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72枚目

「何も知らないわよ」

 私はズーズーとストローをすすりながら答えた。少しだけストローの先っぽを噛んでしまう癖は、おそらく一生治らないだろう。悪い癖だとはわかっているのだが、無意識になるといつもストローを傷つけてしまうのだ。この時もそうで、右手でコップを持ちつつ甘噛みを繰り返していた。

「結城と大した話とかしてないし」

「でも今日の途中から、明らかに復活した感じだったっすよね?」

「知らないわよ。話してすらないし」

「でもプール裏で話し込んでたっすよね?」

 う、私は痛いところを突かれてしまった。いやそうだけど。間違いなくそうだけど。

「…杏里ちゃん、オレンジジュース溢れそうっすよ」

 そう注意されてようやく私はそれを机に置いた。そして頭を抱えつつ、目線だけきっと沢木の方を向けて尋ねた。

「……………なんで知ってるの?」

「出森さんから聞いたっす」

 出森いいいいい。これはしばかなあきませんわ。私はどこの言葉がよくわからない方言を操りつつ目一杯片目で沢木を睨んだ。というかこれ、普通にやばいのでは?私明日にはめちゃくちゃネタにされているのでは?地球ではこのころの中高生の嗜好として、黒板に恋慕の噂になっている2人の名前を書き傘を付け加えるというものがあるらしい。そんな儀式のようなものを、私と結城がされるかもしれない。これは中々に屈辱的だ。ん?なんで屈辱的だって?だって私は宇宙人なのだぞ。高貴なるアルフェラッツ星人なのだぞ。そんなアルフェラッツ星人と地球人など、到底結ばれるべきではない。宇宙の法則が乱れてしまう。そんな2人なのに地球人中高生のからかいのネタになんて、恥ずべきことだ。なんかドラマとかでよくありそうな設定だなと一笑に付した後、ようやく私は口を開いた。

「まあでも、大した話はしてないわよ。『今日、晴れてるね!』とか」

「今日まあまあ曇ってたっすよ」

「知らないの沢木?空に雲が8割以上ないと曇りって天気予報にならないのよ」

「あ、それ知らなかったっす!勉強になるっすね!」

 いやこれ中学生レベルのことだぞ…有田といい結城といい、本当にうちの高校に入れたのか怪しい学力のやつが多くて呆れてしまいそうになった。

「でも、なんか抱きついたりして…」

 ガシッ!!!すでに飲み終わっていたオレンジジュースのコップが大破する音がした。ついでに中に残っていた小さい氷が少しだけ噴出した。

「おい…………沢木」

「な、なんすか?」

「もう一回言ってみろ……今の言葉」

 沢木は明らかに怯えた顔をしていた。

「や、なんでもないっすよ!なんでもないっす!」

「そ、そうよね!!なんでもないわよ!!」

 私は満面の笑みを浮かべた。しかし中々口角が上がり切らなかった。

「そうすよ!まさか仁ちゃんと杏里ちゃんが抱きつい…」

「あぁん???」

 自分でも驚くほどドスのきいた声だった。

「じ、冗談っすよー」

 そう沢木は動揺しながらポテトを口に含んでいた。冗談じゃねーだろそれ。完全に見たんじゃないかそれ。もしくはそれすら出森が流したのかもしれないけど…私は頭を抱えたくなった。そして昼間の所業を暑い夏のせいにしたくなった。

「そういや、今日は野球部試合じゃなかったっけ?」

 おそらく野球部関連で何か聞きたいのだろう。そう察した私はあえて話を振った。この日の沢木の服装は、いつもの野球部専用クラブジャージではなく、学校指定の体操服だった。

