145枚目
ねえねえ、家田さん大丈夫?
そんなLINEまで飛び始めたのは8月8日だっただろうか。私はそれでもふさぎ込んでいた。この前にあったミーティングで落ち込んでいたと思われたのだろう。まあ気が落ちていたのは事実だ。
作詞うまくいってないんだったらいつでも相談してね、私乗るよ!
そういうわけじゃないんだけどな。私はスマホを放り投げた。武田には申し訳ないが、ここで取り繕う元気など今の私に残されてはいなかった。私はずっと悩んでいた。本当は実は気付いてた。いやそれと直面していいのかわからなくて…わからなくて。
本当ならば病院に行くべき案件なのだろう。解離性自己障害?ピーターパン症候群?パニック障害?適応障害?わかんないし、わかりたくもない。そんな事を知ったって、私の心は一向に満たされない。
うだうだと悩むうちに、10日近く経っていた。そしてそんなある日、開くはずのない扉が開いたのだ。
「お邪魔しますねー」
間の抜けた声が聞こえた。それが、ここのところの心が沈みきって私とは大きくコントラストとなっていた。その声の主は、遠垣来夏。
「せんぱーい、せんぱーい、元気してるっすかー?」
ドアを開けた彼女は、異様なくらい明るい声だった。
「うわっ!!めちゃくちゃムシムシしてるじゃないっすか?クーラーは?つけてないんすか?というかなんすかその格好。パジャマのままじゃないですか!?」
「その話し方…何?」
「最初に気になるところそこっすかー?何でこの家に入って来てるのー?とか、どうしてメイド服着たままここに来てるのー?とか、どうして目が充血してるのー?とか」
遠垣はニコニコしていたが、確かに明らかに何かがあった様子だった。しかしそれに気を遣えるほど、今の私は元気ではなかった。
「せんぱーい、そんなに嫌だったっすかこの話し方。結構好評なんですよ。私の中で」
「……そっか」
「沢木先輩のあの話し方って結構いいっすよねー!あんなフランクでなおかつムカッてならない雰囲気、真似しようと思って真似できるもんじゃないっすよー!」
私は結構あいつにムカついてるけどな。 最初に会った時とか名前すらろくに覚えてなかったし。いつだって自分のことばかり話して、私の話なんて一つも聞いちゃくれないのがあの人だ。悪い人ではないが、ムカつかない雰囲気というのは疑問符である。
そもそもこの国の人は私の話を聞いちゃくれない。それに関してはみなさん同意していただきたかった。だってそうだろう?私の周りにいる変態変人エトセトラの中で、真摯に話を聞いてくれる人なんて阿部ちゃんくらいだ。後はみんな聞いてないか曲解するかわかっててあえて違う反応をするかの3通りに分別される。本当に言語能力の低い人たちの集まりだなと嘲笑したくなった。私は宇宙人だから、その辺の言語中枢の遅れに対して忌憚ない意見が言えるのだ。地球人だと角の立つ言い回しも、宇宙人が話したとなると説得力が増すだろう。それはさながら、わざわざ外国人に日本の素晴らしいことを紹介させるテレビ局の番組のようだった。
「とにかく、私は相談に乗って欲しいんすよ先輩に!だからここの鍵を大家さんに開けてもらって来たんだから」
「いやいや何勝手に正当不法侵入かましてくれちゃってんの?私的には迷惑度maxでお引き取り願いたいんだけど」
私はあいもかわらずパジャマだった。
「外行きましょ?先輩」
「えー引きこもりたいー」
「身体鈍りますよ」
「訛って結構。大体この星の重力は私の体に合っていないのよ。もっとgを!!!gをへらしてくれないと!!!私は立つことすら!!!ままならない!!!」
んふふふふふ、よくわからない声が聞こえてきた。なんだその笑い方。
「なんか、ちょっとずつ先輩が先輩らしくなってきましたね。良い感じですよ!!」
恐らく遠垣は、部屋に入ってきた私を見て少しは心配したのだろう。なんなら少しくらい後悔したのかもしれない。話を聞きにきたけれど、話を聞かなければいけなくなったのでないか。そんな風に思ったとしたら、この言葉も理解できる。私はそんな、彼女の心遣いに免じて、彼女の話を聞こうと思った。たまにはそうやって、先輩ヅラしているのも悪くないだろう。
「まあ、いいわ。着替えたらどっか行く?」
「あーじゃあ、最初に会ったカフェでも行きますか?なにわの方にあるあっこ」
「結構他に人も多いけど…大丈夫?」
「私は大丈夫ですよ、先輩は人酔いするからダメかもしれないけど」
「私そこまで人嫌いじゃないわよ」
「本当ですかー?」
こうして彼女と話していると、どんどんと余計なことを考えなくなっていった。彼女の前では今更なのだ。私は宇宙人じゃないだなんて妄言を吐いたところで、そんなこと知ってたと軽く受け流されてしまうだろう。それならもう、考えることなど何もない。ただ私は、アルフェラッツ星人になればいいだけだ。
「わかった、わかったけど、シャワー浴びてきていい?出かける気なかったから髪とかもボサボサだし」
「えーその天然な感じの先輩が可愛いのにー!」
「……しっかり化粧まで決めてるあんたに言われたくないわよ!」
「やーん、バレました!?最近ハマってるんすよお化粧」
いつもよりアイシャドウとか頬の赤みが入っていると思ったら、どうやら本当に化粧しているらしい。
「だってすごくないですか?これ一つで別人みたいに早変わりできるんすよ!これを使えば一重の人は二重になれますし、膨れた頬はキュっとなりますし…」
そして少し開いて、遠垣来夏は悲しげな顔でこう言った。
「ほら、別の自分にだってなれちゃうじゃないですか?」
その顔を見ただけで、私は確信した。いやその前から確信はあったけれども、絶対にこの子を救わないとっていう確約すら生まれた。なんでかって?自分を偽れる、他人みたいになれる、そんなもの、私が見逃していい言葉じゃないからだ。私はその場で脱いで、裸のままシャワーへ向かった。遠くから、
「きゃー大胆!」
と煽りが飛んだが、聞こえないふりをしていた。