17枚目
ボーリング場は、映像で見たよりもはるかに騒がしいところだった。ストライクになった時のやかましい音楽、ボールの転がるけたましい音、若い男と女の大声。そのどれもが私とは相いれないものだった。しかしながら、そんな音も隣のこいつの前では無力だった。
「うわあボーリング場って感じっすねー音うるさい!そういや池田さんってボーリングきたことあるんすか?」
こんなうるさい中でも、沢木の声は明瞭に聞こえてきた。
「1回もない…」
「ん?何て言ったんすか?」
一方私の声はなかなか響かないみたいだ。私は声を荒げて言った。
「1回もないよ!あと私の名前は家田…」
「マジっすか!まじでボーリング1回も来たことないんすか!そんな人いるんすねー池田さん、まじ希少種っすよ!」
「いやだから私の名前は家田…」
「俺っすか?俺はめっちゃ行ってますよ。部活の帰りとかに寄ったりするんすよ。あ、頭見てもらったらわかると思うんすけど、俺野球部なんで、結構夜遅くなったりするんすけど、なんつうか、クールアップの一環?になっていいんすよ」
「それを言うならクールダウンじゃ…」
「スコアっすか?まあ150くらいっすかね?あ、ボーリングきたことないからわかんないっすか。大体体育会系の平均くらいっす。偉そうなこと言ってるっすけど、あんまり上手くないんすよ」
だめだ話がかみ合わない。これは周りがうるさいせいなのか、そのうるささに負けている私のせいなのか、それとも話をあまり聞こうとしない沢木のせいなのか…少なくとも1番最後の理由は絡んでいるだろう。私はびくびくしながらボーリング用のシューズをはいた。
「うわ池田さん靴小さいっすねー。これ何センチっすか?」
「…21㎝、あとわ……」
「マジすか!21㎝とか初めて聞いたっす。そもそもそんな靴のサイズあるんすね。初耳っす。勉強になるっす」
せめて名前くらい訂正したいんだけど…どんどんとマシンガントークをする沢木に対して、私はすっかり怖気づいてしまった。別に陰口3人衆のように裏の顔を感じたわけではない。むしろ私に対して好意的に受け止めてくれているのは分かった。しかし、圧倒的に言葉のキャッチボールが行えず、ひたすらピッチャー沢木からキャッチャー家田まで剛速球が投げられ続けるだけだった。
「家田さん、泰斗、こっち」
ここで一足先に靴を履いていた結城が私たち2人を呼んだ。これはチャンスだと思い、私は足早に結城のもとへ向かっていった。無論沢木もついてきた。結城が立っていたのはボールの置き場だった。
「8ポンドから18ポンドまであるから、好きなサイズ1個取ろう」
「仁ちゃんはどうせ18ポンドっすよね?」
へー結城って野球部内では仁ちゃんとか言われてるのかーと死んだ魚の目をしながら思った。
「お前もだろ?」
「当たり前っすよ。仁ちゃんが18ポンド使うのに俺がそれより低くてどうするんすか」
「わ…私は8ポンドにしようかなあ」
そう言って私は1番軽量なボールを選択した。先に手に取った二人に倣い、3つの穴に指を突っ込んで片手で持ち上げた。するとどうだろうか。私は手に取った右手が、重さに耐えきれず地面についてしまった。それに呼応するように、私は膝から落ちて蹲ってしまった。地面とボールの接触音に、前を歩いていた野球部コンビも気づき駆け寄ってきた。
「どうした?家田」
「大丈夫っすか?」
「いや…大丈夫。思ったより重くてびっくりしただけ…だから」
私はそう言うと、すっと立ち上がろうとした。しかし、片手でボールを支えきれず、少しふらついてしまった。
「それ…片手じゃなくて両手で持った方がいいよ」
「そうっすよ、結構重いっすから」
そう言っていた二人は一番重いボールを片手で持っていた。それに気づいたのか、
「あ、俺らは日ごろ鍛えてるからこんな持ち方してるだけっすよ。素人がまねしちゃダメっす」
と沢木が付け足した。私は大人しく彼らのアドバイスを聞き入れ、左手で支えるように下から持ち始めた。これならふらつかずに歩けそうだ。
「1ポンドって何キロくらいだっけ?」
「大体0.5キロくらいっすかね?」
「んじゃこれは9キロくらいか、大したことないな」
「そうっすね」
いや大したことあるんですけど…4キロで死にかけてるんですけど…今まで意識したことなかったが、結城ってちゃんと鍛えているんだなあと実感した。それとも私が貧弱すぎるのだろうか…
ボーリングのレーンの頭上には、スクリーンに名前が書かれてあった。
「イエタアンリ…あれ?池田さんって家田さんだったんすか?」
いや、私がいつ池田って名乗ったよ?
