68枚目
「こんなところに呼び出して、何の用だ?」
秘密の話をする定番である体育館裏は、実はわが学校には存在していない。体育館と塀が密接にくっついているからだ。だから私が呼び出したのはプールサイドの裏手だった。少し薄暗く、また人通りも少ない場所だが、立ち込める塩素のにおいだけが課題として残っていた。
「残念だったわね、結城」
私は芝居がかったため息をついた。
「は?何がだよ。そもそもBチームの試合が終わった瞬間にここに来いって、確かに俺らのバスケの試合はまだ先だけど、そろそろクラスの輪に…」
「貴方のことが母星にばれてしまったのよ。昔私の調査書を見られた件がね。いやあ私も不覚だったわ。まさか私の包帯に盗聴器が仕掛けられていたなんてね」
結城は頭にはてなマークを浮かべていたが、その姿こそが彼が未だ彼ではない証拠のように思えた。
「だから、今アルフェラッツ星では激しい議論が繰り広げられているわ。なんせ私達は平和で友好的だから、殺したり口封じといった野蛮な手は打ちたくないのよ。それでも私の失策と、貴方の存在は看過されるべきものではないわ」
「そういやそんな話、あったな」
まるで懐かしい思い出のように結城は言った。私にとってそれは思い出ではなく喫緊の出来事だった。
「だから私から交換条件を出そう。もしも貴方が大人しく暮らすのであれば、私は貴方には一切干渉しない。私をエイリアンだと吹聴したり、地球侵略を構想しているなどといったことを周囲に漏らさないのならば、その命は保証しよう。しかし、一度でもそのことを周囲に言ったとしたら、わかっているな?」
「はなし、そんだけ?」
私の想像以上に、結城は冷たい反応だった。私はそれに不満げな顔をしていた。
「そんなに頬を膨らますなって。いや、その、なんだ?励まし?てくれてるんだよな…ごめ」
「励ましなどではない。これは最後通牒だ。貴方に対するな」
私はそう毅然と言い放った。
「さあ、誓ってもらえるかね?私の真の目的を、貴方の墓まで持って行ってくれるのか?」
「ああ、もってくよ。つうか他に言う人とかいねえしな」
明らかにその発言は、クラスメイトの反応と似たものに成り下がってしまっていた。
「よろしい。しかと受け止めておくんだな」
「…というか、お前もしかしてそれだけのためにここに呼び出したのか?」
「それだけだとぉ?」
私は濱野がやっていたような少しどすの聞かせた声を真似して意識的に出した。
「貴様我が星の一大事に対して良くそんなこと言えたな!」
ここまで威勢のいい言葉を発したのはいつぶりだろう。もしかしたら人生初かもしれないほど、私の声は自分でも驚くほど通っていた。
「いや…だってお前の報告書全部日本語だったじゃねえか…」
「そんなはずはない!!あそこに書かれてあったのはすべてアルフェラッツ語である!」
「いや、やはりこの国の青年たちには陰湿な印象を受けているって、ガッチガチの日本語で書いてあったぞ…」
「まさか…お前あれが読めたのか?もしかしてお前も新種のエイリ…」
「あのなあ家田」
やたらと怒気のこもって名前を呼ばれたため、私は少しだけ怖気づいてしまった。流石に筋肉モリモリの野球部員にすごまれては、私も仰け反ってしまう。しかしそんな怯える私に気付いたのか、すぐに結城は声色を優しくした。
「い、いやすまんな。とにかく、俺を励ましてくれてることはわかったわ」
そして私の頭を遠慮がちにポンポンと叩いた。大きな手が、私の包帯にあたって少し視界を揺さぶった。
「ありがとう、そしてごめんな。もう元気になったから、体育館に戻ろう…」
「違う」
私はついに堪忍袋の緒が切れてしまった。そして彼の右手を掴み、私の頭から離れさせて宙に浮かせた。下から目線で彼を覗くと、目一杯の困惑した顔をしていた。
「反応が違うのよ!!!結城ぃ!!!」
