66枚目
皆からワンテンポ遅れるように更衣室に行って体操服に着替え、皆からワンテンポ遅れて合流した。お蔭さまで周りから心配の声をあまりかけられることのないまま開会式が始まり、すぐに競技へと移っていった。どうやら一応ながら結城も参加しているみたいだった。開会式で前の方でのんびりあくびをしていたが、よく考えると彼は日ごろからあくびをするのでそれがやる気のないサインかどうかは決めかねるところだった。
1組から4組は最初バスケ、5組から8組は最初ドッチボールだった。私たち8組は、グラウンドに残ってドッチボールだ。まずは女子だけのチームで行うのだが…まああまりグダグダと書くのもあれなのでバッサリカットしていこう。決して私が活躍できなかったからカットしているのではない。そもそも私はか弱い宇宙人なのだから、こういった野蛮な競技は似合わないのだ。こんな時にまだこんな戯言を言えるとは、私も少しはメンタルケアができつつあるのかもしれない。恵子に感謝だな。感謝したくないが。
「家田さんお疲れ様です」
男子達のグループがグラウンドに入っていったのを見届けたのち、姫路が声をかけてきた。
「いやあ、何にもできなかったけどね」
私はそう自虐した。事実速攻であてられて外野でのんびりしてたし。
「いやいやお疲れ様です…」
そう言いつつ姫路は水筒の水をがぶがぶと飲んでいた。それは女の子の飲み方ではないだろう。少なくともJKの飲み方ではない。私は自作のポカリスエットをちょびちょび飲んだ。この日の最高気温は推定33度。スポーツをする気温ではない。全くこの世界はばかげているぞ。こんな暑い夏の日、スポーツをすること自体間違っているのだ。そんな大したことのないことを思いながら、ぼーっと男子達の戦場を眺めていた。ボールの速さが段違いなんですけど…
「あのう、家田さん。今朝は何があったんですか?」
徐に姫路が尋ねてきた。私は姫路の方を見ずに返答した。
「別に何もないよ。ちょっと気が落ち込んでてね」
「そ、そうなんですか…」
姫路にテンションが落ちていっているのを感じていたが、気にしないふりをしていた。
「ごめんね、心配かけて」
こんな他人行儀な言葉をかけることにも慣れてしまった。
「いえいえ、勝手に心配していただけなので大丈夫ですよ」
そう言ってもなお、彼女の視線を背中で感じていた。私は疑問だった。なんで彼女は、こんなにも私のことを気にかけるのだろう。私が彼女にしてあげたことなんて何もない。強いていうなら一緒に勉強して有田をあてがわしたことくらいだ。しかしそれも今の有田へ幻滅した彼女からしたら大した成果ではないだろう。ならばなぜ、彼女は私に執着しているのだろうか。
「ねえ、姫路さん」
私はそう声かけてから初めて、斜め後ろに立つ姫路の方を向いて尋ねた。姫路は自分が思っていた以上に心配な顔をしていた。美人な顔が歪んでいるぞ。顔面偏差値50の私が言えたことではないが。
「自分のことが嫌いになったことって、ある?」
「自分のこと…ですか?」
男子達のドッチボールは結城が大活躍している所だった。そんな彼を一旦おいておき、私は1人姫路の困惑する顔を見ていた。
「例えばさ、自分のこんなところが嫌だとか、こんなところを直したいだとか…そういうの」
「ありますよ」
上がる歓声が姫路の声をかき消そうとしているように思えた。彼女の大きく透き通る声は、こんな時に荒波に負けない力を持っている気がした。
「というか、家田さんならわかるんじゃないですか?」
私は首を傾げた。
「かわいいですぅー」
そう言いつつ姫路さんは抱きついてきたが、質問に答えろと思った。後少し汗臭すぎやしないかと思った。まったく、顔良しスタイル良しなのに、女の子らしさに欠けていると思った。
「私は子供なんですよ」
姫路は耳元でささやいた。少しだけ周りから視線を引くかと思ったが、接戦の男子ドッチボールに周りはくぎ付けだった。
「負けず嫌いですし、曲がったことは許せないですし、周りに比べられて劣ってるって言われたらもう叫びたくなるほど悔しいんですよ」
そういや昔言われたことあったな。いきなり指差されて怒鳴られたことが。今となっては懐かしいことだ。
「そんな自分が嫌いです。子供な自分が嫌いなんです」
「そう、なんだ」
「家田さんは、私の憧れなんですよ」
鼓膜が揺れるか揺れないか微妙なくらいの声量で、彼女は告白した。私は想定外の言葉の連続に、少しオドオドしてしまった。
「…私なんて、大したことない人間だよ」
「そんなことないですよ。いつも周りを見て、色んな人に気を使えるじゃないですか」
それは、ただ周りを見ないと生きていけない環境にいたからだ。
「それに、失礼なことをしても寛大な心で許してくれますし」
そりゃ、私は身体的危害さえかけてこなければ大体のことは許してしまうからな。寛大なのではなく期待値が低いだけだ。
「そうした大人な所、本当に尊敬しているんですよ」
どんどんと姫路の声量が下がってきていた。
「家田さんと関われて、本当に良かったと思ってるんですよ」
私は申し訳なくなった。私は彼女みたいな女性ではない。私はそんなすごい人間じゃない。今もそうだ。一人の男子のことが救えなくて、落ち込んでなにもやる気が出ないほどメンタルが弱いのだ。いつまでたっても現実が受け入れられなくて、立ち止まってしまっている妄想好きの子供だ。私はそんな、誰かに尊敬されるべき人間ではないのだ。
「だから、しんどくなったら、頼ってくださいよ」
姫路はぎゅっと締め付ける力を増してきた。
「私だって、憧れの人のために何かしてあげたいって、そう思っているんですから」
その腕を、私は静かに振りほどいた。
「家田さん…」
「ありがとう、姫路さん」
姫路は振りほどいた手をぶらんとさせていた。嫌だったのではない。申し訳なく思ったのは事実だ。
「元気、出たよ」
私は満面の笑みでこう言った。例え私が役不足だとしても、彼女の言葉に元気をもらったのは事実だ。そして、私のこの感謝の言葉は、紛れもない本物の感謝だった。それだけは理解してほしかった。だからこそ笑顔でその気持ちを伝えようとした。伝わったかな?伝わっててほしいな。そんな風に他人に思うなんて、本当に久しぶりだな。そんな思いも備えて、姫路に笑いかけていた。