39.5枚目
「遠垣さんいますかー?」
まただ。これでもう3日目だ。有田雄二という男はどこまでも執念深い。一昨日昨日と何時間も粘った挙句、今日は朝の9時だぞ。いい加減にしないとこっちも気が滅入り始めた。
「いるわよ。今日はもう両親仕事に出かけたから気にしないでいい…ですよ」
遠垣はついつい抜いてしまう敬語を入れ直した。この3日で随分話せるようになってきたものの、流石に家田さんみたいに向こうから許しがないのに敬語を使わないのは気が引けた。
「というか、今日は土曜日ですよね?学校ないのになんで呼びにきたんですか?」
遠垣はインターホン越しにもわかるくらいな不機嫌さを出した。
「報告と説得にだよ」
だからなんの説得だよ。
「報告としては、昨日とりあえず結城から連絡が来たぞ」
と言いつつ、しばらく音が聞こえなくなった。なんだ機械の不良か?好都合だなと思っていたら、急に小声で
「これ、外で言いたくない内容だから、中に入れてくれない?」
などと言い始めた。言語道断である。
「無理ね。言えない内容なら話さなきゃいいじゃないですか」
「ま、マジで?」
「マジです」
「マジかー」
だからマジだっつうの。
「んじゃ言うね、最近巷で流れていた、『遠垣来夏はいかがわしいお店で…』」
「来訪を許可します。入って下さいお願いします」
こうして、3日目にして有田雄二は遠垣来夏の家に入ることに成功したのだった。
「『いかがわしいお店で働いている、等の噂の流布は特に何かを掴んだから流れたものではない。あくまで遠垣来夏を困らせようとして流したものであり、それ以上のものではない』というのが1点…」
なるほど、それは喜ばしい限りだ。そりゃそうだ。頑張って隠蔽してきたバイト先が、そうやすやすと見つかってたまるものか。私は掲げたくなったガッツポーズを少し抑えて、更に話を聞いた。
「『もう1点は、家田に対するいじめを家田が自身で解決した』とのことです。と言うわけで遠垣さん、なんで学校に来なかったのか教えてよ」
話繋がってねーよ。
「いや…ね。普通に嫌でしょ、私があんな所で働いているなんて…」
それでも遠垣は律儀に答えた。
「そうかなあ」
「そう…ですよ」
「そんな、自信持ってやればいいのに」
自信なんて持てるか。メイド喫茶だぞ。スタ◯の店員とは違うんだから。有田雄二は根本的な所というか、話の肝というのがズレている気がする。良い人なのは重々わかるのだが、そこが少しだけ不満だった。
「にしてもさ、やっと普通に話せるようになったね」
いきなりの方向転換に、少し戸惑った。
「ん?何がですか?」
「や、どもらなくなったし、ハキハキ話すようになったじゃん。まあ俺もだけど…」
「あまり、男の人と話すのは得意じゃないので…」
「だから今でも玄関に俺立たされたままなの?」
有田は玄関にいて、そこから廊下続きの奥に遠垣が立っていた。
「まあ、そういうことです。男の人、嫌いなので…」
「え?なんで?」
むぅ、遠垣は少し苛立ちを感じた。そうやって、なんでも理由を求めないでほしい。言いたくない過去と一致するからやめてほしい。
「だって、メイド喫茶で働いて、それで男嫌いって…なんか矛盾している気が…」
そしてこの男は心の地雷原を踏み荒らしていくのが得意だ。そんなこと遠垣が1番よく知っていた。普段は男の人なんて嫌いでろくに話せないのに、メイド喫茶で欲望にまみれた男の相手をして、そのくせ電車でそんな男の人生を破滅させる。そんな人を理解しようとするなんて、正気の沙汰とは思えない。
「そうだね」
そうとしか言えなかった。そうと以外言いたくなかった。
「なんでか、教えてくれない?」
それなのに、有田雄二は返してくれない。いつまでも、いつまでも、固い意志を曲げようとしない。
「そんなの、言えるわけないじゃん。ほら、来週から学校出るから、今日のところはもう帰ってくだ…」
「悪いけど、帰らないよ。君が教えてくれるまで帰らない」
「何でですか?」
「何でじゃないよ、君のことを知りたいからだ!遠垣さんのことを、もっと知りたいんだよ」
有田は少し声を震わせながら、こう言った。
「俺にとって…遠垣さんは…そんな存在なんだよ」
胸打たれた。そんなこと、言われたことなかった。この生涯で一度も、言われたことのない類のセリフだった。
「俺は逃げないよ」
少しだけ、心が疼く。
「それがどんなにひどい理由でも、俺は逃げない」
それと同時に、鼓動が収まる。
「逃げないで、君の立場になって考えることをやめない。ずっとやめない」
こんな時にさえ、自分の気持ちがわからない自分が嫌いだ。
「だから遠垣さん、俺に…」
「わかったよ」
そう言って、私は玄関の方に近づいて行った。サンダルを履いて、同じ地面に立った。
「何で?は教えない。でも、どうして?は教えてあげる」
拳が震えているのが自覚できた。
「私はね。2つの感情が入り混じってるの。男にチヤホヤされたい感情と、男なんて大嫌いな感情と。それでね。どっちが自分の本性なのか、わからないんだよ。男の人が苦手で嫌いで毛嫌いしてると、ふっとチヤホヤされたくなる。チヤホヤされると、やっぱり男の人なんて嫌いだってなる。わからないんだよ自分でも。どっちが本当の自分なのか、わからないんだ。面倒でしょ?それでも、私のこと…」
遠垣はじっと有田の目を見て言った。
「私のこと、逃げないで見てくれますか?」
有田は即答だった。むしろ考えているのかと疑問を呈したくなるほどだった。
「もちろん」
それでもその言葉は、とっても嬉しいものだった。
「何でそうなったか?は…言いたくありません」
「思い当たる節がないとか?」
「いや、そういうわけではないんですが…もっと仲良くなってからですね」
つまり君と、仲良くしたいと思っているということだ。そんなこと、鈍感な君には理解できないだろうけど。
「んじゃ、明日の夕方遊ぼうよ!」
そしてこのフットワークの軽さは、見習うべきものだ。この人も、測りきれない何かがあるなと、そんなことを思った。
「あ、もちろん家田とか結城とかも誘うよ」
「どこに行くかですね…」
「そうだなあ、前家田が言ってたし…ボーリングとかはどう?」
ボーリング…家田さんと…ボーリング!?
「ボーリング、嫌い?」
「いえ、大好きです!」
そんなもの、行く一択ではないか。
「それじゃあ明日の6時半、ボウルバスター集合な!」
そう言って踵を返そうとした有田は、急にそれをやめて言った。
「ゆっくり、ゆっくりでいいから、また話したいと思った時とか、悩んだ時でもいいから、いつでも呼んでよ。絶対に側にいる。約束だ」
そう言って有田は小指を立てて向けてきた。それに遠垣は小指でちょんと当てた。
「ありがとうございました」
この言葉を添えて君と約束をした。いつかその過去を言う時が来るのだろうか。その時君は、それでも逃げないで居てくれるのだろうか。そんなこと考えても無駄だ。その時になったら考えよう。そんな日が来ることを楽しみにしておこう。そんな思いを込めながら、くっつけた小指を決して離そうとしなかった。