67枚目
遠くの方で手を振っている遠垣の姿を発見した。この時はもう、男女混合のAチームの試合が始まろうとしていた。私はBチームだったから、まあいなくなってもいいだろうとそれとなくその場を離れた。
「あ、本当に来たんですね」
バックネットの裏側にもたれかかりつつ、遠垣ははかなげな表情でこちらを見ていた。やたらその顔が美人に見えた。私への当てつけか?
「…あんたが手を振ったからこっちに来たんでしょ?」
「まあそりゃそうですね。ドッチボールお疲れ様です」
遠垣は手を合わせて上目遣いをしていた。
「ありがとう、というか今日はあんた何もないでしょ?何しにここに来たの?」
「いやだなあ。杏里先輩の雄姿を見に来たんじゃないですか。期待通り、何にもないグラウンドで転んでボールぶつけられていましたよね?」
な…それは言わない約束であろう。そもそもあんな人が多いのにけつまずいてこけるなという方がおかしいだろう。決して私がどじだからではない。どじだからではない。念のためもう一回言っておこう。私はどじなのではない。
「で、用件は何?」
未だに少しだけ汚れていた頭を払いつつ、私は意識して冷たい声を出した。少しだけ睨んでいたのだが相手は理解したのだろうか。
「…なんかその冷たい言い草、いつもの先輩っぽいですね」
そう言ってふふふと笑う彼女が、天使のように見えた。なんだこいつ。もっと煽ってくると思って激しく否定した私がばかみたいじゃないか。
「私は通常だよ。そうでしょ?」
「頭に包帯巻いてる人にそんなこと言われたくないですね。全国の普通な女子高生に謝ってください」
「仕方のない理由があるからだよ。ほら、JKだって胸の形が崩れるからブラジャーするでしょ。私にとって包帯はそれくらい大切なものだ」
「…今度は貧乳な女の子に謝ってください」
おうそれは煽りか?その胸のふくらみ具合はどう見ても私の方が小さいだろう。そうだろう?わかったら訂正するんだな。謝るのはお前の方だ。
「…元気になってるようで、良かったです」
そう遠垣らしくない言葉をかけてきた。私は面食らって少しだけ視線をそらした。
「あんたが心配することないでしょ?」
「…冷たすぎて泣きますよ」
そう言った遠垣の顔が本当に泣きそうに見えたのは錯覚だっただろうか。
「冗談よ冗談。ありがとう、遠垣さん」
「…来夏って言っても良いんですよ」
「下の名前で呼ぶのはキャラじゃないよ」
「地球では親しい間柄の人間とは下の名前で呼び合うのが慣例なんだよ?知ってた?」
う、私は痛いところをつかれてしまった。そういうことを言われてしまっては、下の名前で言わなければならなくなるではないか。私自身あまり良い思い出がないからやりたくないのだが、それは宇宙人としての私には不適格な理由だ。
「親しくしようという気がないのだから仕方ないだろう。私達にとってお前らはしょせん異星種族だからな。並の地球人とは一緒にしてほしくないな」
自分にしては割とうまい返しができたと思った。それを認めたのか、また遠垣はふふふと笑った。馬鹿にされているような気がしたが、気のせいであると思うことにした。
「やっぱり先輩はそうやって、よくわからない設定に則ってロールプレイングしている方が似合ってますよ」
「ロールプレイング?」
「なりきって役を演じることですよ。最近メイド喫茶の常連さんが教えてくれました」
おうつまり私は宇宙人という役を演じていると言いたいのだな。それは違う。私は宇宙人だ。紛れもなくアルフェラッツ星人だ。なんて、馬鹿な妄言だがな。
「これでも責任、感じてたんですよ」
「責任?」
「だって前、言っちゃったじゃないですか。たまには冒険してみるのも悪くないって」
そういえば言っていたな。私は全くそのことについて頓着していなかったから、今更になって思い出していた。
「それに最近もやたら教室で色々とやってたから、どっかで原因になってたんじゃないかなあって」
