113.5枚目
「杏里、変わってたね」
有田と家田と嘉門が居なくなったのを慎重に確認した後に、力石すみれは口を開いた。いや、今は力石ではない。どこかのバカ高校に通うりっちゃんだ。もともと高校に入って化粧とか体の線とか色々と変わっていたものの、彼女の思いつきでサッカーの試合ではなく他の場所でデートするふりをするなんて小芝居を打つことになるとは思わなかった。本当にこの女は、意地が悪い。もしも見た目が良くなかったら、その場で捨てて帰ってしまうだろう女だ。
「……だな」
「中1の時よりは静かだけど、中3の頃よりは良く話すようになってる」
「流石、両方とも同じクラスだった人は言うことが違うね」
「むしろあんたの方が良く知ってるでしょ?あの娘があんな風になっちゃった理由」
「まあね、2-3出身のやつは大体知ってるんじゃない?」
俺はそう言ってため息をついた。
「有田……くんだっけ?知ってるのかなあ」
「知らねえだろうな。まあなんか変なやつくらいにしか思ってなさそう」
あいつはそれが短所であり、長所だからな。お節介を捨てきれない俺とは違うと言ったら、傲慢というやつだろうが。
「にしても、あーやって杏里と他の子達橋渡ししていくのは今ちゃんだと思ってた」
りっちゃんは昔から変わらない上目遣いでそう尋ねてきた。少しだけ寒い風が吹いた気がした。夏なのに。
「仕事放棄だってか?」
「まさか、そんなこと言わないよ。ただ、なんとなく、ね」
夏なのに寒気がした。今日はもしかしたら気温が低いのかもしれない。俺は必死に悴む唇を動かした。
「さすがに、勇気が出なくて、な」
「勇気?」
「だって、虐めてたやつの彼氏だぜ?ただのマッチポンプだろ?」
「元カノ、でしょ?」
間髪を入れずにりっちゃんは畳み掛けた。
「今の咲子の現状を知ったら、あいつどんな顔すんのかな?」
「少なくとも良い顔はしないでしょうね」
「まさか、虐めてた張本人が、その虐め原因で虐められるなんてな」
悴むを通り越して、唇が震え始めた。
「で、俺はというと、なんもできないままクソみたいにクラスで過ごしててさ。でも、何したら良いのかわかんねえんだよな。あいつに、どんなテンションで接すれば良いかわからねえんだよな」
唇の震えが、全身に移り始めた。
「俺は、共犯者なんだから。起こっているいじめを見て見ぬ振りした共犯者なんだから。そんな自分が、何をしてあげるって……」
「ストップ!」
りっちゃんは手をパーにして、俺の前に差し出した。
「話振っといてなんだけど、その辺にしとこ。今日はこの後、あの子達帰ってくるんだし」
そしてその声で、ようやく寒気と震えが収まり始めた。それを確認するかのように、りっちゃんはゆっくりと手を下ろし始めた。
「にしても、今ちゃんって結構生真面目だよね。そういうところ」
「悩みがちな青年だよ。見せてないだけで」
「もっとそういう真面目なとこアピールして行きゃ良いのに」
「今の年頃の女の子なんて、真面目さなんてパロメータ眼中にないもん。イケてる、チャラい、面白い。こんだけ。後はまあ、スポーツができたらなお良しって感じ」
俺はそう言って両手を広げた。
「なるほど、あんたは見事に全部当てはまるね。ほんと、才能だけで陸上やってんだから」
「……否定しないかな」
「否定しろよ」
「いや流石に、来年は近畿大会も怪しいと思うよ。相当モチベ下がってるし」
他愛のない会話だ。そんな会話に戻してくれたのだ。こういうところの心遣いが、りっちゃんの多少わがままな点を許せる理由の1つだ。
「そういや、さっきの話だけど、あんた今年杏里がいじめられた時、裏で色々と動いてたんだって?」
「さっきそんな話をしてたか?」
そしてこのように、いきなり話題を転換するのもりっちゃんの特徴だ。評するならば、他人に気遣える自由人と言ったところだろうか。
「まあ良いじゃん」
「良いか」
「虐めを伝染させないようにさりげなく釘を刺したり、その大元になった噂を止めにかかったりしてたんでしょ?」
「高見以外誰が動いてたのか俺は知らないけどな。あの頃はインハイの予選もあって忙しかったし」
「でも、助けてたんでしょ?」
「まあ………な」
「それ聞いてたから、さっきの悩んでる会話『何言ってんだこいつ?』って思ったわ」
りっちゃんはニッコリ笑った。
「別にヒーローみたいに助けるのが全てじゃないんだよ。あの娘の見えない所で、あの娘が浮かないように周りと調整するのだって、いや、もしかしたら表立って助けるよりも大切なことだったりするんだから、胸張って頑張りなよ。幸い、杏里にはようやく、表立って支えてくれる友人ができたみたいなんだから」
ふっと、体を包むような暖かい風が吹いた気がした。夏特有の温風だ。それは湿気があって嫌な空気のはずなのに、心地いいと思ってしまった。
「それとも、杏里を直接助ける立場に、あんたは立ちたかったの?」
「違う、な………なんだそのニヤついた目は」
「別にー!何もー!」
にやにやするりっちゃんが、少し鬱陶しくて、それでもありがたかった。
俺は弱い生き物だ。他人から褒めてもらえないと自分がしてきたことに疑ってしまう、そんな意志の弱い人間だ。こんななよなよしてくよくよするのが、本当の俺だ。偶にはそんな自分を曝け出さないと、自分が自分で無くなってしまう気がするのだ。そしてその発散場所は、いつもりっちゃんの前だ。
「ありがとう」
「ん?」
少し小声だったみたいだ。俺は少し大きく息を吸って、心を込めてこう言った。
「いつもあ………」
「ただいまー!!!」
背後で大声が響いた。振り向くとそこには、能天気な顔をした有田がいた。
「ん?どうしたの?何してたの?」
ぽけっとした顔をした有田を見ながら、徐にりっちゃんは俺の腕を掴んだ。
「告白ごっこしてたんだーいいだろー」
「はいはい、お熱いこと」
そうしてまた、戯けてバカ高校生を演じるりっちゃん。その腕が、俺の左腕に巻き付いてきた。そしてそのタイミングで、俺は耳元でそっと呟いた。
「いつもありがとう、りっちゃん」
りっちゃんは顔には出さず、ただ有田に見えないようにVサインを残してくれた。俺は今、今は、間違っていないのだろうか。そんな不安が、ほんの少し軽減された気がした。




