29枚目
「そうですか…それは大変…残念だけど私の家はだめだそうです。そんな急に客人は呼べないって」
遠垣がバイトを終えるのは夜の9時頃。それまでにご飯を済ませた私は、一縷の望みを彼女に託したが、あえなく撃沈してしまった。
「お力になれなくてごめんだね」
「いやいや、いいよ大丈夫。ありがとう」
「にしても、今は結城先輩と二人っきりですか…」
「そうだけど…どうかしたの?」
私がそう言うと、遠垣は少しだけ間をおいてからこういった。
「まあ、楽しんできてくださいね」
そして遠垣は電話を切った。私は遠垣の真意が測りかねず、少し唇をとんがらせた。
「どうだった?」
後ろから結城が声をかけてきた。
「無理だってさ。これは…この家に泊まるしかなさそうね」
「そ、そうだね」
私はあからさまに肩を落とした。
「そんなに嫌なの?」
結城は心配そうな顔を向けた。
「嫌ではないけど…さすがにこんな広い家に二人は落ち着か…」
そう言おうとして、私はその言葉をぐっと飲みこんだ。気づいてしまったのだ。2人でこんなに寂しいということは、もしも私が来なかったら結城はどれだけ寂しかったのだろう。ちょっと今の言葉は無神経すぎたと反省した。
「あーごめんごめん。泊めてくれるって言ってるのにわがまますぎたね」
「大丈夫だよ。ご飯おいしかったし。というか宇宙人なのに料理できるのな」
「宇宙人だからって料理できない発言するのやめてよね。別にダークマターとか作ったりしないから。元々1人で生きていく予定だったし」
そう言って私は胸を張った。今晩のご飯は親子丼だった。結城には内緒だが、あれは自分の中でも割とよくできた部類に入る一品だった。自分が卵好きだからか、卵料理は得意だった。
「へー宇宙人って家庭的なんだ」
「………わたしが、ね」
私はちょっとだけ不満な顔をしたのだが、結城は気づかず次の話題へと駒を進めた。
「さっきお風呂たまってさ。先行く?あ、でも着替えとかないのか……」
「や、気にしなくていいよ」
「いやいや、ちょっと待ってて!」
そう言って彼は何処かへ行ってしまった。音だけを聞く限り、この家の部屋という部屋を開けて何かを物色しているようだった。この家は、部屋だけでもおそらく10以上はある。結城はお金持ちの子供のようだった。なんでそれであんなに狂ってしまっているのだろう。親御さんは泣いているんじゃないか。
本当は彼の様子を見に行きたかったが、あまりに広い家なので迷ってしまわないか心配になったため一歩も動かなかった。まるで地蔵のようだった。そしてしばらくしたら、左側の奥から結城が手招きし始めた。
「家田さん、こっち、こっち!」
そう言って彼は私を呼び寄せた。私は従順についていった。
「ここの部屋、探してみて」
そこはとても豪勢な部屋で、シャンデリアとかグランドピアノとかそういったものが置いてあって、とても私が入っていいような場所とは思えなかった。ただ一点、部屋がほこりまみれであること以外は。
「結城君、ここは何の部屋なの?」
「ん?……あれ、昔居たメイドさんの部屋かな。右奥に箪笥があるから、もしかしたらまだ使える下着とか肌着があるかも。もしもなかったら俺のタンスからなんか貸すわ」
私がボーとしていると、彼は気を使ってしまったようだ。
「汚くてごめんな。昔の部屋だから」
「いやいや、むしろありがとう」
「片づけ手伝うわ。マスク要る?」
「いや、本当に大丈夫だよ。先お風呂行ってきて」
これまでいろいろ手を尽くしてくれたのに申し訳ないと思ったから、先に風呂に行ってもらうことにした。彼もテストとか勉強とか私の面倒とかで疲れただろう。しかも、確か明日は野球部の練習かなにかだった気がする。早く休んでもらわないと……
「え?でも……」
「いいからいいから、ありがと」
そう言って私は強引に結城を外に出した。ちょっと冷たかったかなあとか、そんなことを思いながら私はタンスまで歩いて徐に開け始めた。確かに埃っぽかったが、まだまだ着れるものが多かった。というか、手触りだけで高級なのがわかった。どれもこれも、メイドがきていたものとは到底思えなかった。それほどに裕福だったということだろうか。それとも…
私は、とりあえずパンツとアンダーシャツを確保すると、すっと部屋を出た。彼は、もしかしたら嘘をついているのかもしれない。彼は、私と同じ境遇なのかもしれない。そんなことを思ってしまったのだ。こんなの、まるっきり幻想で、あからさまなミスリードだ。そんなことわかっていたのだが、それでも体は彼の部屋へと向いていた。私は探索を始めた。まずは、彼の部屋を見つけるところからだ…
わかっていた。私が正確に彼の部屋にたどり着けるわけないってことくらい。
「あーお風呂気持ちよかった」
私はあれから、様々な部屋を捜索したが、無論迷いに迷いまくり、結局たまたま帰ってこれたリビングで大人しくすることにした。これ以上探索を続けたら 、もう二度と戻ってこれないのではないかと思ってしまうほど、この家は迷宮だった。そして大人しくテレビを見て、結城が帰ってくるのを待った。少し残念だったが仕方ない。
「本当に何から何までありがとうね、結城」
「お、おう」
結城は少し目を逸らし気味になりながら答えた。
「にしても、お風呂もすごかったね。あれ多分私の部屋くらいあるよ」
「それは嘘だろ…」
「いやいやほんとだって。めっちゃくつろげたよ」
そう言いながら私は自然な動きで彼の隣に座った。この時の私の格好は、下は学校指定の紺色に赤いラインの入ったジャージで、上も学校指定のジャージだった。無論名前のところには結城と書いてあった。曰く、野球部専用のジャージがあるからいらないんだということらしい。私は彼の好意を甘んじて受けて、そのジャージを着ていた。
私と結城は2人で前を見つめていた。よく知らないニュースキャスターが今日起こった事件について語っていた。2人とも、テレビを真剣に見ている風ではなかった。
「「あのさ」」
2人の声が重なった。そのあまりの重なり具合に驚いてしまって私は訊こうとしていたことを黙って押し殺してしまった。部屋を探して見つからなかった時、私は勇気を出して尋ねてみようと思ったんだ。彼の生い立ちについて もっと知りたいと思ってしまったんだ。そう思っていたら、彼も私に聞きたいことがあるみたいだった。
「あ、家田さきでいいよ」
「いや、結城さきでいいよ」
「や、ほんとにしょうもないことだから…」
「俺もだから…いつでも聞けることだし…」
こう言って二人で問答を始めた。私が大したことないって話は嘘だった。だから、結城だって大した話だと言ってなくても、大した話なのかもしれない。
結局この押し問答は、私に軍配が上がった。
「んじゃ、俺が先に言うぞ」
そう言って、結城はすうっと息を吸い込んでこう言った。
「家田、アルフェラッツ星について詳しく教えてくれないか?」
全く予測していなくて、急に変な吐き気を感じた。それは私にとって、最も聞かれたくて、それでもって最も聞かれたくない話題だった。




