121枚目
夢とは覚めるものである。そして冷めるものである。むくりと起き上がったその瞬間に、見ていた異世界は消え失せてしまう。もしかしたら夢の中では、私は百人千人相手取る最強剣士かもしれないし、きらっきらの衣装を着た魔法少女かもしれない。何にだってなれるし、どんなこともできるのが夢ってやつだ。しかし、それが自分の望みであればあるほど、手に届きそうで届かなさそうであればあるほど、覚めた時の絶望は激しい。そして冷めてしまうのだ。叶うわけなんてなかったんだと。そうして私達は、夢と現実の折り合いをつけて行くのだ。
この星では、時に現実が夢と化す。先程までの、5人で部屋で話していたのは最早、私にとっては夢のようなものだった。楽しかったし、あり得ないとすら思えた。私の部屋に人が来て、みんなで私を囲んで他愛のない話をして、そんな時間が愛おしくて仕方なかった。だからこそ、母が帰ってきた瞬間に、私はそう思わざるを得なかったのだ。ああ、私は今、夢から覚めたのだと。この楽しい時間は夢だったんだと。そして……
「全く、部屋も散らかして……」
「うんごめん散らかしっぱなしで。今から片付ける!」
私はリビングでキビキビと出しっ放しの用具を片付け始めた。急げ!急げ!そんなことを心に思い浮かべていた。早く、現実を迎えなければならないのだ。
「あーもう、それくらいでいいわよ!!!!あの人帰っちゃうから!!!!」
怒鳴り声を聞いて私は治そうとした飴を持ったまま部屋に戻っていこうとした。ドアノブに手を伸ばして……私は、現実へと帰る、はずだった。
「あ、ちょっとあなた!」
母のその声で私は振り向いてしまった。振り返るとそこには結城が立っていた。息を切らしながら立っていた。その時だけは本当に、夢かと思った。
結城は私の二の腕を掴むと、そのまま私を引っ張り始めた。ぐんぐんと歩いて行き、一目散にドアの方へと歩いて行く。私はなされるがままに引っ張られていった。
「え!?!?どういうこと!?!?結城く……」
「だめだ」
ドアを開ける時に、結城は私の耳元近くで呟いた。
「君は、こんなところにいては、だめだ」
そしてドアを閉める時に、私を懐に持ってきて、見下ろすように言った。
「だめなんだ……」
そして私は、その日、生まれて初めて家出をした。流石にこの時だけは、夢なんじゃないかと強く思った。
「ねえ、結城」
「何?」
私は結城の腰に手を回した。胸に顔を置いて、ぎゅーっと、ぎゅーっとする。私にはまだ覚めたくない夢があるんだ。君と夢を見たいんだ。それが偽りだなんて分かっていても、夢なしでは生きられないのだから。
「これからどうするの?」
結城は少し顔を赤くしつつ、少し遠くを見ながらこう言った。
「どうしよ……とりあえず、家来る?」
私は結城のことをぎゅーっとしながら、そのまま歩き始めた。嬉しい。本当に嬉しい。私は涙を彼の服に押し付けながら、マンションの外に出ようとした……のだが……
「あれー?アツアツじゃないすかー?先輩たち♪」
マンション出た所にいたのは、ニタニタとした顔をした遠垣だった。
「体寄せ合ってマンションから出て来るとか、まるで熱愛報道食らった有名人みたいな感じですねー?『結城さーん!隣の女性とはどういう関係なんですかー?』みたいな……」
遠垣の姿を見た瞬間に、私は結城に向かって小声でありがとうと言って離れた。そして遠垣が弄っている途中で、彼女にぎゅーっと抱きしめに行った。
「え!?!?ちょっと先輩!?!?」
脇の下から手を通し、首に手を回して、一気にこちらへ引き寄せた。力いっぱいぎゅーっと抱き締めていた。
「ありがとう、ね」
「いや照れますし、こんな所で抱きつかないでくださいよ。どういたしましてですけれども」
そうして私から少しだけ離れると、頭をゆっくりなでなでし始めた。ぽんぽんとされて、私はまた泣きそうになった。
「有田と姫路は?」
「買い出しに行きましたよ。私は家行ったこと無いんで残りました」
「有田くんと一緒に行けなくて良かったの?」
私は遠垣さんにそう尋ねたが、遠垣はきょとんとした顔で、
「え!?なんで一緒に行かなきゃいけないんですか?」
と逆質問されてしまった。あれ?もしかしたら、有田は案外関係を進めていないのかもしれない。
「まあ、とりあえず家に行こうか?」
「結城くん、いいの?」
私は上目遣いでそう尋ねた。
「大丈夫だよ。うん」
結城は頬を赤くして明後日の方向を見ていた。その顔が、嬉しかった。嬉しくて、仕方なかった。
夜道を歩く時、私は自分がジャージにTシャツ姿であることに気づいた。めちゃくちゃ、オシャレのかけらもない服だった。
「あ、もしかして気にしてる?」
「せんぱーい、仕方ないですけど、服がおしゃれ感全くないっすよ」
でも私からしたら、そんなことどうでも良かった。これから物音立てずに部屋で引きこもる予定だったのに、そんな牢獄のような夜から解放してくれたのだから、服など些末なことだった。
「全く、先輩感謝すべきですよ?元々結城さんが1人で駆け出して行ったんですよ。階段降りようかなって思った瞬間に駆け出して、あいつ救いに行って来る!って言って」
「ちょっと、遠垣さん!!そういう恥ずかしいことは言わなくていいから」
「何を言ってるんですかー結城先輩。恥ずかしいことだからこそ第三者の私が言うんじゃないですかー!」
遠垣はそう言ってニヤッと笑った。私はもうすでに、照れて歩く速度が遅くなっていた。
「だってあれだろ?あの母が連れてきてた男、父親じゃないだろ」
結城がぶっ刺した。当然の帰結かもしれないが。
「……私、いつ家に帰ろうかなあ」
「帰りたいのか?」
「ううん」
私は首を振った。
「帰りたくないから、みんなと一緒に居たいから、私はあそこに帰りたくないから、いつまでいればいいかわかんなくなる」
私の言葉に、夜風が反応して少し冷たい風が吹いた。
「……とりあえず、今日は宜しく頼んでいい?今日、迷惑かけでばっかりだけど」
結城にそう言って、私は結城の服の裾を掴んだ。
「いいよ。こちらこそ、突然驚かせることばっかりしてごめんな。もう一回、俺の家にみんなで集まろう」
まあ、突然驚かせるようなことをしてるのはいつものことだからな。そう思いつつ、私は笑った。笑って結城に言った。
「結城くんはすごいね。いっつも、いっつも、辛い時には君が助けに来てくれる。感謝しっ放しだよ」
結城くんは私の方に振り返った。
「そんなこと無いよ。でも……そう思っててくれたんだったら、本当に嬉しい。君には、家田さんには、笑ってて欲しいから……」
そしてお互いを見つめ合う結城と私。そこで永遠の時が流れた。この言葉が聞こえて来るまでは。
「あのう、先輩方?いや別に良いんですけど、私も隣にいることわかってます?」
遠垣だった。私らは見つめるのをやめて、真面目に歩き始めた。お互いの顔は赤く熟れ上がっていて、それを見て遠垣が振り返るたびに笑いを抑えきれずにいた。でも、そんな遠垣のいじりすら、今の私にとっては夢そのものだった。