50枚目
次に結城にあったのは、週初めの駐輪場だった。私は少し何かを探していそうな結城を見つけて、少しだけトーンを上げて近づいていった。
「おっはよー結城!」
結城はびくっと背中を震わせて、こちらを見た。
「ねえどうしたの?自転車の前で鞄なんか漁っちゃってー」
「…なんでそんなにテンションが高いんだ?家田」
「えー別にそんなことないよー」
と言いつつ確かにテンションは高めだった。
「ねえどうしたの?鍵無くしたの?何か忘れ物したの?探すの手伝ってあげようか?」
「…お前は誰だ?地球人か」
結城は邪険な顔をしていたが、私はめげずに絡みに行った。
「宇宙人よ。アルフェラッツ星人よ」
「俺の知っているアルフェラッツ星人は1人しかいないが、いつもやる気なさげにしつつ周りに巻き込まれてひーひー言ってるぞ。少なくとも今のお前みたいなお節介な奴じゃない」
「ふん!学ばない人間どもとは違うのだよ。これからはニュー家田杏里、いやニューアルフェラッツ星人よ!これまでの私と一緒にしてもらっちゃ困るわね…で、どうしたの?助けてあげよっか?」
我ながらひどい洗脳である。しかしこれが私の持ち味だ。その表情から察するに、結城からは大不評なようだが。
「悪いけどさっき見つけたよ鍵。全く、取り外し式じゃないやつに変えようかなあ」
そう言いつつ結城は自転車の鍵らしきものを鞄の奥から抜き出してきて、それを自転車の鍵穴に差し込んでいた。
「そんな不満そうな顔をするな」
あまりに露骨にふてくされてしまったのか、結城にそう窘められてしまった。まあこんなことで返せる恩だとは思っていないが、しかし中々に不満である。
「つうか鍵無くすとかいつかのお前じゃないんだし」
「な…それは言わないでよ!もう新しい私になったんだからー」
「…大体、どの辺が変わったんだよ?」
「変わったでしょ?今の私は明るくてしっかり者で気遣いもできる宇宙人なのよ。だから困ったことがあったらいつでも頼るのよ。今のあたしなら、あんたの問題なんてちょちょい!っと解決しちゃうんだから!」
「…懐古厨で悪いが、昔の家田の方がよかった」
どうやら本気で気に入らない様子だ。しかしながら、今の私には絶対的自信があった。ポジティブ杏里ちゃんとして生まれ変わった私は、こんな言葉でへこたれないのだ。
「そういや、結局あの後帰れたの?プールから」
「ばっちりよ!一人で自転車乗って帰ったわよ!」
「ふーん」
つまんないなあと結城の顔が訴えていた。
「何よその不満顔!」
「別に不満じゃないけど…そういや、結局まともに泳げるようになったのか?」
「ふふふ、よくぞ聞いてくれた…」
「あ、別にいいっす。ごめんっす」
なんでよー!私は足早になる結城の腕を掴んで停止させた。
「あの…家田さん教室に…」
「聞きなさい結城!なんと私、25メートル泳ぐことに成功したのよ!!!!」
私は結城の腕を開放し、そして100%のどや顔をした。自然と手が握りこぶしになって腰の位置に移動した。
「どう?どう?すごいでしょ?もうこれでどじだの情けないだのなんだの言えないでしょ?私だってやればできるのよ!」
「どうせ途中で止まったりしたんだろ」
「ちっがうわよ!一度も足をつかずに泳ぎ切ったの!いやあ土日で特訓した甲斐があったってやつよ」
ここまで言っても、結城は怪訝そうな顔をしていた。あ、結城と同じ感情になっている読者のために補足するが、私は日曜日にもプールを訪れ、しばらく泳ぐ練習をし、本当に25メートル泳ぎ切った。しかもそれは一度きりではなく、クロールであれば何度もゴールすることができた。我ながら頑張ったと思う。だからこそ信じてほしかったが…結城の顔は疑念で満ちていた。
「あー信じてないなー」
「オフコース」
結城めえ。英語苦手なくせにくっそ発音の良い煽り飛ばしやがった。
「しかもねえ、今日全く筋肉痛になってないの!土曜日、結城が帰ってちょっと経ったら全くなくなったの!ねえねえすごくない?私すごくない?もっと褒めてもいいのよ!!もっともっと頼ってくれていいのよ!!!」
「…教室行ってもいいかな?」
「なーんでよー!!!」
いよいよ結城がなんだこいつって目で見てきていた。むうう、距離を縮めようとしているのに、この扱いはあんまりではないか。
「いーもんいーもん、今日の体育で証明してやるわよ。私が、これまでの私と大違いってことをね!」
「そういやプールは共通だったな」
「そうよ!私の華麗な泳ぎから目を離すなよ!絶対だからね!」
「はいはい、そろそろ教室行くぞ。授業遅れるから」
そう言いながら数歩歩いた結城は、相変わらず不満げな顔をする私に振り返ってこう言った。
「…楽しみにしてるよ。家田さん」
そのさわやかな顔を見て、私の不満顔は徐々に収束していった。
それから、大体3時間後だっただろうか。月曜4限の体育、プールサイドには体操服を着て体育座りをする私の姿があった。背中にはまるで隠すかのように水着が置いてあった。朝のHRから安藤先生に対して『今年の家田は違いますよ。水泳の授業もしっかり出ますよ!』と宣言していたため、先生はそれを見て大層驚いていた。
「ちょっと待て家田」
こう安藤先生が呼び止めたのも自明なことだった。
「なん…ですか?」
「なんですか?じゃないだろ!!お前今日のHRの後にわざわざ俺に言ってきたこと覚えてるのか?」
「はい…」
「それじゃあなんで、お前は体操服を着ているのだ!?今年はちゃんとプールに参加するって言って…」
安藤先生が言いきる前に、私は隠してあった水着を見せつけた。上下分離していて、下は紐でヒップ部分を止める所謂紐パンであった。上はビキニとは言えないものの、おおよそ学校の授業で使っていいレベルを超えた露出だった。全体的に落ち着いた青色であるのがせめてもの救いだったが、そんなもの気休めにもならなかった。周りが騒然とする中で、姫路一人だけ事態を完全把握して笑いをこらえていた。
「水着を、間違えてしまいましたぁぁぁぁ」
そう、私はどう間違えたのか学校指定水着ではなく最近買った遊び用水着を持ってきてしまったのだ。これにはさすがに過去何度も私を苦しめてきた安藤先生も唖然としていた。
「違うんですぅ。本当に泳ぐ練習とかしてきて、泳ぐ気はあったんですぅ。決して水泳が嫌だからその理由付けで持ってきたんじゃないんです。本当に入りたいんです」
私の必死の懇願も、安藤先生の顔は曇ったままだった。これは多分、私を疑っているからではなく、私を信じているからこそ困っているのだろう。
「あ…でもここの学校は自立ある自由で、学生服ってないですよね?制服無いですよね?だから水着もこれでよくないで…?」
「家田!」
安藤先生は私と同じ目線に降りてきて、とてもとても優しい口調でこう宣告した。
「今日は、見学だな」
こうして、私は涙目になりながら、これまで何度書いたかわからないレポートを1人で黙々と書いていたのだった。
ーなんにもかわってねえじゃねえかぁぁぁぁー
ベンチに体育座りしながら、伏し目がちになっているうちに、ポジティブニュー杏里ちゃんは勝手に消え去ってしまったのであった。