「あれ?なんで杏里ちゃんが野球部の試合日程知ってるんすか?」

 それなのにこの男は空気を読まずに私に質問してきた。いやそこじゃないだろう論点は!!私は正直に答えるのを嫌がり、またもごまかしに走った。

「あれよ!ネットで見たのよ」

「ホームページとかっすか?」

「そうそう」

「結構野球興味あるんすね!!」

 そう言って沢木が少しニヤッと笑ったので、

「あら沢木、何か言いたげじゃない??ちょっと言ってみなよ」

 と脅しをかけたら

「すみませんっす杏里ちゃん。謝るので瞳孔開くのやめてほしいっす」

 と有条件降伏をしてきた。私は満足げにいつもの表情に戻した。

「話戻すわよ。応援とか行かなくてよかったの?」

「いやあ流石に学校行事優先っすよ。メンバーに入ってたら別っすけどね。まあ…」

 沢木は苦虫を噛み潰したような顔をしつつ言葉をつないだ。

「仁ちゃんは…メンバーだったんすけどね」

 その哀愁漂わせた顔は、おおよそこれまで私が見てきた沢木の姿と全く一致しなかった。

「そっか」

 それにつられて私も声に哀愁を漂わせつつ、夏の紫外線と戦う自分の腕に視線を落とした。今年もこの季節が来たのかと、皮膚が訴えている気がした。

「杏里ちゃん、なんか隠してないっすか?」

「え?」

 私は素っ頓狂な声で応対した。そしてあえて沢木は言葉を切って、じっとこちらを見て来た。それは完全に無言の圧力だった。私は息を少し吐いて、そして答えた。

「私は、野球部のことはよくわかんないからね。それは沢木の役目だよ」

 前後に繋がりのない言葉であることは理解していた。しかしこの話の核心を突く話であることは自明だった。

「まあ、私としてもあまりに落ち込む彼は嫌なわけよ。私はこの星の人達と違って友好的で思いやりのあるアルフェラッツ星人だからね!だから私なりの励まし方をしただけよ。それは多分、あんたの望む方法ではないけどね」

 私がここまではぐらかして来た最大の理由は、同じ励ましでも目的が違うことだ。

「結城、野球部辞めたの?」

「なんでわかるんすか!?!?そうか!これがアルフェラッツ星人の力…」

 いや誰でもわかるだろう。ただの怪我だったらあんなに険悪になりはしない。

「事情とかはよく知らないわよ。私は彼に一切何も聞いてないから」

 向こうから乗って来た宇宙人ネタを、私はあえてスルーした。

「そうっすか…」

「なんで辞めたかとかも知らない。そもそも野球部の話なんてしてないわ」

「じゃあ何をいったんすか?」

 何を言ったのだろう。それを一言で片付けてしまうのはいささか難儀だ。しかし私はこう纏めた。

「冗談、かな」

 はあ?という顔をする沢木の心情が痛いほどわかった。でも一言で表すなら、こんなにも皮肉を効かした事実はないだろう。あれは冗談だ。虚構だ。戯言だ。そんなこと知っている。でもその狂言に、人は救われる。私もそうだし、多分彼もそうだ。そんなこと、普通の人間にはわからないだろうけれど、でも確かに私達は、嘘で塗り固められた世界で、現実を生き抜いているのだ。

「だからさ、野球部に連れ戻すのはあんたの仕事よ。私は私なりに治療をしたから、後は頑張りなさい」

「なんか、お姉ちゃんみたいっすね」

 お、あまり聞きなれない形容をされてしまった。

「でも、元気出たっす!ありがとうっす!」

 そう笑った沢木は、本当につきものの落ちた顔をしていた。彼も彼なりに悩んでいたのだろう。なんせバッテリーなのだからな。バッテリーってなんだったかもう朧げになって来たが。

 そしてこの後2人で、訳のわからない話を終始していた。ヤモリとイモリの違いとか、夜笛を吹いてはいけない理由とか、そんなおばあちゃんの知恵袋みたいな話だったと思う。くだらない話の連続だったが、ここのところ頭悩ますことが多かった私からしたら良い清涼剤だった。そして最後に、

「あんたは、もっと強引に関わるんだよ」

 とエールを送っておいた。何故なら沢木は、現実に生きている人間だからだ。私のような嘘にまみれて生きている人間にはできない人との関わり方ができると、そう思ったからだ。それに沢木が親指を立てていたのが、最も印象として残っていた。

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