「いやいや、そんなことないよ」
なんだこれ、調子狂うなあ。いつものいたずらっ子っぽい遠垣と違って、そのいたずらが取り返しのつかない災厄をもたらし本気で反省しているような、そんな表情をしていた。その災厄とは私と結城のことだろうか。ならばそれはお門違いだ。私達はそんなことで関係が崩れたのではない。
「大したこと、無いよ。徐々に回復してきたし」
「…何があったんですか?」
遠垣はかなり遠慮した顔で聞いてきた。
「…言わない」
どこから言えばいいかわからないから、私はまた視線を外して地面に向かって吐き捨てた。
「なら、いいですよ」
遠垣は慈愛に満ちた顔をしていたが、それが私にとっては辛かった。
「…先輩、変わらなくてもいいんですよ」
唇噛んで、少し頬を膨らまして、手を前で組みつつ、遠垣は話し始めた。
「最近の先輩は、ちょっと無理してたんじゃないですか?急にテンションが高くなったり、リーダーになったり…変わることは悪いことじゃないと思いますけど、無理して変わるのはよくないことだと思いますよ。先輩は、今のままでいいと思うんですよ。また変わりたいと思えるまで、そのままでいいと思うんですよ」
私も気づいたら、唇を嚙んでいた。
「なんて、何も知らないのに説教なんて、お節介にもほどがありますね」
「いや…ありがとう」
私は十分な間をあけてから、慎重に尋ねた。
「結城も、そんな私の方がいいのかな?」
なんでこんなことを聞いたのだろう。そんなこと、当時の私でないと分からない。
「そう、だと思いますよ…」
遠垣は少しだけ戸惑いつつそう答え、
「やっぱり、結城先輩となにかあったんですかぁ?」
そしていつもの煽り遠垣に戻っていた。
「べ、別に例えばの話よ例えばの」
「例えばでなんで結城先輩の名前が出るんですかねえ。例えばさっき抱きつかれていた姫路先輩とかでもいいわけじゃないですかぁ」
確かにそうだ。さっきのやり取りからなら姫路の方から例に出すのが普通だ。
「まあ、わかった。つまるところ周りは私を宇宙人であると理解したということだな」
私は誤魔化すようにそう胸を張った。そこで私は、とある誓いを思い出した。
―私は宇宙人であると言い続けよう。例えそれに耐えきれなくなっても、彼がいる限りはそう振る舞おう―
身体の芯の底から負の感情がわきだした。こんなにも暑い日なのに、頭からつま先まで完全に冷え切ってしまった。
―何度でも自分を騙そう。何度でも2人で夢を見よう。私は宇宙人である。誇り高きアルフェラッツ星人である―
なんでこんなことを覚えていなかったのだ。何で今まで忘れていたのだ。自分を恥じた。自分を悔やんだ。自分の愚かさ加減に狼狽してしまった。
―いつかその嘘なしでも生きていけるようになるまで、何度も何度も言い続けよう―
私は、私達は、未だ嘘まみれの夢の中にいるというのに…
「そういや、明日打ち上げでカラオケ行くらしいですよ」
いきなり遠垣がそう声をかけたので、私は少しだけ動揺した。
「クラスのみんな?」
「はい」
なんで私よりも知ってるんだという突っこみを胸にしまった。そういや前そんな話はしてたけど、具体的な日程に関してはまだ知らされていなかったというのに…
「楽しんできてくださいね。先輩。歌う曲が無かったらアドバイスしますし」
「…善処しておくよ」
そして遠くで笛が鳴った。次は私達のチームの出番だ。私はバックネットからクラスの方に合流しようと思った。そして別れ際に、
「元気、出たよ。ありがとう」
と言って踵を返した。私は幸せ者だ。私には不釣り合いなほど幸せだ。こんなにも自分を励ましてくれる友人がいる。自分のことを理解して、心配して、背中を押してくれる友人がいる。私には、彼女たちに何も返せていないのに…
彼女たちの期待に応えよう。あいつの世界を戻しに行こう。征服しに行こう、みんなの世界を、私達の虚夢を、決して壊してしまわないように。




