153枚目
お墓は小さな丘の上にあった。そこへ向けて我々はブーンと車を飛ばしていた。お水は備え付けの井戸があるから要らないし、お線香はすでに準備済みだ。田舎独特の匂いが鼻を刺激していた。どんな匂いかと表現するにはボキャブラリーが貧困で難しいが、3日間ほしっぱなしにした後の洗濯物といえば分かりがいいだろうか、それともまだ伝わらないだろうか。
結構な奥地に墓地がある。いや墓地は基本的に奥地にあるものなのだが、それにしてもだった。グネグネとした道は私の三半規管を試していた。残念ながら宇宙人にはそんなもの効かないのだ。ほとんど重力のないアルフェラッツ……なんか、こんなことを考えるのもばからしくなってきていた。どうやら私は、もう包帯をとる日が近いのかもしれない。後ろではげろげろと今にも吐瀉しそうな母をしり目に、実じゃない娘は感慨にふけっていた。
駐車場に止めて3人、通行の邪魔にならないよう縦に並んで歩いて行きつつ、私は太陽の匂いを嗅いでいた。昔よりは心地よいと感じるようになった。太陽だって、私の肌を焼く以外にも色々役に立ってくれているのだ。ほら、落ち込んだ気分とか回復させてくれるし。あんな引きこもりのような生活をしてきたというのに、私も随分と殊勝な人柄になったものだと舌を出した。
バケツに水を汲もうとした。お彼岸という風習は広く定着していることもあってか、共同墓地には多くの人が訪れ、手を合わせていた。駐車場の車にも各地のナンバーが印字されていたが、こういざお参りするときには嫌でも実感させられた。そのせいでバケツを汲むのも順番待ち状態になってしまったし、その間に多量の汗で水分を無くしてしまった。
「水はいらないか?喉は乾いていないか?」
そういっているくせに、父はすでに飲み物を私のほうへ差し出してきていた。私はそれを照れ臭そうに手にした。どこのメーカーかもわからない麦茶だったが、今の私からしたら四万十の清水にも負けない極上の飲料水だった。そしてそれを、後ろでへばりそうにしている母にも渡した。母はその飲み物のほとんどを飲み干してしまった。何してんだよと口にしかけたが、どうやら父は他にも飲み物を持ってきていたようだ。カバンの中からちらりと見えていた。
私はバケツに水をくみ、それを父に渡した。母は花を持ち、私はチャッカマンと線香を持った。そして3人で、お墓へと向かっていく。家田家の墓。ここに眠っているのは……
実の母と、実の弟だ。
まずは水をかけた。お酌は2つあったので、父が母の分を、私が弟の墓に水をかけた。母、じゃもうややこしいか。麻沙美はお茶を飲みつつ後ろでぼーっとしていた。なんだこいつと思われるかもしれないが、彼女からしたら見ず知らずの人間のお墓参りなのだ。気が乗らなくて当然といえば当然なのかもしれない。
たまった雨水を流した後、木の葉とか土を丁寧に洗った。背後には鬱蒼とした森が広がっているから、その辺は織り込み済だったが、それでもこの汚さは中々のものだった。私は心の中で、何度もごめんなさいと言い続けた。ここに来れなくてごめんなさい。現実から逃げ続けてごめんなさい。貴方たちのいないこの世界を、受け入れることができなくてごめんなさいと。多分それは、父も同じ気持ちだっただろう。バケツの水がなくなって、もう一回汲みに行くくらい、入念に洗っていた。
「ねえ、杏里。あんた、ここにこようとは思わなかったの?」
いきなりだった。麻沙美は麦茶をガブガブ飲みつつ、ぷはーと声を上げていた。
「ここに?」
「お墓って、普通は年に何回かくるもんでしょ?うちだってじじいの墓参り何回もしてきたし」
あんたのじじいは歴代でも有名な総理大臣だろ?そう思いつつ、私は質面に答えた。
「多分、認識できなかったんだと思う」
「認識?」
「お母さんと……行人が……本当に亡くなったんだって、この世界に居なくなったんだってことを、理解したくなかったんだと思う」
さらに言うならば、私はこの地球にいるごくごく普通の人間だとも認識したくなかったのだ。だってそんなの、辛すぎるじゃないか?世界を征服するタスクくらいないと、こんなウェイトのひどい現実受け入れるわけなかったのだ。
「それは多分、お父さんも一緒。でも……」
もう大丈夫と言う言葉を待たず、父が帰ってきた。私は決意した。家田杏里は決意した。遠垣来夏にアドバイスをしてここらに決めた。姫路纏菜と関わって決心した。有田や濱野が背中を押した。そして何より、結城仁智がトリガーとなって、私は後頭部に手を掛けた。
父が線香に火をつけていた。その間に、私は包帯を取った。ずっと頭につけていたそれを、自ら取り外したのは久しぶり、いや初めてだった。取った包帯を丁寧に丁寧に畳んで、墓石の前に置いた。父は何も発さなかった。黙って私に線香を差し出した。そうして3人で線香を立てた。手を合わせて眠る母と弟に話しかける。それは本来口に出さないものなのだが、私はふと口にしてしまった。
「長いこと、顔を出せなくてごめんなさい」
隣で麻沙美が驚いた顔をしていたが、私は気にしないことにした。そして続けた。下を向きながら続けた。
「色々あったけれど、私は元気に暮らしています。あれから中学生を卒業して、高校生になりました。引っ込み思案だったけれど、友達もできました。一緒に水着を買いに行ったり、カフェでお茶したり、お泊まり会もしました。今度、香住に旅行へ行きます。1人は年下の女の子で、とっても可愛らしくて、1人は同級生で、武術も勉強もできるスーパーウーマンです。私にはもったいないくらいの、素晴らしい人達です」
もうとっくに、手を合わせる時間は過ぎていたのに、私はその独り言をやめなかった。
「今度、高校の文化祭にバンドメンバーとして出演します。音楽なんてやったことなかったけど、ボーカルとして出演します。出来れば、とちったりどじったりしないよう見守っていただけますか?バンドメンバーもみんな優しい人達です。私にはもったいないくらいです」
父は黙って、私の隣で手を合わし続けていた。
「それに……好きな人ができました。その人はぶっきらぼうで、飄々としてて、掴み所がなくて、でもとっても優しくて、私を支えてくれる人です。いつか、ここで2人に見せることができたらいいなって、そう思っています」
後ろから呼ぶ麻沙美の声など無視して、私は最後にお願いをした。
「報告が遅れてごめんなさい。これからはもっと定期的に伝えます。なので……これからの……これから現実を生きる私を、見守っていただけますか?もう今の私は、虚夢には逃げないで、現実を認識して生きていこうと思っています。まだ、逃げたくなるかもしれないけれど……」
頭に手が置かれた。父が撫でてくれていた。私は涙声になりながら、それを押し殺してお願いをした。
「これからの私を、ずっとずっと、天国から見守っていただけますか?不出来でどじな娘であり、お姉ちゃんですが、遠い遠い星の彼方から見守っていただけますか?」
ヒックヒックと喉を鳴らしつつ、私は最後に頭を下げた。父は半分、抱きしめながら私の頭を撫でた。耳元でしきりに謝ってくれた。でもその謝罪すら、今の私には温もりにしか感じられなかった。