「な、何が違うってんだ」
「何もかもよ。貴方がする反応は困惑でも後悔でも怒りでも感謝でもない!!!『俺を殺して、世界を救ってくれ』だろ???」
私は全力で結城の真似をしたが、濱野のようにうまくは真似できなかった。
「いつもの結城はどこに行ったのよ!!すぐに面倒なことにちょっかい出して、死にたいだ殺してくれだ世界を救いたいだわけわかんないこと言って、それでも最後には私を救ってくれた。そんなよくわかんなくてねちょねちょしてて…それでも頼りがいのあるのが結城仁智って男なんじゃないの?」
「なんだよそれ、偏向入ってんぞ。俺はそんな人間じゃ…」
「私にとってのあんたは、そんな人間なんだよ!!!」
そう言った私は、結城の右手を開放すると同時に、ばふっと結城に抱きついた。腰に手をまわして、ちょうど胸筋の所に頭が収まった。
「え?ちょっと家田…」
「ねえ結城、現実から逃げたって…いいんだよ」
私はあえて結城の表情を見なかった。まるで結城の心臓に向けて話し掛けているような、そんな状態だった。
「私は、貴方がどんなことで悩んでいるのかわからないし、どんな生涯を歩んできたかなんて知らない。だからもう、前みたいに貴方の領域にずかずか入り込んだり、身勝手な心配なんてしないよ。でも一つだけ…お願いがあるんだ」
鼓動が早くなるのが感じた。私は一か月前の誓いを、ここで言葉にすることにした。
「一緒に、夢を見ようよ」
「夢?」
多分結城は、何言ってんだこいつって顔をしていたと思う。
「うん。夢を見よう。私達2人の世界を守るためのさ。いつかこの嘘から目覚めても生きていけるようになるまで、何度も何度も、いつまでもどこまでも見続けようよ」
「ごめん、ちょっと意味が…」
「私と貴方は、似た者同士だと思うんだ」
私は優しく語りかけるように言った。
「ねえ結城、つらい現実から逃げてきた過去はない?」
私のことだ。
「理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しんだことはない?」
まさしく私のことだ。
「今まさに直面している現実に、理想の自分が殺されそうになってない?」
どこまで行っても私のことだった。
「そんな時はさ、夢を見るんだよ。私は、貴方は、自分たちの理想としている自分になれているって」
「それは、虚構だよな」
「虚構だよ」
ここで嘘だと認められるようになったのが、多分私の成長だ。
「でも…虚構の自分でも、人は前に進める。つらい現実と戦い続けられる。そう思うんだ」
正確にはこれは希望的観測に近かった。
「というか、私はもう、この方法じゃないと前へは進めないんだ」
でも、これを信じなければ、私の世界はいとも簡単に征服されてしまうことは明白だった。
「だからさ、結城。もしも貴方が、私と同じなんだったら…」
一瞬だけ、私は腕に力を込めてさらにぎゅっと抱きついた。
「一緒に、虚夢を見よう」
そして一瞬で私は結城から離れ距離をとった。そして馬鹿でかい大声でこう言ったのだ。
「はーはっはっは!!!!!どうだ驚いたか。異性に抱きつかれた男の心拍数の上昇数値をとらせていただいたぜ!!これは良いデータだ!!!少しくらい失態の償いになるだろう!!」
そしてもう一度はーっはっはっはと大きく笑った。無論、結城は何が起こったのかよくわからない困惑した顔をしていた。
「ではクラスメイトの結城君、さらばだ。私は忙しいのでな。次は体育館に向かおうか」
そう言って体を反転させて、少し進んだ瞬間だった。心に浮かんだ言葉を、気づいたら口にしていた。
「…もっとしっかりしないと、あんたの心…私が征服しちゃうわよ」
そう小さく小さく呟くと、私は小走りでその場を去ってしまった。熟れたトマトのように赤い頬をしながら、もう二度と結城の方を振り向かなかった。




