129枚目
結城は淡々と自身の過去について語っていった。少しずつ少しずつ事実を抑えていくように、そして憶測や希望的解釈の入る余地をなくしていくように、彼は切々と語っていた。
「と、まあ面白くない話だったかもしれないけど、こんな感じだよ」
全てを語り終えた結城は、笑顔すら溢れていた。本当は、言いたくない過去だったに違いない。それをこんな風に気丈に振る舞っているのだから、やはり結城は我慢強い。
そして私は、そうした彼の冷静さや我慢強さに全く応えられていなかった。
せっかく話してくれたのに、なんて返して良いかわからない。大変だったね、とか、お疲れ様でした、なんて言葉で修飾するには、あまりにも彼のこれまでは苦労の連続だ。じゃあどうする?父親について批判を繰り出すのか?いやそれも違うだろう。結城にとって、恐らく父親はムカつくかもしれないが憧れの感情も少しくらいあるはずだ。じゃあ、なんだ!?私はどう対応したら良いんだ!?
他人から過去を告白されたことなんて、私には一度もなかった。だからだ。わからない。わからない。わからない……
そりゃ、遠垣が私に相談してくれなかったのも妥当である。たとえ相談してくれてたとしてもこのザマである。ならばそんなこと、考えた方が負けというやつだ。私に相談するなんて、間違ってたんだ。
は、はははは。悲しい笑い声が、心の中で跋扈した。なんてつまらない人間なんだろう。なんて最低な人間なんだろう。いやそれでも……何か口にしないと……
「お、おい家田……さん!?!?」
いきなりびっくりされてしまって、私は不意に結城の方を見た。その時だった。目から一筋の涙がつーっと頬を伝った。泣き出してしまっていたのだ。しかも、私には何1つの自覚もなしに。
「あ、あああ……ごめんね!ごめん……」
そう言いつつ目頭を手で押さえていると、今度は包帯をしている方からも涙が溢れた。なんで、こんなに泣いちゃうのだろう。
「……家田、そんなに、悲しい話だったか?」
いや多分、自分の不甲斐なさからだ。ここで取り繕うことよりも、私は自分を徹しにかかった。ブンブンと首を振って、声を震わせながら答えた。
「私……もっと……もっと気の利いたことを言おうと……結城……苦労してきたのに……頑張ってきたのに……私は……何のいいことも言えなくて……アドバイスも……できなくて……そんな……そんなんじゃ……相談しがいのないやつだなって……」
「んなわけねえだろ」
結城は即座に否定した。そしてすぐ声色を元に戻した。
「こういうのは、話を聞いてくれただけでもう9割方仕事終わってんだよ。こっちは解決策を見つけて欲しいんじゃなくて、ただただ愚痴ってるだけなんだから。そんな、誰もが納得するようなすげえこととか、人生の指針になれそうな素晴らしい一言とか、誰1人として求めてねえんだよ」
「それじゃあ……どうすればいいの?」
「ただ笑って『頑張ってきたんだね』って言う|。それだけでいいんだよ。それがラスト1割だ」
そっか。そっかそっかそっか。私は何を勘違いしていたのだろう。今私は、せっかく相談してくれたのだから、何か答えになりそうなことを言ったり、相談に報いられるようなことを言おうとしていた。否、それは違う。彼はそう言っているのだ、じゃあ、泣きじゃくってる今の私なんて、論外じゃないか。
せめて、せめてもう少しくらい、報いなければ……私はまだ溢れる涙を両目に浮かべながら、結城の膝に触れた。そしてここからだった。私は結城の左膝を掴みながらすっと彼と向かい合った。そして絡みつくように左足を彼の背中に少し通そうとしつつ、右手を左膝から肩甲骨へ移動させた。結城の足の付け根に、私の太腿の裏側が乗った。足は結局背中に通すことはできなかったので、くの字にして外に流すような状態にした。そして私は、ぎゅっと、ぎゅっと、結城を抱き締めた。心臓の鼓動が速くなった。この音が、結城のものなのか私のものなのかわからなくなるほど、私たちは密着した。そしてポツリと、私は彼の耳元でこう言った。
「頑張って……きたんだね」
一瞬引いて、お互いの顔を見合わせて、そして笑顔を作った。
「今の私にできるのは、これくらいのことだから」
流石に少し恥ずかしくなったので、すっと立ち上がった。離れようとしたのだ。それを、その立ち上がった私を、結城も立ち上がって力強く抱き締めた。
ぎゅっと接着する2人。お互いがお互いを強く抱き締め続けていて、お互いがお互いの匂いを共有していく。ゴツゴツとした筋肉は、彼のこれまでの努力の結晶に思えた。胸筋は、冷たいようで柔らかく、私を包んでくれた。最初こそ驚いた私の表情は、すぐにトロッとした顔になった。
「なあ、家田」
まるで耳元囁くかのように、結城はまた語り始めた。
「俺はさ、ここまでだったらまだ他に1人説明したことがあるんよ」
誰だろ?沢木?それとも……杏子ちゃん?
「でもここからは、家田にしか語れないことなんだけどさ。昔自分は、自分がいなくなりさえすれば、母はもっと苦労しないで済むんじゃないかって、ずっと思ってたんだ。自分が犠牲になって、世界が救われるのなら、それも良いかなって思ってたんだ。だから最初、君に言ったんだよ」
少しだけ間を取り、結城は私の顔を覗き込んだ。私はその顔を、じっと視線をそらさず見ていた。
「僕を、殺してくれって」
結城はまるで昔のことをいうかのように言った。
「誰もに秘匿されながら生まれ、生まれた瞬間母は家族から縁を切られ、毎日過労になるまで働いている。あんたはバイトなんてしないで、野球してなさいなんて言われてバイトもできず、母を助けることもできない。いつしかこう思うようになったんだ。俺なんて、生まれて来なければ良かったのかなって」
震える声でそう漏らした結城は、もう日頃の飄々とした態度とは真反対だった。
「その時はさ、ほんの冗談だったんだ。嘘っぱちだったんだ。僕を殺してくれって、殺せるわけがないだろうって、だって君は、どこからどう見てもこの星の人なんだから。でも……母親が倒れてから、最初の頃はそんなこと全く思えなくてさ。ほら、君が病院に行ったことあったでしょ?ボーリング大会で」
懐かしい話だ。
「あの時、君にお金を渡すついでに、母親に詳しい話を聞いて、もう嫌になったんだ。本気で逃げたくなった。自暴自棄になってた。それは日を跨いでいくうちに悪化していった」
「全然、全然……わかんなかった」
「そりゃ、わかられないようにしてるからね」
少しクスリと笑った結城の顔が、胸にキュンとして仕方なかった。
「……そういや、この話をしないとね」
「この話?」
「なんで野球部を辞めたのかって話。でもその前に……」
ここで、多分結城もだろう。お互いに冷静になった。今この状況、とてもとても恥ずかしいのではないか?そして私は最も大事なことに気づいた。この服、寝巻きだよな?つまり今日1日の汗の匂いとかそういうのが……
2人同じタイミングで袂を別った。そして私は、とても大事なことを言った。
「ねえ、結城。シャワー借りていいかな?」
時刻は夜1時を回ろうとしていた。




