55枚目
しばらく固まっていたのにも私は反応せずクリームパンを食べ続けた。空気が凍り付くとはこんな感覚なのだろうか。そもそも君たちはそんなことも知らずにこの話に乗っていたのかと首を傾げたくなったが、まあそもそもが便乗なのだから仕方のないことなのかもしれない。
「え…昨日なんでもないって…」
「え?いやあ出森さん関連の話じゃないから、まあ何もないでしょ?」
「いや、そうですけどなにも…」
「因みにその話、家田は乗ったの?」
有田は姫路の言葉を遮り、小指だけを立てて見せつけてきた。うざかった。私は首を横に振った。
「丁重にお断りしたわ。全く、宇宙人に恋するなんてよっぽどね」
「はあああ、よかったです」
ん?何がよかったんだ遠垣?私は彼女の真意が測れずにちらっとだけ彼女を見たが、確かに本気で安心している顔をしていた。
「なるほど、そういう流れで今日の経緯になるのか」
「そういうことよ有田。むしろわかんないのは結城の反応なんだけど…」
いつも通り昼休みは、結城は野球部の練習に参加していた。そう言えば亀成もいないな。あいつまさか野球部…と思ったが、坊主頭じゃないから違うに違いない。
「結城先輩は、最初は乗り気じゃなかったですね。なんだこいつって感じの顔」
まあそうだろうな。
「やる気になったのは好きなこと命令できるって言った時からだな」
…まあ、そうなるよな。本当にこいつは、私の想像を裏切らない。
「まったく何を頼む気ですかね。男の人が下品ですから、良からぬ想像でもしたに違いありません」
「違うよ姫路先輩、下品なんてもんじゃない、けだものだよ」
「あんたら…本人いないからってひどいなあ」
私がそう言いながら顔を上げると、2人はあたかも当然でしょという顔をしていた。
「まあ一緒に部屋泊まりに来て指一本触れないヘタレだからなあ結城は」
有田は有田でひどいことを言っていた。まったく、地球人の若者というのは概してこういった話をしたがる。こんなこと、個人の尊厳とプライバシーが発達しきった我が星アルフェラッツ星では全く持って考えられないことであった。そういうところは我々を見習ってほしい。失敗することに関してもそうだが、どうにも他人に対して関心のベクトルが向きすぎるのではないだろうか。いくら他人をけなしたりあざ笑ったりしたとしても、一番大切なのは自分だという意識が足りてないんじゃないか?
「それじゃあ、なんでやる気になったんですかね?」
姫路の疑問はもっともなものだ。彼の本性を知らなければ、答えにはたどり着けないだろう。一応一度姫路は見たことがあるが、あれを本音だと思う人間はいないであろう。多分そうだ。だからこれは、私しか知らない彼の秘密だ。
「今度は頑張るんじゃね?」
「有田もう話すな」
「え?なん…」
「口答えする気か?」
私はぎろっと睨んで、有田を委縮させた。
「先輩、最近威厳と貫禄が出てきてません?」
「気のせいだ」
貫禄ってなんだよ遠垣。私ははあと溜息をついて、少しだけ遠い空を見た。
さてその放課後である。さっさと帰って勉強しようと思い校門から外に出ようとした私を、あの眼鏡女が呼び止めてきた。
「ちょっと、河原まで行かない?」
この言葉に、私は従うようについていった。少しだけ思っていたのだ。多分そろそろ、彼女が動き出すんじゃないかって。経験でも勘でもなくそう思っていたのだ。
もう夏本番を告げているのか、4時になってもお日様はまだまだ元気な姿を保っていた。お互い適応な所に自転車をおいて、自然な動きで座り込んだ。風は無風で、熱さが倍増していた。
流石に私はまだまだコミュ障だ。威張れるようなことではないが、知らない人間と話すのは中々にしんどい物があった。だから座ってからもずっと黙っていた。向こうが話し始めるまで黙っておこうと思った。
雲がゆったりと流れていた。あの雲の向こうに、私の星があるのだろうか。そう言えばそろそろお盆である。お盆というのは実家に帰る日だということだが、私は毎年帰っていなかった。今年はどうなるんだろうな。そんなことを思っていたら、目の前の雲がなすびに見えてきて面白かった。
「何顔にやけてるの?気持ち悪い」
第一声がそれかよ。私はようやく視線を雲から右隣に座る出森にシフトした。
「なんか、よくわからない話になってたわね」
恐らく亀成と結城の話しであろう。
「私もわかんないわよ。勝手に話を進められてうんざり」
「その割には、まんざらでもなさそうじゃん」
はあ?私は出森を睨んだ。
「んなわけないでしょ?で、なんの話?」
「こんなことになるとは正直思っていなかった。悪かったね」
私は呆気にとられた。いや、解っていたはずだった。出森が亀成のことについて何かしら言ってくるんだと。それでも、こんなストレートに謝罪をしてくるとは想定していなかったのだ。
「だからなんで、出森さんが謝るの?」
「いいでしょ何でも」
「よくないよ」
そう言って私はじっと出森を見た。出森が視線をそらしても、私はじっと見ていた。ここら辺の積極性が、遠垣や結城や姫路と接する時とは大きく違っていた。
「まったく、ただの幼馴染よ。たまたま私の隣にあいつが生まれただけ」
そうか。でも、私が聞きたいのはそこではない。
「幼馴染ならさ、もっと教室とかで仲良くしてあげたらいいじゃん」
「いやだよ。私あいつ嫌いだし」
「嫌いなのに幼馴染なの?」
「幼いころから知っていたら全員幼馴染だよ」
そうなのか。幼馴染はとても仲良くしているものというイメージが、少し崩れてしまった。
「でも、私のことは助けてくれたよね?」
出森はうって声を出した。
「それは…その…」
「しかもあれ、最初は出森さんが呼び出したんだよね?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。ごまかしても無駄よ」
あの日は確かに出森からの呼び出しだった。だからこそ姫路はあれだけ心配したのだから。
「嫌いなら関わらなきゃいいのに、なんで?」
ここまで聞いて、出森はあーあと明瞭なため息をついた。
「あんたって、案外しつこいんだね」
「宇宙人だからね」
私のどや顔を、彼女はスルーした。
「人の立場は、誰と関わるかによって規定される」
いきなり、突然、雷鳴のごとく、出森はつぶやいた。それは昔、ほんのちょっと昔、私が心で思って仕方のないことだった。
「悪いけどね。私はこの学校で最底辺クラスになりたくないのよ。誰とも話さないで、クラスに居場所が無くて、周りから奇異な目で見られる、そんな風にはなりたくないの。そう、今のあいつみたいにね」
「それじゃ、私ともかかわれないね」
「そりゃそうよ。だからここで話してるんでしょ」
出森はバッサリと言い放った。
「でもそれでも、出森さんは見捨てないで、そうやって裏から支えてるんだね」
「はあ?ち、ちげーから…」
「違うの?」
私は精一杯首を傾けて、猫なで声で挑発した。こんなところでよどんだ感情押し殺して他人を煽れるようになったとは、大した成長である。自画自賛である。
「ちげーよ。これはその…何だ…」
そう言いつつ、出森は赤くなって黙りこくってしまったのだった。