムウと頬を膨らました。
「そんな、カラオケに来て歌うたわんやつとかいないでしょ?}
「…結城ブーメラン刺さってるぞ」
「自分歌下手だから、まあいいでしょ」
そう言って結城がケタケタと笑った。カラオケの中ではまた新しい曲がかかっていた。小耳に挟んだだけでは、どんな曲だか想像さえできなかった。
「でさ、家田」
「何?」
「ここからが本題なんだけど…」
私と結城は同じタイミングで唾をぐっと飲み込んだ。そして先に結城が言った。
「家田の家、いつ行く?」
……知っていた。その話が出てくるのではないかと危惧していた。私はこの話がどこかで聞かれていないか周囲をよく見渡しつつ、慎重に口を開いた。
「それ、確定なの?」
「そりゃそうだよ。なんでもひとつ言うことをきくって言ってたでしょ?」
いやそうだけど…
「しかも一番の願いである『自分を殺してくれ』という願望を退けたんだよ?なんでもって条件だったのに」
う、私は痛いところをつかれた。確かに何でもと言っておきながら、条件を付けたのは筋にあっていない。結城は倫理観に即していないが、私は法的契約に即していない。現代日本においては、アルフェラッツ星と同じく契約の方が倫理より重要視されてしまうから、私に落ち度があるのは明白だ。
「だから、この条件に譲歩したんだ。それともこれすら、聞いてくれないって言うの?」
そして結城は少しだけおどけて言った。
「宇宙人なのに」
「いやその理論はおかしい」
私はそのボケにちょうどいいタイミングでツッコミを入れた。
「結城、なんでも宇宙人だからとかアルフェラッツ星人だからとかつけたら解決すると思ったら甘いわよ」
「そうかあ」
少し残念そうな顔をする結城。いや何が不満なんだよ。悪かったなあ私が一見非力な地球人にしか見えなくて。あまり馬鹿にするようだったら、この包帯をほどいてやるからな。この星を消すことなんて造作もないんだぞ。そんな脅し文句も結城の前では無効であり、それを知っていた私はひたすらに頬を膨らますしかなかった。
「で、いつ行く?今日?明日?」
結城は強引に話を戻した。
「いやいや、今日は無理でしょ?」
「なんで?まだ4時とかそんなもんでしょ?」
「いやそうだけど、そんないきなりは無理だよ」
「それもそうか…」
一瞬だけ間が開いたが、すぐに結城が口を開いた。
「一旦、親御さんと相談って感じ?」
「ま、まあそんな感じね」
「そかー了解!また日程相談しよう」
そう言って結城は携帯を取り出した。そして私の方向へ向けた。
「へ?どうしたの?}
「どうしたの?じゃねえよ。line交換しようぜ。毎回毎回携帯の番号に直接連絡するの、面倒だしさ」
そう言った結城は少しだけ照れた顔をしていた。私はここまでやられっぱなしだった鬱憤を晴らすため、少し嫌味なことを言ってみた。
「ねえ、結城なんで赤くなってんの?」
「な…別に赤くねーし」
そう言って携帯をさっとポケットに戻した。
「じゃあいいよ。電話するから」
「いやいや、大丈夫だよ。line教えるからそっちにしよう。私も毎回毎回電話するの疲れるし、こっちのが気楽じゃん」
「でも本当は嫌なんでしょ?」
「嫌?」
「line教えるの」
「いやいや嫌じゃないよ」
「嘘だー」
「嘘じゃないし」
「本当のことを言え!!このツンデレ女」
「な…誰がツンデレ女よ。私は素直で従順で正直者な宇宙人よ。そんな低俗な類型と一緒にしないで」
「……ほんと?」
「本当よ!」
「じゃあ、仕方ないからline教えてあげる」
そう言って結城は再びポケットから携帯を取り出した。私も取り出して、2人でQRコードで友達登録をした。
「ん?結城」
「どうした?」
「なんか結局、立場逆になってない?」
「気のせいだよ」
んんんん?私は疑問に思ったが、速いテンポの会話だったため明確な問題点を指摘できなかった。
「この3日間、色々あったね」
不意にそう結城は言った。
「そうだね」
そう返事してから、私はこの3日間を思い出した。バレーの審判をしていたのが、もう一月以上前に思えた。それから結城と喧嘩して、2人して心塞いで、濱野に目覚めさせられて、姫路や遠垣に元気づけられて、結城を元気づけて、その姿を出森に見られて、沢木に対して励まして、人生初のプールの授業を経験して、テストでひどいミスをして、結城vs亀成の勝負に結果がついて、ついでにまたも姫路には勝負に負けて、そしてカラオケでのどを痛めるほど歌って、今…確かに思い返せば思い返すほど色々あった濃い3日間だった。
「お疲れさまだね、お互い」
私はそんなありきたりな一言でまとめた。でもこの言葉に、この濃い三日間のすべてが詰まっている気がした。
「ありがとうな、家田」
そう結城はしみじみと言ってきた。
「お前のお蔭で、また頑張れそうだ」
こんな一言を添えて
「…そっか」
そう言って、私は少しだけ顔を伏せた。照れてしまった顔を見られたくなかった。紅潮する頬を結城のせいではなく夏のせいにした。人生17度目、地球に来て3度目の夏休みは、もうすぐそこにまで近づいていた。