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59枚目

 さっさと帰ろうかと思っていた教室前で、同じく誰かを待っているかのような結城に会ってしまっては、声をかけざるを得なかった。

「ゆ、結城!何…してんの?」

 結城はゆっくりとこっちを向いた。

「いつの間にそんなコミュ障になったの?」

「ちょっとゆっくりめに声をかけただけでコミュ障認定しないで!」

 確かに自分でもビックリするくらい声が震えてたけど。確かに自分でも明朗快活なJKという認識はこれっぽっちもないけど。それでも、今の結城に言われるのは少しばかり抵抗があった。

「ってか質問に答えなさいよ。教室前で何してんの?」

 そんな内心を押しつぶすように質問をぶり返した。

「沢木が久しぶりに帰ろうって言ってたから待ってんのに、なかなか出てこねぇんだよ。家田さっきまで教室内に居たよな?あいつら何してんの?」

「あれよ、ドッチボールの組み分け」

「はあ?あいつらまだしてんの?」

 結城は呆れた声を上げていた。そしてそれは私も同意見だった。1つの壁、ウォール有田は部外者遠垣によって崩れ去ったものの、まだ沢木と今野という第2第3の壁が残っていた。ちなみに有田はというと、完全に心が折れてしまっていた。遠垣の蔑む視線を一身に浴びていて、その筋の人らからしたらご褒美な展開になっていた。そしてそんな無言の目線を続ける遠垣とは正反対に、姫路からは口撃を受けていた。誤字ではないし、事実誤認でもない。姫路は前の一件から有田のことを完全に幻滅してしまっており、割と最近はきついあたりをしている気がする。まあそれも残念ながら当然というやつだ。

「私も待ってるのよ。姫路さんと遠垣さん」

 当然だと思うから、正当性があると思うから、早く終わらせて欲しかった。すぐに終わると思って外に出たのに、これでは意味ないではないか。

「お互い大変だね」

「そうだねー」

 そう言って2人で笑った。こんな風に、平和に笑える日々だけが過ぎればいいのに、結城はすぐ右手に持っている教科書に目を落としていた。あんなにも逃げていたリーディングの教科書を、まるで穴が空くかのごとく睨み続けていた。

「…真面目になったもんだね、結城も」

 私はまるで何も知らないかのように呑気なことを言った。

「不満かい?」

 不満だよ。

「いいや、真面目なことはいいことだよ」

 その勉強する原因と目的には大きく不満だよ。言わないけれど。しかし言わなければ、上っ面な会話だけでは、すぐに終了してしまう。

「…亀成君と、勝負するんだって?」

 多分口にしちゃいけない名前だったのだろう。それでも私は口にした。だって悔しかったのだ。私だけ置いてけぼりで、結城が頑張っている姿がなんとなく許せなかったのだ。

「どこから聞いた?」

「そこらへんに転がってるわよ。全く、私置いてけぼりにして勝手なこと決めないでよ」

「決めたのは有田と遠垣さんだぞ」

「いや…そうだけどさ」

 そう言いながらも、彼は私の方を全く見なかった。眼中にないみたいだった。当事者なのに…

「言っとくけど、私別に何にもお願い聞かないからね。あれは勝手に2人が言い出したことなんだから、私にあんなことやこんなことさせようとか思っても無駄よ!」

 私は人差し指をビシッと指したが、それでもこっちを見なかった。なんだこいつ…私は怪訝な気持ちで隣にいた。

「…別にどうでもいいよ、そんなこと」

 ポツリと、本当にポツリと彼は呟いた。そしてこの言葉が耳に入った瞬間に、私の彼を見る目が大きく変わってしまった。

 人間も宇宙人もそうだが、我々はある程度頭の中にストーリーを描いた状態で各事象を観察する。より難儀な言葉にするなら先入観というやつだろう。そして外部での事象に対して、その先入観に沿った解釈をしながら生活をしているのだ。これは別に劣った考えだとは思わない。先入観を全て捨てて人と関わるのは労力も時間もかかるし疲労も溜まる。これは我々が得た労力削減のすべであろう。

 しかしながら、その先入観が崩れてしまった時、我々は言葉を失ってしまうのだ。これまで見えていた世界が崩れ去ってしまい、新たな先入観が生まれてくるのだ。今回の事象で説明すると、これまで私に何か自分のさせたいことをさせるために結城は勉強しているのだという先入観が崩れ、また新たな考えを持たなければならなくなったのだ。彼はなぜ、今勉強しているのか。

「ねえ、結城」

 だから次に私の発した言葉も、自明な流れに沿ったものであったと確信していた。

「最近、何かあったの?」

 正直言って、私は最近彼とあまり話していない。そうでなくても不思議200%のやつなのだから、こんな質問は普通であろう。

「困ったことがあったら、相談に乗るよ」

「んなこと、ないよ」

 嘘だ。こんなの、空気を読む特殊能力を持つ日本人でなくてもわかる。

「じゃあなんでそんなに必死に勉強しているの?」

 嘘だと断言できるから、追及はやめなかった。

「学生の本分は勉強だ。そうだろう?」

 しかし向こうも答えたくないみたいだ。なんだろう。どんな事情ができたのだろう。

「いや…そうだけどさ」

 私は返答に窮して黙ってしまった。こういうところでしっかり話せる人間が、将来営業マンとして活躍するのだろうな。私にはそんな技術なんて得てないし、そんな未来なんて享受し得ない。

 2人で壁にもたれかかっていた。教科書をガンつけて見ている結城を、私はバレない程度に横目で見ていた。本当に、どうしちゃったのだろう。前彼は私のポジティブバージョンを見たことがあるが、それと同等くらいに変貌が強力なものだった。隣に並ぶ、彼と私。それはまるで私的想起(トラウマ)という名の部活棟(おもいで)の如くだった。変わっているのは二点、場所と立場だ。あの時とは、立場が逆転していた。そうだ、今度は私が、彼を助ける番なんだった。そう思うと勇気が出てきた。無駄な勇気が出てきた。

「あのさ…」

「あーいたいた家田さん!」

 いきなり声がしたから何事かと思ったか教室から阿部ちゃんが出てきて私の腕を掴んだ。

「いやーやっと見つかったよーどこに言ってたの?」

「や、ちょっと外に…それよりどうしたの?ドッチボールは?」

「ドッチボールは決まったわよ。今は最終段階ってところ!」

「なるほどーあとはバスケ?」

「そう、ここからが本題なんだけど…」

 阿部は少し屈みながら答えた。体育祭はテロ組織からしたら1番狙い目であるからな。体育祭で空いているのは流石に恐ろしいことだと思う。

 そんなここまでの現実逃避を一気に、彼女の言葉が連れて行った。

「バスケの班長はさ、1年生のバレーの審判しなきゃダメなんだ」

 へ?聞いてない。

「だから今から詳しく話すわよ!」

 そう言って前向きな阿部ちゃんの一方で、私は聞いたことのない話題の連続に打ちひしがれていたのであった。


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