146枚目
シャワーを浴びているうちに気が変わった。そんな経験をお持ちの地球人の方、いるだろうか?そんな経験はなくとも、約束をした当時はとても行きたくて楽しみにしていたのに、いざ外に出てみようとすると身体が重くて前に進んでいかない、そんな経験をお持ちの御仁は居られるだろうか。これはアルフェラッツ星人特有のものだと思っていたけれど、実は広く一般的な物なのだとこの星に来て知った。この世に万といる心理学関連の教授様にはあの高揚感と気だるさについて名を名付けて欲しかった。わくわくしながら予定を合わせ、いざ行こうとすると面倒になって、やっぱり日程変えようとか、ブッチしてしまおうとか、そんなことを考えてしまう。人によっては約束した相手が大したことないやつだとか、昨日一昨日疲れたから今から遊びに行くのは違うとか、自己弁護する理由をつらつらと並べて動かなくなるやつもいるだろう。しかし我々は知っている。そして地球人も知っているだろう。こんなことを思っていながら、いざその予定を遂行したのち、結構楽しんでいて満足していることに。行くと楽しいのはわかっているのに、一歩足を踏み出せないこの出不精根性。まさしくそれはわがままで横柄で横暴で自分本位な地球人らしさであり、従順で謙虚で思いやり溢れる他人本位なアルフェラッツ星人らしさでもあると思った。
つまり何が言いたいかというと、私は気が変わったのだ。
「先輩、なんでシャワー浴びてからお茶とか準備してるんですか?」
遠垣が慌てている中で、私は泰然自若とダージリンティーを淹れていた。この前父が送ってきてくれたものだ。
「いやもう、外出るのめんどくさくなった」
「いや先輩、あなたここ数日ほとんど外に出てないらしいじゃないですか。たまには気晴らししましょうよ」
「一昨日は出かけたわよ」
「バンドメンバーに会って速攻で帰ったでしょ?あれから有田先輩経由で魅音先輩から連絡来ましたよ。家田ちゃん、大丈夫って」
なんだその連絡網。私は呆れつつも焼き菓子を何個か皿に乗っけた。
「いいじゃん。ここでのんびりして行きなよ。しばらく親帰ってこないし」
「いいの?」
「いいんじゃない?ここの方が周りに声聞こえないでしょ?」
「それなんかエロいですよ先輩。私の純潔を奪う気!?」
何言ってんだこいつ。そう思いつつお茶を出した。
「それに、その格好だと目立つでしょ?というか遠垣、電車の中でめちゃくちゃ目立ったんじゃない?」
「いやそうでもないですよ?最近コスプレ文化もだいぶ定着して来ましたからねー」
「それを、奇異な目ってやつじゃ…」
「別にいいんですよ。そんなの」
いきなりトーンが下がった。その高低差についていけず、私は次に言おうとしていた『外国人に写真とか取られなかった!?』はお蔵入りとなってしまった。
「で、遠垣さん」
「来夏でいいですよ」
「じゃあ、来夏さん」
自分からいいと言ったのに、やたらと驚いている様子だった。それなら最初から言わなければいいのに。
「何があったの?来夏…」
いきなりだった。本当に、何の前触れもなかった。目の前の少女が、大粒の涙をポロポロと落とし始めたのだ。アイシャドウがボロボロになっていった。顔が崩れ、化粧なんてないようなものになってしまった。それを見られたくないのか、私を直視できないのか、ずっと下を向いたままになってしまっていた。
「え!?ど、どうしたの?」
「先輩、先輩……私」
ヒクヒクした声になりながら、彼女は絞り出すようにいった。
「どうしたら、宇宙人になれますか?」
遠垣来夏は、別に普通の少女だ。誰かとコミニケーションを取るのに障害があるわけではない。急に感情が上下したり、いきなり落ち込んだりといったこともなかった。見た目に至っては普通以上のものがあった。では何故彼女は、誰かと友達になれないのだろう。何故いつも、同級生と絡めないのだろう。
中高生の1年は大人社会の12年に匹敵する。干支が一回り違うくらい、溝があるものなのだ。なのに彼女は、その差を軽々と超えてくるのに、同じカテゴリの人とはうまく絡めていなかった。嫌いなのだ。男が?男に媚びうる女が?いや違う。
「私は、男にちやほやされると喜んでしまう自分が嫌いなんだ」
彼女なりの悲痛な叫びだった。
「本当は嬉しいんだ。可愛いって言われるとニコってしてしまうんだ。誰であれ好意を向けられると、幸せを感じるんだ。男が好きな自分が嫌いだ。嫌いなのにそれを求める自分が嫌いだ」
その叫びは慟哭になり、嗚咽へと変化していった。
「嫌いなものを肯定することができない。かといって否定した生き方も出来なくて、いつだって私は中途半端だ。有田先輩みたいにわかりやすく生きることもできなくて、結城先輩みたいに飄々と生きることもできなくて、家田先輩みたいに徹底的に自分を偽って生きることもできなくて…私は…」
私はそっと遠垣、いや来夏の側にきて、肩を抱き寄せた。
「そんな大層なものじゃないよ。私だって、ここのところずっと悩んでたんだから。でも、今は大丈夫。わんわん泣いて、叫び続けたらいいんだよ」
そしたらいきなり来夏がぎゅっとして、押し倒してきた。床に頭をがあん!と当てて、少しだけ痛かったのは我慢した。
「うわああああん!!!うわあああああんん!!」
泣き始めたのはいいものの、何故こんな風になってしまったのかは全くわからない状態だった。でもそれでいい。人はいつだって、出来事より感情が前に来る生き物だ。だとするならば、まずはその感情を全て吐露させてしまうのだ。それが1番手っ取り早い。
「しぇんぱい……しぇんぱい……」
何があったかなんて、後から聞けばいい。そんなもの今は必要ない。今彼女に必要なのは、その涙を遠慮なく流してあげられる私という存在だ。
そっと頭を撫でた。胸を借りて泣く彼女の化粧が、服にこびりついたがそんなのは関係なかった。
「先輩、先輩」
「どうしたの?」
来夏は一呼吸開けて言った。ここからは出来事のターンであろう…
「有田先輩に告白されました」
は!?!?!?え!?!?え!?!?は!?!?!?!?私は動揺を抑えきれず、よしよしと撫でていた手を止めてしまったのだった。




