52枚目
いったい何が起こったのか。いつもならば私が順を追って説明するところなのだが、今回に関しては申し訳ないが無理だ。できない。何故かって?私すらよくわかっていなかったのだ。私はただ、出森に呼ばれてびくびくしながら校舎裏に来たというのに…すでに暴れ回りそうな姫路を部活に派遣させて、隙あらば人助けをしようとする結城を説得して一人できたというのに…そこに居たのは出森でも、陰口3人衆でもなく、今日初めて顔と名前が一致したばかりの亀成君だった。そして、謎の告白である。
「へ?へええ?」
私は驚きすぎて赤面すらしなかった。なんだこの人、ほとんど話したこともない人に告白してきたぞ。地球の男というのはこういう生き物なのだろうか。それとも夏なのに好んで黒色の長袖シャツを着て袖まくりすらしない目の前の眼鏡が異常なのか。しかし地球の男で異常なのはみんなそうだと思えたから、後者の説には否定的だった。悪いのは結城だ。間違いない。
「あの…ちょっと待ってね!」
「はい」
はいってなんだよと思いつつも、私は突っ込まなかった。流石にほぼ初対面の人にやんや言うほどフランクではない。
「まず私達、話したことないよね?」
「そうだね」
「うん…だからいきなりそんなこと言われても…」
これは私の中でも最大級に大人な対応だった。恋愛経験知0で生きてきた女にしては上出来ではないか?動揺しながらでもこんな対応ができるようになったのは成長ではないか?大したことねーよと思われるかもしれないが、地球に来て3年の宇宙人がこんな婉曲的辞退をしたのだと思うと、そのすごさが際立つのではないか?私はプールの授業で失っていた自信を、少しだけ取り戻した。次の亀成君の言葉を聞くまでは…
「え?だって君は僕のこと好きだよね?」
流石にこの時だけは、私自身の耳を疑ってしまった。
「な、なにそれ?誰が言ったの?」
亀成は涼しい顔をして言った。
「君の視線が、そう言ってたよ!」
そう言って亀成は眼鏡を通してウインクをして見せた。私はドン引きしつつも事態が呑み込めずあたふたしていた。どゆこと?私、貴方に話しかけたことないんだけど?視線が言ってたって何?
「今日のプールの時間のことだ。僕は君の隣で一緒にレポートを書いていたよね?その時に感じたんだよ。君からのあっつい視線をね!」
あっつい視線?たしかに私は一回亀成のことをガン見したけれど、それはあんたが夏なのに長袖のジャージきてたからだろ?
「その時僕は思ったんだ。ああそうか。彼女は僕に劣情を抱いてしまったんだって。隣に座る男女、暑い日差し、2人きりの空間に熱い視線。これはもう、そうとしか考えられないんだよ」
そう言って亀成はぐんと顔を近づけてきたから、私は反射的に後ろへのけぞった。
「いいんだ。いいんだ。君は何も言わなくていい。だって、女の子にわざわざ告白させるなんて、紳士じゃないからね。だから僕から告白したんだよ。君はただ、自分の思う通りに行動すればいいだけさ」
のけぞってもまだ近づいてくる亀成に、私はいよいよ怖くなってきた。わからない。目の前で話している男の子の言っていることが全然わからない。ただわからないだけ、理解できないだけだったら結城だってそうだったが、彼にはそれ以上の物理的恐怖を感じた。決して話し合ってもわかりあえないだろうなという核心めいたものがあった。
本当はここで逃げて仕舞うのが吉だったかもしれない。それが日本人らしさなのかもしれない。しかしながら私は宇宙人である。アルフェラッツ星人である。こんなことで屈したりはしない。しっかりと訂正してから帰ろう。じゃないと、せっかく有田との噂が下火になってきたのに、また訳の分からない色恋沙汰がぶり返してしまうではないか。
「勘違いさせたのならごめんだけど…そんな気は一切ないよ」
私は非常な宣告をした。
「変に気を使わせちゃってごめんね…私は君のこと、好きとか嫌いとかそんなんじゃなくて、まだよく知らないからさ。この話は無しで、良い?」
私は話しながら自分のコミュニケーション力の向上に内心ガッツポーズをしていた。ねえすごくないすごくない?いつもならわたわたしながら流れに身を任せる私が、こんなに相手の気持ちも介して断りの言葉を言えたんだよ。こんなことで褒めてくれるのは自分しかいないから、目一杯自画自賛していた。これなら、相手だって理解してくれただろう。にしてもなんか、思い込みが激しいというか、自意識過剰というか…どういえばいいかわからなかったし、どんな人なのかもよくわからなかった。
「そうかそうだったんだね」
お、ようやくわかってくれたか。そう思った私がばかだった。
「そんなにも君は照れ屋さんなんだね」
…なにをいってるんだこいつは…
「いやあすごいよ。そうやって、僕の好意をうまく受け取らずに、自分の気持ちを押し殺しているんだね。そんなことしなくたって、僕には全部の感情をさらけ出してくれたらいいのに」
そう言って亀成は家田の手を掴んだ。少しねっとりしてる気がした。私はついに逃げ道を失ってしまった。
「ほら、大丈夫だよ。素直になって」
「い…いやもうすでに素直というかなんというか…とりあえず手を放してくれない?」
「手を離したら、僕の勇気が消えてなくなるよ?」
なくしてえわそんなもの!私はふんと思いっきり手を振ったが、中々離れてはくれなかった。
「だったら落ち着いて聞いて。私はあなたのことが好きじゃないの。本当よ」
「そう思い込んでるんだね」
「ちがうから!本心だから!」
「昔とある人が言ったんだ。本心だ!ってことは本心じゃないって!好きじゃない!ってことは好きなんだって」
おいこいつにこんなこと教えたやつ出て来い!私が成敗してぼこぼこにしてやるわい。細身の眼鏡かけた華奢男の抵抗すら解放できない女の子の戯言だった。
「だから今の君は、本心じゃない」
そう言ってまたウインクをしていたが正直寒気がした。いやね、私だって初めての恋愛相手くらい選びたいんですわ。今日初めて会って初対面で告白されて今この状態って、どう擁護してもおかしすぎるだろ。私は更に体を近づける亀成の顔が、とても恐ろしい何かに思えた。
「ほうら、もういちどいってごらん。好きだって」
いや言った記憶ないわ。
「ほら、早く…」
ちょっと待って、近い近い気持ち悪い。嫌だ嫌だ誰か助け…
この一瞬に、結城の顔が浮かんだ自分に後悔した。あんなに助けてもらっておいて、また助けてもらおうとしているのか。私はなんて乞食なんだ。私は彼に、何も与えられていないというのに…ほんと、最低だ。何があんたを救うだよ。なにが…
時にネガティブな感情は、意外な人間に駆逐される。その時のヒロインは間違いなく出森だった。出森が後ろから亀成を殴った。そして振り返った亀成の腕をつかみ、出森はずんずんと校舎裏の奥のほうに歩いていこうとしていた。そのあまりの急展開に、私は全くついていけなかった。手の甲には汗が溜まっていた。
「あ、ありがと…」
「誰にも言うなよ」
割と本心でお礼を言おうとしたのに、それすら出森はさえぎった。
「私がこいつと関わっていること、誰にも言うんじゃねえぞ。言ったらまたいじめてやる」
そんな子物のような捨て台詞と、敵のような視線を送りながら、抵抗する亀成をシカトしつつどこか奥の方へ行ってしまった。私は、一連の出来事をまだ完全に把握できず、とりあえずの安堵感で地面にへなへなと腰をついてしばらく動けなかった。