15枚目
その日のボーリングは夕方6時からだった。どうやら部活生に配慮した時間帯らしいが、どうにも私には適していない。3時半に授業が終わり、それから何をしようかと思いを巡らしていたが、結局一旦家に帰ることにした。飯の準備をしておかないと、もしかしたら帰りは疲労と心労で作る気になれないかもしれない。そんなことを思いながら、私はスーパーに入っていった。
私の仮宿には面倒な母が住んでいるが、母が帰ってくるかどうかには4パターンある。1つ目は連絡も無しに帰って来ないこと。これが実は1番よくあるパターンだ。そんな時、私は思いっきり羽根を伸ばすのだ。服を脱ぎ散らかしたり、ジャンキーなものを食べたり、夜遅くまでリビングでテレビを見たり、宇宙人と交信したりと、大凡母がいたらできないようなことを何の気兼ねなく行なっているのだ。
2つ目は、前回もあったが、連絡も無しに帰ってくること。そしてこの時はほとんどの場合男を連れ込んでくるのだ。この日は、正直言って1番残酷感があると思っている。今日は1人だと思ってきたら帰ってくる母と男。気持ち悪くて見たくも聞きたくもないものを聞かされる恐怖。あの絶望感はたまらない。たまらないほど痛苦しいものがあった。
そして3つ目だが、これは事前に母が帰ってくることを知らせている状態を指す。いくら父がお金を大量に振り込むからと言って、使えるお金には制限がある。だから遊び歩くのに疲れた時には家に帰ってきたりするのだ。この時は母1人だし、そんなに機嫌が悪い時でも無いので、リビングにいても怒られないし、日付跨ぐまでにトイレに行っても文句を言われない。ただし家事はやらない。掃除も洗濯も風呂沸かすのもやらない。料理は私一任だし、美味しそうにも食べてくれない。それでも怒られないだけマシだった。そして今日はこの日なのである。夜の7時に母が帰宅するらしい。
ちなみに4つ目として事前に連絡して帰って来ないことがある。これは非常に稀だ。ほとんど遭遇したことがなかった。
私は籠を手に持ち、スーパー内を回りはじめた。母の分も作るときにのみ、私はスーパーに繰り出すのだ。しかしながら、まだまだ全国の主婦たちのように、スーパーを回りながら夜ご飯の献立を考えると行ったスーパー高等スキルは習得していなかった。それができるほどの腕も料理のレパートリーもなかった。ふ、ふん!我が故郷に帰ったらこんなこと朝飯前だからな。まだ地球での暮らしが慣れていないだけだからな。覚えておけよ!と心の中で謎の強がりを始めつつ、私はカレーの材料を手に取り始めた。
母は絶望的に家事ができない。お米を洗ってといえば洗剤を使い始めるレベルだ。彼女に16年間も育てられた人は可哀想だなあと哀れんでしまうほどできないし、するやる気もない。だから彼女には、せいぜいレンジでチンするくらいしか手間を取らせないようにしたいのだ。そんな時、カレーは優秀である。
じゃがいも人参玉葱と手に取って、牛肉を手に取ろうとしたときに、遠くで嫌な人影を見た。同じクラスの人だった。一昨日、私のことを蔑んで笑っていた女子達だった。私は見なかったふりをして、牛肉を取った。遠くで上がった笑い声は、私に向けられたものなのだろうか、それとも全く違う話題なのだろうか。もうそんな微小なことに構ってられるほど、私はこの国の高校生活に慣れていないわけではなかった。私はそのまま、顔を上げずにレジへと向かった。
カレーの準備を整え、いざ行かんと思った時に、私は不意にマリアの言葉を借りたくなった。
「ねえマリア、私今からボーリングに行くんだ」
部屋で少しおしゃれな私服を着ていた私は、それに構わずベットに横たわりながらペンギンのぬいぐるみに話しかけた。
(おお、楽しんでこいぜよ)
マリアはいつも通りの呑気な口調だった。
「不安なんだ。ちゃんと私仲良くできるかなあ」
(仲良くしようと思ったら、仲良くできるもんぜよ)
マリアは、こんな時すっと背中を押してくれるいいやつだ。
「実はね、私のことあまりいい目で見てくれていない人がいるの。隙を見せたら笑われたりとかされちゃうんだ。それが怖いの」
(でも、最近の話を聞いていると、杏里に向かって好意的なことを言っている人も増えてきたみたいに思うぜよ)
私はぬいぐるみを少し強く掴んだ。
(好き嫌いというのは誰でもあるぜよ。それは宇宙人だろうが、地球人だろうが変わらんきに。だから、嫌いな人を嘆くんじゃなくて、行きたい人を思いながら行くのがいいんじゃないかと思うぜよ。ほら、結城くんとか)
私はびっくりして起き上がってしまった。
「は、はあ?結城?あいつとか何にも関係ないし…」
(えーでもぉ、さそってくれたんでしょぅ?絶対気があるってぇ)
「土佐弁抜けてるよ、マリア」
私はケタケタとからかうマリアを見ながら頬を膨らました。怒ったのではない。断じて。
「でもまあ、元気出た!ありがとう!行ってくるね!」
私はそう言ってベットから飛び上がった。
(行ってらっしゃいぜよ。楽しんでくるんだぜよ)
マリアの明るい言葉に背中を押されながら、私は少しだけ足取りを確かに部屋を出た。
集合場所である私鉄の駅前には、5時半についた。早すぎるのではないかと思われるかもしれないが、やることがなかったから仕方がない。そもそもこういう待ち合わせというものになれていないのだ。基本的に一人で何処かに出かけてきた弊害が、こんな所で現れるとは思わなかった。そもそも日本人は待ち合わせ時間に早めにくるのが礼儀らしいから、私の方がむしろ正しいのだ。そんな強がりを抱きながら、集合場所である改札口へ歩いて行った。
改札口には出森がいた。彼女は私を見ると、何だか複雑そうな顔をして、スマホに目を落としていた。そのあまりの露骨さに、私は少し苦笑いになってしまった。
「…早いね、出森さん」
「…そうだね」
そして、沈黙。これは私のせいだけではない。一向にスマホから目線を上げない相手にもいくばくかの責任があるに違いない。これは正論のはずだ。
にしても…ひどい話である。確かに私が宇宙人であるということが認められず、私を変人扱いするのはよくわかる。それがこの地球では普通のことと言われてしまえば、反論の余地など全くない。しかしながら、はなからコミュニケーションを取る気がないというものはいかがなものだろうか。私は宇宙人である。アルフェラッツ星人である。しかし、それ以前に日本の女子高生である。クラスメイトである。そこらへんを、出森には理解して欲しかった。
もう冬は過ぎたというのに、少しだけ肌寒かった。私たち二人に続かんとする人影は見えなかった。このまま、私は出森の方を見て立ち尽くし、出森はスマホを見ながら立ち尽くす時間が流れるのではないか。それはそれで安心で、それはそれで少し物足りなかった。
そんなことを思っていた矢先だった。急に出森はスマホを閉じて、私の方を見た。彼女がかけていた銀縁のメガネが、少しプルプル震えているように思えた。そして、彼女は重い口を開いた。
「家田さんって、有田君のこと狙ってるの?」




