61枚目
テストはつつがなく終わっていった。というか元々テストなんて大したイベントではない。前回は不思議と全員でテスト勉強する流れになったが、普通はこのように一人で受けて一人で結果をかみしめるものだ。それが学生の本分というやつであり、潜入調査という形で地球に来ている私にとってその本分を守ることは絶対の理だった。なんか最近こういう絶対とかそういう決まり事を守ってなさすぎる気がする。入学当初の人と群れない私の方が、よっぽど潜入にふさわしい気がした。
「家田ぁ。せめて数学、数学だけでも教えてくれませんかぁ」
だからと言ってこのひょんなことからできた縁を完全に無視してしまうのも味気がない。今も後ろから有田が縋ってきているが、これを無下にするのも悪いだろう。
「テストとは孤独との戦いなのよ。一人で頑張りなさい」
無下にはしないが、条件は飲まない。明日がテスト最終日という所になっても、彼は自力で勉強する気がないみたいだった。
「でもさあでもさあ。結城は1人で黙々と勉強してるし、姫路さんも一人で勉強してるし、家田までそんな状態ならもう俺頼るあてがないんだよ?」
「それじゃあ頼らなきゃいいじゃない。単純な帰結よ」
「俺がお前に頼らないで赤点回避できると思ってんのか?」
何お前偉そうに自分の情けなさ語ってんだよ。私はそう心の中で毒づいた。
「でもちょっと、勉強会的なことしたかったですね。先輩たちと」
遠垣は少し寂しそうな顔をしていた。めちゃくちゃ自然に会話に溶け込んできた。今日もまた遠垣が教室に来ていたのだ。お前最近こっちに来すぎじゃないか?ただでさえ昼飯は私と姫路と食べてて、私達の教室とか藤棚の下とかに出張してるってのに、クラスでの人間関係どうなってんだよ。無論言葉にしない。私の1年生の時が彼女以上にひどかったから、そんなこと言う資格なんてない。
「だよね?遠垣さん!」
有田は水を得た魚のように遠垣に同意した。
「だって、前の勉強会、結構楽しかったですし。それに…」
「勉強会を開かないと私達と居る時間が減っちゃうから?」
私はあえて冷たい声で言った。一瞬だけ、遠垣は呆気にとられた顔をしていた。有田は無論鈍感だから首を傾げているだけだった。
私は小さな小さなため息をついて行った。
「遠垣はいいよ。勉強する意思があるから」
彼女は恵まれている。少なくとも去年度の私夜は恵まれている。ならばその機会を逸させないほうが、絶対的にいいことだと思っている。
「でも有田はだめ」
「なんでぇ?」
「勉強する気ないから」
「ある!ある!めちゃくちゃある!」
有田は必死に訴えていたが、私はもう見限っていた。前回のひどいありさまに、始める前から徒労感すら感じていたのだ。
「じゃあ、明日のテスト頑張って、自力で赤点を回避しなさい」
「へえ?それは無理だって…」
「テストってのは、どんだけ馬鹿でも自力で勉強したら赤点を回避できるようにできているのよ。もしも赤点を回避できたら、二学期からは毎度毎度テスト勉強会を開くってことで」
そう言い切るとまだ追いすがろうとする有田を振り切り、私は言った。
「んじゃ、遠垣帰るよ」
遠垣は少しだけ戸惑いつつも、しかし私の近くに来る頃には小悪魔のような表情になってこんなことを言い出した。
「先輩、有田先輩の扱い雑じゃない?」
「あいつはあんなもんでいいのよ。遠垣も真似してみればいいのよ」
遠垣ははいっと敬礼のポーズをとっていたが、手の位置が逆だった。そんなしょうもないことも私は飲み込んで、2人で帰っていった。
結局勉強会はしない方向で話が進んだ。二学期までお預けである。私は遠垣を教えるくらいならむしろ大歓迎だったのだが、どうやら彼女は複数人でワイワイとやりたいみたいだった。ならばそれはしょうがない。私は駅まで自転車を押して遠垣にバイバイと手を振ると、その勢いで自転車にまたがった。今にも漕ぎ出さんとせんその時だった。
「話は聞かせてもらったよ、杏里ちゃん」
会談の物陰から急に出てきたのは、変態眼鏡野郎だった。亀成は私の方に近づいてきたのだが、あまりにも急すぎて私は立ち尽くしてしまっていた。冷静に考えれば自転車を語義出せばよかったのに、こういうところが私の甘さだ。
「な、何亀成君!どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ!バスケットのリーダーをやるんだって?実は僕もなんだよ!この偶然はまさに、運命?」
運命ではないと思う。それならむしろ出森と姫路と高見が同じチームになった方が幾分か運命である。それにしても…彼を前にして、声が出なかった。多分有田や結城だったら『は?お前馬鹿じゃねえの?』くらいは口走れる気がするが、亀成を前にすると声が出なくて仕方なかった。何でかは解らなかった。でもそれが苦しくて仕方なかった。
「いやあ、これは神からの啓示に違いないよ。素直じゃないマイハニーを助けろというね」
全身の鳥肌がぶるぶる震え始めた。
「そう思わないかい?」
相変わらず7月初めになっても長袖長ズボン厚手のパーカーを装着する彼が、私には不審者を超えた何かにしか見えなかった。私はまるで借りてきた猫のように静まり、首をフルフルと横に振った。
「まったく、素直じゃないな」
いったい何が素直じゃないというのか。私は彼の言動の理由が分からなくて絶望していた。
「いいんだよ。ほら、こっちに来てよ」
「な…なにするの?」
私はようやく出た声で絞り出すよう震わせて言った。普通の人ならばこれで、『ああ相手の人は俺のこと嫌っているんだな』とか『怖がらせて悪かったなあ。これからは止めておこう』とか、そういうことを思って止めるもんだと私は思う。
「なにって?一緒にバレーボールの勉強をしよう。そしてそれが終わってから、僕が君を素直な女の子にさせてあげるから」
ちょっと、気持ち悪いんですけどーーーー!!!!!私は声ならぬ声をだしつつ、自転車にまたがろうとした。
「何で逃げるの?」
そら逃げんだろボケ!!!なんだ今の言葉。気持ち悪い。気持ち悪い。吐き気がする。身の危険を感じる。
近づいてくる彼の姿に怯えながら、自転車を発進させようとしてペダルを踏もうとしたその瞬間だった。
「何してんだお前は!!!!!!!」
急に響いた大声は、そのまま一メートル前方の亀成に向けて発せられたものだった。私の鼓膜を強く振動させたのも束の間、もう一人の眼鏡娘が亀成に向かって飛び膝蹴りをかましていた。無論、彼はダウンである。
「なにもされてない?家田」
出森はそう言って少しだけ私の方を見た。彼女も彼女で、なんでこいつがいるところがわかったのだろう。ここは学校ではなく街中だ。むしろ一番人通りが多い所だ。そんなところで私達の姿を発見するだなんて、ウォーリー以上の難易度に違いない。
「大丈夫だよ」
「あっそ、ならよかった」
「何でここがわかったの?」
この質問に、出森は少し困った顔をしながら答えた。
「たまたま見えたんだよ」
そう言うと彼女はのびている亀成の首元を掴み、ずるずるとひきずって行ってしまった。なんだ、私以上に素直になれていない人間がいるではないか。私はまた心の中で毒づくと、全身にいきわたり大合唱を繰り返していた鳥肌の音色がやむまで、その場で座り込んでいたのだった。