131枚目
最初にその言葉を聞いた時に、私は驚かなかった。驚いて声が出なかったのではない。ただただ当然のこととして、それを受け入れてしまっていた。私は理解してしまっていたのだ。高校生が、親の手を1つも借りずに生きていくなんて無理だということを。それも、病気になった親を抱え、思春期の男の子が1人で生きていくなんてことは到底無理だと。そう身に染みているからこそ、私は何も表情を変えずに結城を見ていた。
「流石に母親の家族が連れ戻すことにしたらしくてね。これまで放蕩娘だって一度も孫の顔を見てくれなかったっていうのに、娘が過労で倒れて重病ってなったらコロッと態度を変えちゃってさ。まあそりゃそうだろうけど。で、母親の実家は関東だから、そっちに俺も移り住むって感じ。まあ並な流れだろ?父親は年1回も連絡を返さないほぼ失踪状態で、病床に臥した母親。いくら法律上一人暮らしができるからって、それを許容してくれるのは並な祖父母じゃねえだろ?」
「まあそれは、そうね」
当然だ。当たり前だ。そんなこと、君以上に私が1番わかってる。
「案外驚きがないんだな」
「いや、まあ、ね?100万光年近く離れている所から居候している私からしたら、そんなの大したことないって話よ?どうせ関東って、首都でしょ?電車で数時間もあれば会えるじゃない」
別に強がりでもなんでもなかった。ちょっと冷たかったかもしれないが真理だ。昔ならいざ知らず、古都から首都までなど3時間たらずで到着してしまう。近いじゃないか。宇宙人としての私は、そう思ってやまないのだ。
でも、私は他人を思いやることができる宇宙人だ。仮に並の女子高生としてこの事態に直面したとしたら、まるで永遠の別れのように思えるであろう。多分だけど、高校生は皆時間も距離も過剰に敏感だ。ちょっと離れただけで隔絶された気になるし、ちょっと逢えないだけで耐えられなくなるほど寂しくなる。貴方達とは、そういう生き物なのだ。その気持ちは痛いほどわかる。うん、わかる……
ふと、涙が溢れかけた。
私は驚いた。転校を告げられた時なんかよりもはるかに驚いてしまった。目の奥で水滴が準備され始めて、それが今にも溢れんとしていた。流してはいけない。その涙を流してはいけない。私はそう思って必死に飲み込もうとした。
だっておかしいじゃないか。結城がいなくなるからなんだっていうのか?あいつはただの、この星の人間のサンプルに過ぎないだろ?確かにここ2ヶ月何度も何度も助けられてきたものの、だからといって泣くことはないだろう。泣くほど、悲しんでは駄目だろう。私にとっての彼は、征服対象なのだから。私にとってのこの星は、みんなみんな敵なのだから。
それとも……私は本格的に同化しようとしているのかもしれない。嘘を、辞める時が来たのかもしれない。ああ、いやだ。こんなことばかり考えてしまう。夢を見てしまう。自分の耐えられない現実を、受け入れて進めるのではないかと思ってしまう。いつの間に、私の周りにはこんなに人が増えたんだ。このままずっと一人ぼっちで、生きていこうって思ってたのに。
耐えられない思いを押し込めるように、私は顔をしかめていた。その時だった。ぐるんと結城が寝返りを打った。そしてお互い、お互いの布団で見つめあった。
結城の顔は泣いていた。私の顔は涙目だった。悲しいのは同じのようだ。こんな所まで似てなくてもいいじゃないか。そのくせ、彼はもう、現実をとっくに受け入れているというのに。そこだけは、同じであって欲しかったのに。
「涙目じゃん」
「そっちこそ」
反射的に言葉を返した。
「まあ、でもわがまま言って、夏休みが終わるまではいるよ」
「そっか」
「でも、そうだな……文化祭、出るんだろ?」
その話、結城の前でしただろうか。いや、風の噂で聞いたのかもしれない。私は正直にこくりと頷いた。
「じゃあ、まあ、それくらいは見て行かないとな。幸い休日だし」
むうう、そういう所だぞ!!そういう所だぞ!!また私は期待してしまうじゃないか。君となら、この嘘なしでも生きていけると思えてしまうじゃないか。全く罪な男だ。魔女裁判で裁いてやりたい気分だ。他人を誑かす男としてな。
「ありがとう、結城。特に文化祭のステージに何かをかけてる訳じゃないけど、あんたがそういうなら全力で頑張るわ」
「え?俺のため」
「うん、結城のため」
言いながら2人して照れていた。
「悪い?」
「最高」
そう言ってにやける所までまた、2人同時だった。
そろりそろりと歩く足音に、私は目覚めてしまった。眠気を振るいつつ目を開けると、そこには寝ている結城がいた。顔と顔の距離、凡そ数センチ。
「ふぎゃー!!!!!」
「ちょっと姫路先輩!!何やってるんですか!!せっかく起こさないで寝込みドッキリしようとしてたのに!!」
「私のせいじゃないですよ!!家田さんが勝手に叫び出して……」
「とりあえず布団を剥げ!!首から下服着てるか確かめろ!!」
へ?へ?へ?何が起こったのかわからないままに、私は掛け布団を没収されてしまった。
「有田隊長、服は着ております!」
「はだけてないか?」
「完璧に着こなしております。これは健全な寝方をしたのかと」
「えーつまんないっすよー先輩方ー」
とここで、ようやく結城が起床した。結城は目をうとうととさせつつ、自分の家の自分の部屋に5人も集まっている現状を受け入れず、
「これは夢かな?」
と一言呟いていた。
「なんであんたら結城の家に入って来てんの?住居不法侵入よ」
「鍵をかけないお前が悪い」
有田は悪びれずにこう言った。
「まあ、確かにかけた記憶ないな」
「防犯意識なさすぎでしょ先輩」
「いや、私は反対したんですよ?でも他の2人が……」
「その割に私らの布団に近づいたの姫路さんだったわよね?」
「そもそもさ、俺らも質問だけど、なんでお前ら同じベット2人で使って寝てんの?」
有田からド正論が飛んで来た。私らは2人顔を見合わして、そして顔を赤くした。
「何したんだよ!!!」
「何したんです!!!」
「先輩方顔真っ赤ですよ!!!」
そう突っ込まれて、ようやく私達は顔を見合わせて笑った。昨日の夜のことは秘密にしておこう。いや、今ここで伝えるより、また然るべき時に結城が伝えるのだろう。
あれ?そう言えば野球部を辞めた直接的な理由、聞いていないような……その前にお互い疲れて寝てしまったから、まだ聴けてない。まあいいや。それは、私が聞いても仕方のないことだ。沢木あたりが聞けばいい。私はただ、彼にエールをもらっただけだ。もしかしたら、嘘なしでも生きていけるかもしれないという、勇気という名の淡い希望を。
「つうか今何時?まだ朝だろ?」
「6時だな」
「はあ?そんな早くから何しに来たんだよ」
結城は自然な動きで布団から出た。そして有田に苦言を呈していた。
「そりゃ、今日一日満喫するためだろ?ほら、遊ぶ道具めっちゃ持ってきたぞ!」
「ゲーム機、カセット、家にあるもの全部持ってきちゃいました!」
「お菓子とかもいっぱい買ってきましたよ!!1日楽しみましょうね!」
へ?へ?ぼけっとしている私に、遠垣がダメ押しの一言をかけてくれた。
「今日はみんな、泊まる許可もらってきたので、目一杯遊び尽くしましょ、せーんぱい」
ニコッと笑う彼女に手を引かれながら、私は布団を出た。彼女の手は、布団の中よりも暖かく感じたのだった。