「まじごめんっす。よりにもよって名前間違えるなんて…本当に申し訳ないっす」
そう言って沢木は頭をぺこぺこ下げてきた。騒々しいやつだと思っていたが、こんなところでは礼儀正しいのだな。私は少しだけ彼を見直した。
「んじゃ改めてよろしくっす、杏里さん」
いや、それはおかしくないか?馴れ馴れしすぎるだろ。私はさっき上げた株を早速落とさせた。ちらっと結城を見たが、彼も少し呆れた顔をしているように思えた。
「んじゃ、一番最初は杏里さんっすよ。頑張ってください!」
確かに、スコア表を見たら私が一番最初に書かれてあった。GOの文字とともに、耳障りな音楽が響いた。私は名前の訂正をあきらめて、ボールを持っていこうとした。その時だった。
「っていうか、杏里さん片目の包帯取った方がいいんじゃないっすか?視界悪いじゃないっすか!危ないっすよ」
おうやめーや。いきなり核心に突っこんでくるの。私は振り返って固まってしまった。包帯をとるということは邪眼をさらすことと同義だ。すなわちそれは世界の終焉を表す。この男にも、私が宇宙人だということを知らしめなければならないな。私はそんなことを思いながら、ふっと後ろを振り返った。しかしながら、私が弁解する機会は与えられなかった。
「だめだ。家田があれをとると、世界が滅びる」
結城が先に説明してしまったからだ。
っていうか、なんでお前がそれを説明するんだよ。全然説得力ねーじゃねえか。これは私が説明しなければならないことだ。そうに違いない。多分。
「そうっすかあ。世界相手どられているならしょうがないっすね。気を付けて投げるんすよー」
そしてそれだけで納得する沢木も沢木だな。こんなこと言うのは何だが、普通の人ははいはい妄想お疲れさまといった態度をとる。それが普通だ。宇宙人というものが浸透していないこの星では、その事実を真摯に受け止めてくれている人は数多くない。こんなあっさり認められて、若干拍子抜けだった。
私は左手をボールから話すと、姿勢を低くした。頭の中では、遠垣がやっていたフォームが完璧に出来上がっていた。しかし、いかんせん手首がボールの重さに悲鳴を上げており、全く力を籠められない。それでも無理やり、えいっとボールを押し出した。
私はびっくりした。なぜなら、ボールが全く勢いついていなかったからだ。のろのろのろのろ進んでいく。これはもしかして…ピンのある所まで到達しないのではないか?
この悪い予想は的中した。摩擦などほとんどないはずのボーリングのレーン上で、なぜかボールがストップしたのだ。完全に静止し、そこから一歩たりとも動く気配がない。
「なんすかこれwwwはじめてみたっすよ!」
後ろで沢木の大爆笑が手の音とともに聞こえた。
「か…係員呼んでこなきゃ」
冷静そうに対応している風の結城だったが、声が震えていて、完全に笑いを押し殺しているのがバレバレだった。
そしてこんな二人の様子に気付いたクラス中が、大爆笑の大爆笑に包まれた。そんな中で、私一人だけ顔を真っ赤にして蹲ってしまったのだった。手首には、投げる際にかかった負荷がまだじんじんと残っていた。