126枚目
次に目を覚ました時には、私の背中はフカフカのソファに包まれていた。上からはピンク色のタオルケットが掛けてあった。白色のソファが私の部屋着Tシャツと同化しているようだった。まだ少しだけ朧げな記憶の中、辺りを見回していた。
「あ、気がついたか?」
遠くキッチンの方で結城の声がした。結城は何かあったかい飲み物を注いでいるようだった。湯気がこちらでも視認できた。私は頭をぶるぶると振りつつ、時計を探した。時刻はもう日付を跨ごうとしていた。
「もうちょっと起きなかったらそのままほっといて寝るとこだった」
そう笑いつつ、結城はこちらを振り返った。どうやら風呂にはもう入ったのだろう。首元にタオルを巻いて、ジャージ姿でご登場なさった。全身赤色のジャージはどちらかというとモノトーンのイメージのある結城にはそこまで似合っているとは思えなかった。
「あれ?私また倒れてたの?」
「倒れてたっていうか、どっちかっていうと倒れた後プツンと切れたように寝始めた感じだった。よくわかんないけど……」
疲労によるものかな?現実逃避によるものかな?心的外傷によるものかな?わかんないけど、とにかくまた彼に迷惑をかけてしまったみたいだ。
「遠垣……は?」
「もう帰ったよ。『家田先輩は寝ただけだ』って言ったら、『びっくりするような寝方しないでくださいよー』と笑ってたぞ」
実に遠垣らしい返し方だ。そしてそれは、本当はもっと違う意味も含まれているのだろうな。茶化しや笑いとりだけではない、なにかが。
「そっか……」
私はむくりと起き上がって、すっと立ち上がった。
「はいこれ、あったかい焙じ茶」
「Tバックみたいなの使ってなかった?」
てっきり紅茶かと思っていた。
「そういう焙じ茶もあるんだよ。ほら、飲んでよ。こういう暑い日こそ、あったかい飲み物は大事なんだから」
そういうものかと思って、少し猫舌な自分を我慢して差し出されたコップに口をつけた。仄かな煤けた薫りが香ばしさを引き立たせていた。ちょっとだけ喉を通す。少し薄めだけど、それがこの夏の暑さにはちょうどよく思えた。
私はコップをソファ近くのテーブルに置いて、小さく息を吐いた。一応スマホを見たものの、母からの連絡は一切なかった。あったのは、有田姫路遠垣の3人からの本日お疲れ様LINEだけだ。後スパムメールが2件ほど。
「背中大丈夫か?」
ぶっきらぼうに結城が尋ねてきた。
「大丈夫よ!そもそも、そんなにびっくりするほどのものではないわよ。多分疲れてたから、そうなっただけだよ」
私はそう言いつつ、ソファ近くで立ちっぱなしの結城を手招きした。その先は、私の隣の席。ん?と首を傾げる結城に、私は少しむっとしつつ手招きを続けた。
「あんた、立ってばっかりでしょ。こっちきて一緒にソファに座りなよ」
「あ、ああそうだな」
そして結城も、焙じ茶の入った薄緑色の湯呑みをテーブルに置いて、すっと席に着いた。
「……また迷惑かけちゃったね。ごめん」
私はそう結城に謝ったが、彼は彼でこくりと頷くだけだった。大したことはないと言いたいのだろうか。そんな言葉が通用するほど、本日の結城の運動量は果てし無かった。それでも彼は、遠くの方を見ながらピンピンとしていた。
「私も、お風呂行こうかな?」
「いいよ」
「借りて大丈夫?」
「でも少しだけ、ここに居てくれたら嬉しかったり」
結城はそう、私が立ち上がるのを制した。何だ?何をしてほしいのだ?ここに居てくれたら嬉しいなんて、可愛いことも言ってくれたものだ。
「ほら、さ。俺も色々聞きたいことあるから」
それだけ?私は訝しげな目をした。
「何だよその不満げな顔」
「そりゃ不満げにもなるわよ。色々聞きたいって何が?私みたいなか弱い宇宙人に聞きたいことなんて、ほとんどないってなもんよ。そうでしょ?変な人」
「別にか弱さと詰問の程度は比例しないけどな……それに、それ以上に聞きたいことがあるんだ」
ほう、それ以上に聞きたいこと?一体なんだろう気になるな。私は結城の横顔を見ながら次の言葉を……
「一体いつから、家田の下宿先はあんな風になっちまったんだ?」
……確かに、こんな時でないと聴けない質問だった。私は少しだけ深く息を吸った後に、強く吐き出すように答えた。
「いつから?その問いを正確に答えるなら、私があそこに居候し始めてからずっとよ。基本的には父は帰って来ず、母は自分勝手に行動しているわ。何の疑問点もない、いつもの家庭風景なのよ。あれが」
「壁一枚で不倫現場に同伴することが?」
「慣れてしまえば夜中鳴るピアノの音より気にしなくなるわよ。まあ?普通の人間なら無理かもしれないですけど?私はアルフェラッツ星出身なので。平和と友好を信条とする我々にはこれくらいのストレスなんぞ大したことないのよ」
胸を張って答えた。
「これも全部、地球侵略のためってこと?」
「そうよ!大層な目標は途中の困難を乗り越える鍵となりうるのよ!」
「いいなあ。早く侵略してよ。まずは俺を殺してから」
一見すると訳のわからないセリフの羅列だった。いやしかしながら、私達の間なら大体の意味が通る合言葉のようになっていた。
「殺さないわよ!!だから言ってるでしょ??私の星はそんな野蛮で未開な所じゃないのよ!!」
「そっかあ」
「何その残念な目は!!」
そう突っ込んで、2人で笑った。あれ?最初どんな話をしてたっけ?どんどん脱線して、そんなことさえ忘れてしまっていた。いつもなら、そんな風に新たな話題へ切り替えていったのだろう。しかしながら、今日の2人は違った。
「なあ、その下宿先って、そっちのアルフェラッツ星が手配してんの?それとも自分で見つけてんの?」
彼の言う下宿先というのは、私の活動拠点のことだろう。前にも一度行ったが私は今居候という身分であの家にいる。その場所を決めたのは……ぶんぶんと過去の自分の境遇を否定して、私は答えた。
「ええ、そうよ!!自分で決めたのよ!!まさか私もあんな状態とは思ってもみなかったけれど」
「そっか……」
少し間を空けてから、結城はこんな提案をし始めたのである。
「なあ、その下宿先は、君が決めたんなら君の一存で変えられるよな?」
「まあ、そうなるわね」
「じゃあ、ここに……一緒に……住むとか……」