151枚目
「せーんぱい!遊びに来ましたー!」
遠くからそんな声が響いたので、部屋を出た瞬間に私は固まってしまった。玄関にいたのは、すっかり服装が地味になった遠垣来夏。そしてそれと鉢合わせになっていたのは、朝シャンから上がり頭を拭いていた父だった。無論父は、パンイチである。更に言うと、遠垣視点からしたらこの午前10時という時間は十中八九彼女が1人の時である。それがまさか、父も母も居る中に不法侵入していくなどと思わなかっただろう。いやそうに違いない。だからこそあんな腑抜けた声を上げて、私の家に入って来たのだ。
父はふうとため息をつきつつ、リビングの椅子にかけてあったズボンを履いた。そして振り返りながら、玄関に固まったままの遠垣に忠告をした。
「そこの子、申し訳ないが部屋に入る時には人の家に入る時にはノックをしてくれないか?いきなり開けてしまったらこちらもビビってしまう」
至極正論だった。しかしながら彼のその顰めっ面と威厳のある面構えが、まるで理不尽な要求をする上司のように見えたのは黙っておこう。
「す、すみません……」
これには遠垣も流石にトーンダウンしてしまい、ぺこりと頭を下げてしまった。私はまだ状況が理解できていなかった。その中で父はおもむろにTシャツを着ると、紅茶を淹れ始めた。
「あー来夏ちゃん!どうしたのここで」
私は紅茶の葉っぱの場所を尋ねる父親と対応している母を尻目に、3人の間に入るようさっと前に出た。
「やー遊びに来たんですけど……すみませんご迷惑かけてしまって」
「別に迷惑なんて思っていない」
よく見ると父は4人分紅茶を淹れていた。4つのカップがテーブルに並んだのは、恐らく数年ぶりだろう。
「ほら、上がりなさい。朝ごはんは食べたかい?まだならここでいただいていくといい。最近の日本の若い子は、朝飯を軽視していると聞く。杏里、そうなのか?」
「え?えっ………えーーー………まあ、人によるんじゃない?」
我ながらつまらない回答だなと思いつつも、アルフェラッツ星人には人を笑わす粒子が足りていないのだと現実逃避するようになった。いやこう答えるのが面白いのか……私には理解不能だった。
遠垣は未だに悩んでいるような、そんな態度を取っていた。私はふと、父が自己紹介を完了させていないことに気がついた。
「来夏ちゃん、この人は私のお父さん!宜しくね!お父さん!この子は遠垣来夏ちゃんって言うの。学年は1つ下だけど、私の大切な友達よ」
そうだ。そもそも2人とも挨拶すらしていないのだから、それから始めないと不信感が募ってしまうじゃないか。なんでこんな単純なロジックに気がつけなかったのだろう。そしてなんで、こんな簡単なことを、ここにいた4人誰もできていなかったのだろう。私は不思議に思った。
「あっ……遠垣来夏です。藤が丘高校1年生です」
「私は杏里の父親だよ。心の底から歓迎するよ、杏里の友達。もしかしたら日頃はこの家にいないから、驚かれたかもしれない。ほら、レモンティーもちょうどよく淹れてきた」
いやそれアップルティーだけどな。流石にレモンとアップルを間違えてしまう人は初めて見た。それでもまあ、私の父親なら間違えても仕方ない。
そのままその日は、遠垣来夏も含めた4人でのお茶会が開かれたのであった。後に彼女は、ラインにてこんな感想を残していた。
「杏里先輩も、結構普通の女の子なんですね」
何を馬鹿なことを言っているのだろう。私は宇宙人だ。品行方正なアルフェラッツ星人だ。そう反撃をしたものの、軽く流されて終わってしまった。その日はそんなふうに、平和に終わったのであった。
次の日、私ら3人はとある場所へと向かっていた。父の運転する車に乗り込んで北へ北へ。古都よりも更に北へ。場所としては奥能登というのがしっくりくる場所へ走らせていた。そこは、とある親子の墓がある場所だ。
海水浴に浮かれる子供連れを見ながら、助手席に乗った私は白色のポロシャツに日光を大量に浴びつつため息をついていた。
「にしても、私本当にこんなので良いのかなあ」
私の質疑に対しよくわからなかったのだろう。
「何がだ」
と即座に聞き返してきた。
「いや。いつも通りの格好っちゃそうだけど、包帯右目に巻きつけて墓前に立つなんて、失礼に当たらないかなって」
「………俺なら別に構わんと言うだろうな」
父は全くこちらを見ないまま対応していた。たまに車線を間違えそうになっていたが、その度に日本の運転の仕方を思い出さなければならないと呟いていた。
「つうかそもそも、私はついてきてよかったのでしょうか?」
いつもとは違って、ここのところずっとしおらしい母がそう後部座席から声を上げていた。多分この行事が入っていなかったら、また男漁りでもしていたのであろう。なんで私がと言うのは謙遜の言葉ではなく、心底なんでと思っていたのだろう。それが態度に出ていたし、仮にも3年一緒に住んでいた私には重々理解できた。
「まあ、良いじゃないか。君は日頃よくやってくれていると専務からも聞いているよ」
それはダウトだけどな。殆どを私に押し付けて遊びまわっているんだけどな。一応遊ぶ時にこの家の金ではなく親の金を使っているのは最低限のモラルであろうか。いやそもそも他人の金で夜通し遊んでいる時点でモラルもへったくれもないだろう。
「あのシチューを食べたらわかる」
わかるのか。
「あっ……あっ……ありがとうございます……」
そして平身低頭としている母にもイラっときた。まあ彼女からしたらここで石にでも齧り付かなければ職がなくなってしまうし満足に我が家を使って遊べなくなってしまうからな。土下座でもしながら頑張るのだろう。
「にしても今年の夏は暑いな。3年ぶりだが、その時より暑い気がするな」
「太陽の日差しがきつくなっている気がするわね。でも、お父さん……」
少し、お父さんと呼ぶのが気恥ずかしかった。呼び慣れていないのがバレバレだった。私は少し顔を照れつつ舌を出した。
「お父さんのいるところの方が、暑くないの?」
父はまだ、こちらを見る事なく前を向いていた。
「中東は確かに暑いな。朝から汗でスーツの白シャツがびっしょりになることも多々ある。しかし湿度が高いからな」
「あー日本はそうだねー」
「不快指数はこちらの方が上かもしれんな。向こうの暑さにはもう清々しさすら感じるが、日本の暑さはじとっとじめっとしている印象だ」
レンタカーは快適に、海岸線を走っていた。海水浴に勤しむ人たちは、暑くないのだろうか。
「杏里は、夏が好きか?」
昔ならこの質問、絶対に嫌いだと答えていた。私にとっての夏は、嫌な思い出がたくさん詰まった季節で、私が狂い始めた季節なのだから。しかしその時は、
「最近は好きだよ。案外悪くないなって、思えるようになってきた」
と答えた。これは後ろに乗っている人間のようなよいしょではなく、心の底からの感想だった。