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139枚目

 別に私は、そこまで特別な生い立ちをしているわけではない。バリバリの商社マンとして働く父と、海外の航空会社でキャビンアテンダントをしていた母との間に生まれた普通の女の子だ。3つ離れた優秀な弟がいて、ウィンタースポーツにはまっていた。私はそう言うの好きじゃなかったけれど、弟は小学生にしてスノボに夢中だった。そんな弟を尻目に、私は家に引きこもって本ばかり読んでいた。あまり外に出たがらない性格の私を、母親はこう評していた。

「杏里ちゃんは多分、お父さんに似てしまったのね。貴方のお父さんも商社マンとは思えないほど寡黙で、旅行とかレジャーとか誘ったらついてきてくれるけど、自分からは何1つとして動いてくれないのよね。まあその性格の方が、私にはぴったりだったんだけど。恐らく行人は、私に似たのね。娘は父に、息子は母に似るとはよく言ったものだけど、ここまで顕著とは思わなかったわ」

 私としてはふーんと言う感じだった。あまりにも転勤が多すぎる父について行くのが辛くなり、私ら家族は私が物心ついた頃から日本に留まることとなったのだ。茨田市の中心部のマンションを購入して、そこで家族三人暮らすことととなった。当時はまだテレビ電話といったものが普及に至っておらず、父の顔はおぼろげにしか理解しないまま、私は小学生になってしまった。

 小学校に行っても私の引きこもりぐせは治らなかった。教室で馬鹿騒ぎする同級生達とは混じらずに、暇を見つけては図書室に行き本を読んでいた。当時はまだまだ子供で、ハリーポッターとか指輪物語とか、そんな話ばかり読んでいた記憶がある。

 まあ最近まで子供だった私らならわかるが、本を読んでいる女の子というのはいじめの対象になりやすい。少なくともはぶられたり無視されたりする対象にはうってつけだ。小学生とは外で運動したり、人に暴言を吐いたり、喧嘩が強かったりする男の子がもてて、外で運動したり、人に暴言を吐いたり、誰かに命令して自分の言うことを聞かせられる女の子が持て囃される時代だ。そんなものとは無縁の生活を送っていた私に対して、クラスの風当たりはなかなかに厳しかった。

「人間は皆、自由なのだ」

 その頃だ。まだ4年生の濱野恵子と出会ったのは。そしてもう1人、力石すみれ。この3人が、私の数少ない友人だった。

「人間は皆根源的に自由で誰にも隷属されない生き物なのだ。例えば宿題というものがあるだろう。あれは子供達の学習効果を高めるなどと言われて強制させられているが、そもそも理解度というのは個人差がある中でそれを全員に課していくというのは自由への侵害であろう。そもそも勉強しなければならないという所からすでに国家による権利侵害の旗手は始まっている。子供だって…」

「けいちゃんのいうこと難しいー!」

 濱野恵子はこんな少女だった。それに力石すみれがブーブー文句を垂れて、私はそれを笑って許していた。この3人でずっと遊んでいたから、正直言ってクラスで多少ひどい目にあってもケロッとした顔をしていた。そもそもひどいいじめと呼ばれるものをそこまで経験しなかった記憶がある。セミの抜け殻食べさせられるとか、上履きゴミ箱に捨てられるとか。それに小学校の後半は塾に行き始めたから、そんなこと余計思わなくなった。勉強をガリガリしていた記憶が、朧げながら残っていた。

 中学はなにわ星蘭という、この辺りでは有名な私立中学に通うこととなった。すみれちゃんとは同じ中学に通うことができたが、けいちゃんは早いうちから地元の中学に通うことを決めていたらしい。少しだけ残念だったが、それもまあ彼女の言葉を借りるならば自由意志というやつなのだろう。私とすみれちゃんは同じようなサイズのブレザーを着て、その中学校に通い始めた。

 毎日満員電車に乗って、なにわ市の中心部まで通っていた。茨田駅にすみれちゃんを待ち合わせて、朝から登校するのは最初大変だった。それでもそんなのすぐに慣れた。おっさんの独特な匂いとか、私からしたらむしろ新鮮だった。いつから行人からもそんな匂いがするようになるのかな。そう将来のことを考えるとにこやかな顔になった。

 恐らく自分が最も楽しかった時期をあげろと言われたのならば、それは中学1年生の時であろう。すみれちゃんに引っ張られて行くように周囲の子達と溶け込んで行ったあの頃は、今の私からもどうしてあんなにうまくできたのか不思議なほどだった。下手くそなりにテニス部に入って素振りとかしていたからだろうか。メインだったのはテニス部よりその後みんなでなにわの中心を歩き回ることだったけど。

 別に特別持て囃されたわけではない。私はその学校で、どちらかと頭の悪い方だった。多分入試も、すみれとブービー賞を争うくらい悪かったであろう。でもみんな、ぼうっとしてても私に話しかけてくれた。

 ゴールデンウィークには槻山の山の上でBBQをした。無論その時はそれぞれの親御さんも来て、さながらパーティのようだった。私のところだけお父さんがこないのではないかと思っていたけど、そんなことなくどの家庭も母親が来て安心した記憶がある。その時初めて食べた焼きおにぎりは、後に冷凍の焼きおにぎりを親にねだった上でいざ食べてみてなんか違うと言ってしまうくらいハマってしまった。私の母親は厳しかったから、いいから食べなさいとお残しを許してはくれなかったけれど。

 夏休みは夏祭りにも行ったし、海にも行った。後お父さんに会いに行ったな。当時のお父さんはイギリスに居て、みんなでストーンヘンジ見に行ったっけ?そう、そうだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。後から知ったんだけど、有田はあれ小学校高学年くらいの私って思ったんだよね。残念ながらあの時はもう中学1年生だったんだ。生まれつき背は小さかったからね。年の変わらない男の子は、弟。最高の夏休みだったね、あの時は。

 秋には紅葉狩りって言って、暇見つけて4人で比叡山を登ったっけ?いやそれより文化祭だね。みんなで劇やろうぜって、先生馬車場のように働かせてたっけ?基本ガリ勉なうちのクラスだったけど、みんなで一致団結して最高にバカな脚本書いたよね?なんだっけ?桃から生まれた一寸法師だっけ?忘れちゃった。

 クリスマスは中々に地獄だったね。仲良かった女の子が幼馴染に告白したんだけど、その子がもう彼女作ってたって話。悲惨すぎて泣いちゃいそうだったよ。しかもそのカップル一瞬で別れちゃって、とんでもないチャラ男になっちゃうなんて、そして今この学校で女に手を出しまくってるって聞いたら、どんな顔するんだろうね。もうその子の顔すら朧げだけど。

 ……多分最初に綻んだのは、すみれちゃんが星蘭を辞めたことなんだろうな。今になって私は、そう実感していた。

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