116枚目
「なあ、家田。俺はさ、お前が体調不良だって聞いて心配でここに来たんだけどよ」
布団でおとなしく転がっている私に向けて、有田はこう問いかけてきた。
「なんで顔面火傷してんの?」
そりゃ、顔の皮膚に氷当てながら寝ていたらそう言われるわな。私は残念ながら当然と思いながら、姫路や結城のせいにするのも申し訳ないと思って押し黙っていた。
「そしてなんで姫路さんはさっきからフローリングの床で深々と土下座してんの?」
「私が、私が全て……私が全て悪いのです……」
「さっきから姫路さんのせいじゃないって言ってるのにやめないのよ」
私は少し起き上がりつつそう報告した。氷の入った袋を左手に持って、それを患部に当てていた。
「まあそりゃ、おかゆ頭から被ったらそうなるわな」
「……なんでお前だけそんなに冷静なの?」
有田は結城に向かって目を細めていた。
「家田ー!布団ってどう洗ったら良い?」
「布団はねー!私のやつはカバー式で取り外しできるから、外側だけ洗って!中のマットは放置でいいよー!」
「て、て、手伝います!!!!」
姫路はテクテクと結城の方に向かっていった。私も起き上がろうとしたのだが、有田に制されてしまった。
「いやいや、なんで家田が行くのよ」
「私って、結構元気なのよ?」
「嘘つけ!昨日だってひどい状態だっただろ?特に後半」
昨日とはサッカーの試合のことだろうか。後半、後半……うーん、あまり覚えがない。ハーフタイムに言われた言葉をぐるぐると思考していたら、試合が終わってしまったような、そんな感じだった。
「今日は俺らに任せてゴロゴロしてろ!まあ任せられねえかもしれねえけどな」
「1番信用がないのはあんただけどね、有田」
「なんでおかゆひっくり返した奴より評価低いの、俺!?」
「これまでの行いよ!!それじゃあ、精一杯私に尽くしなさい!!」
「あんまり偉そうにしてるとまたおかゆ零すからな」
「それだけはやめて!」
有田は笑いながら部屋から出ていった。怖いんだよ、この人らもう一回くらいなんかやらかしそうで。でも、私が体調不良ってことで、こんなにも人が集まってくれるとは思わなかった。嬉しい誤算だ。嬉しすぎる誤算だ。
ふとまた、昨日の嘉門の言葉を思い出した。
ー何もしてないのに、他人から話しかけてもらえるなんて、滅多にないことなのよ?普通の人は、自分から話しかけないと、誰からも話しかけてもらえないのよ?なんでそれをあんたは、そんなにさも当然のように振る舞えるの!?ー
さも当然、とまで振る舞った記憶はない。でも、自ら作った人間関係でないことは確かだ。結城も有田も姫路も、私から動いて手に入れたものではない。それぞれ事情は違うが、その最初のコンタクトは向こうからで、そこからなし崩しのように側にいる。それは、今この場にいない遠垣にしてもそうだし、沢木や阿部ちゃんもそうだ。武田さんも亀成も出森も、みんなみんな向こうからだった。
それはある種当たり前の帰結であろう。何故なら、私は自分から積極的に地球人とコンタクトを取る気などさらさらなかったからである。この星の住民は最終的には敵対する運命にある。そんなものどもと深い付き合いなど必要であろうか?いやないだろう。簡単なことだ。
そもそも嘉門は前提が間違っている。あろうことかこの私を地球人であると断定し、宇宙人であることを一向に認めていないではないか。それでは話がこじれてしまうのも無理はない。私は宇宙人だ。我が母星に誇りを持つアルフェラッツ星の一員だ。万に1つもこの星の人間に情など抱いてはいない。過度な情は、判断を鈍らせる足枷となりかねない。そんなものに足を引っ張られるなんて、一流のエイリアンとしてあり得ないことだ。だから今も、あたかも感謝にしているように振る舞っているが、その実は人並み以上の感謝は覚えていないのだ。この冷酷さこそ、私の本質だ。
でも、もし、あり得ないことだが、天地がひっくり返らない限り起こり得ないことだが、私が地球人であると断定してみよう。家田杏里という普通の16歳の女の子として仮定してみよう。そうすれば確かに、私は恵まれているのかもしれない。1人で包帯巻いて教室の隅で縮こまって生活していた女の子が、僅かながら友達を作り、クラスにも少しずつ溶け込んでいるなんて、全国のぼっち連盟の方々が見ると悔しさで発狂してしまうのではないか。しかもその友達のうちの1人はクラスの女子人気No.1ときたら、周りからの嫉妬の声が漏れてきたとしてもおかしくない。そうか、私は、地球人視点では恵まれているのか。
包帯で隠れた古傷が痛んだ。調子に乗った罰であろう。今一瞬、あろうことか、この嘘などなくても生きていけると思ってしまった。現実世界に戻ってこれると思ってしまった。無理だろ?わかってる。悲鳴をあげてるんだ。宇宙人に殺された地球人の私の亡霊が、纏わりついてやめろやめろと叫んでるんだ。また、私は歩みを止めてしまうのだぞ。暗い狭い部屋で1人ぼっちなんて、もう2度としたくなかった。
だからか。今になって私は自身の体調不良の原因を自覚した。これは、この数日の疲労でもなければ、夜風に当たったからでもない。他人から客観的に自身の恵まれっぷりを言われて、せめぎ合いをしてしまったのだ。嘘か、現実か。でも、それでメンタルに支障が出てこんな風に倒れたり寝込んだりしちゃうんなら、やめたほうがいいな。
私は吹っ切れた顔で起き上がった。そして氷を顔に当てたまま、ドアを開けた。手伝いに行こう。地球人としてではない。宇宙人として、これ以上借りを作るわけにはいかない。そう、アルフェラッツ星人は借りを嫌う。一刻も早く返さなければならないと思う性質だ。だから、だから手伝うんだ。
「元気になったから、私も手伝っ……」
ドアを開けた瞬間だった。私はバランスを崩してしまった。
ここで解説しておくと、私の部屋からリビングまではドアを開けたらすぐなのだが、そこにはほんの少しの段差がある。本当にほんの少しで、おそらく車椅子でも楽々乗り越えられるような、バリアフリー溢れる設計が施されているのだ。
察しのいい君ならもう、わかっただろう。そうだ。私はこの微妙な段差に蹴つまずいたのだ。そしてそのまま、前のめりにばん!っと倒れてしまった。左手に持っていた氷は、まるで投げ出されるようにべちゃりと着地した。まだ治っていない火傷跡に、さっきまで姫路が土下座していたフローリングが接着した。そして、再び顔に激痛が爆走した。
「っっっいったっっっっ!!!」
ずでーんと転んだ私に対して、周りの反応は冷たかった。
「姫路ー家田運んどいて!」
結城はそう事務連絡のように言った。
「畏まりです!」
姫路は私を軽々と持ち上げた。
「まったく、だから安静にしてろって言ってたのに」
有田はやれやれと言った表情をしていた。
いや、違うんですけど!!!私はただ、この段差に足を取られただけなんですけど!!!体調不良が原因じゃないんですけど!!!
そんな私の思いとは裏腹に、周りは私の体調を案じ、起立禁止命令を出すことになってしまったのだった。