34枚目
一体私の何が悪かったのだろう。そんなことは考えてはいけない。いじめとは理不尽なものだ。誰しもが加害者になり得て、なおかつ被害者にもなりうる厄介な存在だ。だから誰も責められないし、責めることなどできない。だからって自身にその問題を見つけようとすると、それは人格崩壊の第一歩に繋がる。だから私はこう考えることにした。いじめは無くならない。周りも私も悪く無い。なら耐えて待とうと。耐え続けていたら、いつか自然消滅するかもしれない。それまで静かに耐えて暮らすのだ。それが私の出した結論だった。
それでも、私の周りに影響が出るのなら話は別だ。
「家田さん!貴方とよくいる1年生の娘、なんか嫌な噂になってるわよ?」
久しぶりに誰かが声をかけてきたかと思ったら、出森だった。ただでさえ私はこれからの自身の行動について思いを巡らせていたというのに、構うのも嫌だった。
「嫌ねえ。付き合う相手は選ばないと…」
「出森さん!」
背後から声が聞こえた。この明瞭なはっきりとした声は、まさしく姫路の専売特許だった。
「そんなことしないで下さい!醜いですよ!」
「あら?なんの話?」
出森は少し馬鹿にした笑いをしていた。姫路は気づいていないみたいだが、後ろで3人ほど嫌な笑いをしている女子達がいた。この子も大変だなと思いつつ、私は2人とも我関せずな顔をしていた。これ以上、私の周りの人間を巻き込みたくなかった。ならばどうすれば良いのだろう。私1人で、この問題を解決しなければならないのだろうか。そんなことを考えていたら姫路さんがこっちに寄ってきた。どうやら出森との言い合いが終わったみたいだった。
「家田さん、気にしないで下さいね」
「あ、う、うん…」
そんな彼女の気遣いを返すような言葉を、今からかけよう。
「姫路さん」
「どうしたんですか?」
「今日は、1人で昼ごはん食べたいんだ。いい、かな?」
提案を拒否されても、私は1人で昼ごはんを食べる予定だった。それなのに、姫路は曖昧な肯定をして、そしてその日の昼休みは、彼女はさっさとどこかに行ってしまった。罪悪感など、感じないようにした。私は宇宙人だからな。所詮相手は地球人だからな。そんな強がりも、徐々に効果が薄れているように思えた。
何度掛けても、遠垣は出てくれなかった。それほどショックを受けているのだろう。彼女については謎が多い。私は彼女のことについて何も知らない。それでも、昼休憩の時はほぼずっと電話をかけ続けた。
放課後になって、ある人物が声をかけてきた。
「遠垣の家行かね?」
有田はそんなことを言い出した。
「だめだよ。有田はサッカー部でしょ」
「今日はないよ」
「嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ」
そんな見え透いた嘘に、私が騙されると思ったのか。私はきっと彼を睨んだ。
「今日来てないんだろ?あいつ」
「…うん」
「それなら、会いに行かないと」
「…そもそも、単なる体調不良の可能性もあるでしょ?まだ早いよ」
私はそうやってなだめていた。もうこれ以上、誰かと何かをすることを嫌がってしまっていた。それに、有田が家に行ったことがわかると、彼女に対する風当たりが一層きつくなるかもしれない。それはどうしても避けなきゃいけなかった。
「体調不良でも不安だし、俺あいつの家知ってるから…」
「ん?ちょっと待て、いつの間に知ったんだ?それ」
私の指摘に、有田はしまった!という顔をした。
「ふーん、そんな家に呼ばれるくらいあんたら仲良かったんだ。それは知らなかったわ」
「や、すみません個人的に調べました」
どうやって調べたんだ…私はその方法を、聞きたいようで聞きたくなかった。そういや有田はメイド喫茶の場所も知ってたな…うーん、やはりこいつは色々とダメかもしれない。
そんな問答をしていると電話が鳴った。
「とにかく、今日は大人しくサッカー部に行きなさいよ」
私はそう言いながら電話に出た。
「はい、もしもし」
「家田先輩…遠垣です」
相手は遠垣だった。私は驚いて、つい大声で話してしまった。
「遠垣さん!!!大丈夫?今日はどうしたの?」
「いや…体調崩しちゃって…ちょっとしばらく学校にこれなさそうです…」
遠垣はいつもより小さい声だった。
「大丈夫?病院とか行った?」
私は知っていた。こういう時は本当の病気ではない。心が行きたくなくなっているのだ。私の経験則はそう判断した。それなのに、次の言葉は出てこなかった。
遠垣来夏については謎が多かった。どうして電車で男を誘惑し堕落させようとするのか。それなのに男と話すのは苦手なのは何故なのか。しかもメイド喫茶でバイトをする理由は何だ。欲望にまみれた男が嫌いならそんなところで働きそんな男を喜ばせるなど言語道断のはずだからだ。更にそれを知られたくない理由は何?こうした疑問を全部、私はこれまで詳しく聞いてこなかった。怖いのだ。人の心の奥深くにある感情なんて、聞きたくないのだ。知りたくないのだ。上辺だけの関係じゃないと、私自身が壊れてしまいそうなのだ。
私は知っていた。本当は誰かのことを深く知りたいんじゃない。その見返りとして支払い義務がある、自分の奥深くの感情を曝け出したくないのだ。そんな愚かな奴なのだ。私は、そんな人間なのだ。
だからここでも、私はうやむやにしようとした。
「そっか、お大事にね」
「はい…ご迷惑かけます…先輩の方が大変な時期なのに…」
「いやいや、そんなこと気にしないでよ。そんなこと気にしてたら治るものも治らなく…」
「遠垣さん!」
耳元で爆音が響いたかと思ったら、次の瞬間有田が私の携帯を奪っていた。
「今日、そっち行くから!なんでも言って!なんでもする!だからもう、悩まないで!」
有田はすうっと大きな息を吸ってこう言った。
「俺がいるから、な!」
そう言って電話を切った有田は、呆然としている私に返還する際こんな言葉を添えた。
「悪いけど、俺はあいつを見捨てられないんだ」
そうして有田はカバンを持って、スタスタと歩いて行った。私はヘタレこみながら、しばらくその場に座り込んでいた。
私のしてきたことは、間違いだったのだろうか。
相変わらず誰もいない家の中で、私は悶々としながら家事をしていた。食器をカチャカチャと洗っていた。
一体私の何が悪かったのだろう。
絶対に考えてはいけないその言葉が、脳裏に焼き付いては離れてくれなかった。
私はこれからどうすればいいんだろう?
答えの出ない自問自答ほど、無意味で辛い時間はない。
ねえ、どう思う?マリア。
なのにマリアは何も答えてはくれなかった。それはまるでただのぬいぐるみのようだった。マリアは意地悪だ。こんな大事な悩みの時にだんまりするなんて…本当に…
私は流れる涙が止まらなくて、視界がぼやけたままマリアに抱きついた。
ねえ、何が悪かったの?遠垣のことをしっかり聞かなかったこと?ボーリング大会とか勉強会とか参加したこと?それとも、そもそも誰かと何かをしていたこと?
私はありったけの疑問をぶつけた。それでもマリアは何も返してくれなかった。ただ黙っていた。私は、流しっぱなしの水道水の音を背後から聞きながら、マリアに抱きつき泣きぐしゃった。
「なんで、何も言ってくれないんだよお…」
そんな情けないことを呟きながら、夜は更けていった。