148枚目
遠垣来夏は普通の少女だ。私は彼女に関われば関わるほど彼女の異常性について薄れていき、小生意気な後輩女子としての側面しか目立ってこなかった。彼女が何故、クラスでうまくいかないのだろう。彼女が何故、電車で痴漢まがいの男を捕まえたりしているのだろう。彼女が何故、こんなにも自分を卑下しているのだろう。その答えについて、私は全く触れてこなかった。
触れようとしなかった。
触れてはいけないものだと思っていた。
一度触れてしまったら、自分の古傷がえぐられるとそう思ったからだ。
なのにその日、その時、私はこんな言葉をかけてしまった。
「それは現実に負けたんじゃないよ、来夏ちゃん」
泣きじゃくっていた彼女は、一瞬で泣き止んでこちらを見た。
「それはね、現実を認識できたんだよ。それは後退じゃないし、もちろん敗北じゃない。それはね、前進なんだ」
「前進?」
「だってそうだよ。来夏ちゃんは今まで、そういう自分に対して、見ないように振舞ってきたんでしょ?」
遠垣はこくんと頷いた。
「そして今はそれを見ている。しっかりと目視して、嫌いだって言えてる」
「いや、でも私は、逃げ出して…」
「いいんだよ。何回だって逃げ出しても。だってさ、まずは認識するところから始めないと、絶対に次のステップになんていけないからさ」
そして私は彼女の首筋をすううっとさすった。彼女の顔が綺麗で、泣き顔も綺麗で、この顔が有田の元へ渡ってしまうのかと思うと少しだけイライラしてしまった。あいつ、この子幸せにしなかったらアルフェラッツ星に連れ帰ってブラックホールに投げつけてやる。そう心に決めていた。
「でさ、どうする?」
「ん?」
「これから。どうせあれでしょ?メイド喫茶辞めちゃうんでしょ?だって、そんな自分の側面が嫌いだって思うんなら、そうするのが筋だもんね」
「……うん」
「後はさ、有田に甘えちゃいなよ。彼なら多分、君がいつ悩んで落ち込んでも、全てぶちまけたってめんどくさがらずに親身になってくれるさ。あ、でも端折っちゃったダメだよ。あいつ鈍いし物分かりも悪いから察するとか絶対にできないからね」
そして遠垣は、赤く赤く照れ上がってしまった。
そしてそれを意趣返しするかのように、こう返されてしまった。
「まあ?先輩のところみたいにイチャイチャできるか微妙なところですけどねー?」
「な!?!?別にイチャイチャしてないしー!あんたんところと違って私はそういうの担当してないから、付き合ってもないし。そもそも地球人と付き合うことなんてできないし」
「おやおや、私別に結城先輩という名前を出したわけではないんですけどー?何を勘違いしてるんですかねー?」
「はあ??????あんたこそ何勘違いしてるの???私だって結城なんて言葉一言も出してないんですけど????いつまでもひっかかるそんな家田杏里じゃないんですよ!?!?!?」
「へええ、結城先輩じゃないんだったら誰なんですか?」
んんん?私は言葉に詰まった。
「ほらー誰もいないじゃないですかー!」
はははと笑ってすぐに、
「……本当に居ませんよね?」
と確認してきた。
「残念なことに、そんな相手は1人も…」
「やっぱりお相手は結城先輩ですよね」
「いやいやいや人の話は最後まで聞けっての!!私は孤島の存在なの!!そんなの……」
「今噛んで孤高が孤島になってましたよ」
「冷静に突っ込まないで!!!」
気づいたら笑い話に突入して居て、2人で腹を抱えて居た。
「最近よく思うんだけどさ、何も考えずに毎日笑って暮らすっていうそれだけで、人は幸せになれるんだなあって。別に何も望まなくっても、それだけで人は生きていけるんじゃないかって」
遠垣がそんな舐めたことを言って居たので、私はつい窘めてしまった。
「何言ってんのよ?毎日笑って暮らせるなんて、私らにとって最終目標にも等しい、憧れにも似た状態よ。それだけって、それが全てよ」
そして私はこう言った。
「私的には、貴方達と一緒にいたらそれが達成できそうなそんな気がする」
にこりと笑ってこう言った。
「だからさ、何回でも壁にぶつかって、何回でも嫌いな自分と直面して、何回でも私達を頼ってよ。今だってどうせ、迷惑かけたら困るからって有田からの連絡切ってるんでしょ?」
「へ???なんでわかったんですか?」
「そりゃわかるわよ。あいつがこんなこと起こって連絡取ろうとしない人間なわけないじゃん」
「……結城先輩だけじゃなくて、有田先輩のことも結構理解しているんですね」
「お?妬いた?」
遠垣は少しだけ頬を膨らませつつ言った。
「別に妬きませんよ。別に」
かわいいなあ。本当にこの子はかわいいなあ。いいのかなあ。あんな地球人基準で顔がいいってだけのヘタレ男にこんないい子を渡して良いのだろうか。完全に視点が親になっていた。
「よし!決めました!」
そして遠垣はぐいっとこちらに顔を近づけつつ宣言した。
「これからは私、遠垣来夏は、有田先輩の彼女としてふさわしい行動をとります!」
「具体的にはー?どういうことをする予定なのでしょうかー?」
私はそれを、芸能記者風に茶化した。
「まずはメイド喫茶をやめ、露出度の高い服を着るのをやめ、有田先輩のサッカー部の試合を全試合見に行きます!そして……自分を1番大事にしてくれる人だけを、一生懸命愛していきます!だから…」
ちょりーん♪
あっ、やっべ
どうやら服の裾がスマホに当たってしまったようだ。音声記録が遮断されてしまった。これはやってしまったぞ、色んな意味で。
「そっかそっか!が、頑張ってね来夏ちゃ…」
「あーんーりーせーんーぱーい???」
さらりと下の名前で呼んで来たがそれを容易く距離を詰めすぎていると称する余裕など今の自分には存在していなかった。
「どういうことですかね杏里先輩?」
「んんん?何のことかなあ」
「今完全に録音してましたよね??音声記録アプリ起動してましたよね??」
「ナンノコトカナー?」
「私の目はごまかされませんよ!!」
「いやいや見えてないでしょ音が聞こえただけで」
「それもうほど自白ですからね!!」
「いやだってあいつか…」
ピーンポーン、ピーンポーン。
音が鳴り響いた。私はその相手を知っていた。何なら私が、ここに彼女を押しとどめた理由の1つだ。だってなにわのカフェなんてお洒落なところ、彼がたどり着けるわけがなかろうて。
「入って来なさい。号室はわかるでしょ?ちゃんといるわよお姫様」
「恩にきる」
ぷつりと切れたインターホン。動揺の隠せない遠垣を見つつ、私は優しい声でこう言った。
「ほら、ここで私の役割は終わり。後は、あいつが何とかしてくれるから、ね?」
にこりと笑って彼女を見た。へたり込んだ彼女に私を投影した。私もいつか…いや既にそうか。私は今、自分の言葉で自分を助けていた。今の状況は後退じゃない、前進だ。そう勇気付けるだけで私にとっては前に進める気がしていたのだった。




