150枚目
「!?!?!?!?!?!?!?!?」
目の前の母は既にかちんこちんに固まってしまっていた。そりゃそうだろう。まだまだ彼女は家事のかもできない女だ。本当ならその辺完璧にこなさなければならないのだが、ハウスキーパーもどきの彼女には既に荷が重かった。
「お父さん、今日帰って来る予定だったの?」
「ストライキの情報が入ったので早めに帰らせてもらえてな………夜遅くにここにきてしまって申し訳ない」
家内に向けて頭を下げる父は、それでもしっかりとしたスーツを着ていたので全く惨めに見えなかった。むしろしっかりとした大人のしっかりとした謝罪をしているようで、まるで自分の父親であるようには思えなかった。いやまあ、本当の父親ではないのだが、
「ご、ごはんは……食べましたか?」
私は恐る恐る尋ねた。それはまるで、商談先の相手に対して緊張しているお茶汲みの女性みたいだった。もしくは、この交渉次第で星間戦争へと繋がりかねない重大な場面でネゴシエートする者くらいの手汗をかいていた。あの細い目が遺伝しないで良かったと思ったが、男性だとそれがキリッとした表情に見えた。
「少しだけ……だな。それは……シチューか?」
父は鍋の方を見ながら言った。
「もしもまだ残っているのなら、いただいてよろしいか?先に風呂に入る」
「あっ……お風呂溜めてないですけど……」
「大丈夫だ。シャワーで十分だ」
そう言うと父は、まっすぐにシャワーを浴びに行った。もう後ろで母は頭を抱えてきた。私としては、どう接すればいいか正直わからなくなっていた。
私はあまり大人の男性が得意ではない。苦手なのではなく得意ではないのだ。父親は昔から家にいなかったし、教師達にも中々馴染めなかった。どんな壮大な理由があるのかと思われてしまいがちだが、そんなことはない。全然何も理由はないのだが、少しの威圧感を覚えては緊張してしまった。父親にこんなにも他人行儀に接するのは、やはり宇宙人と地球人との差であろう。
「ねえ、ねえねえねえ!どうしよう、どうしようかなあ」
母はアワアワとした顔でこちらを見てきたが、正直自業自得にしか思えなかった。これまで男連れ込んでは夜な夜な遊び呆けていた罰だ。私に対してぞんざいに扱ってきた末路だ。因果応報を100回書いて机に貼り付けてほしい。そう思ったからあえて何の反応もしなかった。
「まあでもこのシチュー食べてもらって、美味しいっていってもらえるのにかけるしかないか」
無理だろうけどな。
「ふーん、でも…」
「すまない、風呂上がりにお茶をもらえるか?」
いきなり低い声が聞こえてきたから、私は背筋がビクッとなってしまった。目の前では母が完全に怯えた目でこちらを見ていた。
「あ、今冷蔵庫から…」
「いいぞ杏里、のんびりしておいて、くれ」
そう言って父は自ら冷蔵庫を開いてお茶を取り出していた。というかお風呂から上がってくるの早くないか?確かにシャワーだけど、5分と入ってなかった。あれなのかな、一流のビジネスマンならそれくらいの必要最低限で終わらせてしまうのだろう。時間がもったいないとかそんな理由なのだろう。よく知らないけれど。
「……杏里」
なんてことをぼーっと思ったら、急に名前を呼ばれてしまいビクッと反応してしまった。
「な、なんですか?」
「……学校は、楽しんでいるか?」
どうやって答えたら良いかわからなくなってしまった。いやだって、学校が楽しいかなんてこんなお父さんに言われたくはなかった。私は宇宙人である。誰しもが憧れるであろうアルフェラッツ星人である。そんな私に対して不敬だとは思わなかったのだろうか。なんて大人に説いても仕方ないのだろうけれども。
……あまりキレがないなと、私は思った。もしかしたらこれは潮時というやつなのかもしれない。そう思って父親の顔を見たが、父は全く表情を変えていなかった。
「そういや」
一言話すだけで2人の背筋が凍ってしまった。それくらいの威圧感と異物感を纏っていた。父とは全く思えなかった。知らない男の人に思えた。しかしその割には言い知れぬ安心感があったのは、親子だからということにしておこう。
「シチューまだもらってなかったな。いただいていいか?」
その瞬間に母は絶望的な顔をしていた。頭を抱えるとはこういうことなのかと、私の人生を振り返りつつ流し目をしていた。
「美味しかったか?杏里」
「え?まあ結構独特だったけど、うん!」
私は流石にまずかったとは言えなかったので、こんなかわし方をしてやり過ごそうとした。母には恨み言もたくさんあるが、だからといって明確に敵対しているわけではないのだ。
「いつも料理作ってもらっているのか?」
私は一瞬どう答えるか悩んだ挙句、にこやかな笑顔を見せつけつついった。
「いやあ、いつもいつも頼りっきりじゃまずいから、私も作るようにしてるんだ」
「そうなのか。杏里は前向きにやっているんだな」
まあ本当はほとんど私が作っているんだけどね。ニヤリとする頬を見せつけないようにするのに必死だった。おかげさまで家事スキルは結構上がった。実家に帰った時にでも料理を振る舞おう。
電子レンジがチンとなったら、出来上がりの合図だ。目の前に出されたシチューを一杯飲んだら、にこやかな笑顔を見せてきた。
「美味しいじゃないか」
………………え?
そのまま、父は全部食べきってしまったのだった。めでたし、めでたし?あれを美味しいというのは流石にマジでかという感想以外出てこなかった。もしかして、私が作った料理を食べたら、普通すぎて美味しくないと感じるのではないだろうか。そう疑ってしまうほどの真実味ある味覚障害を披露していた。
母はニコニコとしていた。いやいやあんた、本当に反省しろよ。ギロッと睨んでわからせようと思ったが、そんなことでわかるのなら私は宇宙人になんかならなかった。いやそうに違いない。私はそんな想いも込めつつ、
「もう家事は全部大丈夫だよ!久し振りの日本生活、楽しんでね!」
と父と話していたのだった。