99枚目
話は次の日に飛ぶ。次の日だと飛ぶって感じはないかもしれないが、じゃあその日の午後はどうしたのかと突っ込まれかねないから一応こう書いておこう。因みにその日の午後は結局姫路がこれなかったのと遠垣がバイトに緊急招集されてしまったことから、家に帰って一人で過ごしていた。こらそこ寂しい女だななんて言わない。しかしながらそんな孤独感も忘れるある出来事が、私の脳内でぐるぐると廻り続けていた。
「結城仁智って選手について、何か知ってる?」
私の無責任な質問が堂々巡りしている。
「結城先輩の父親、プロ野球選手だったんですよ」
杏子と名乗った彼女の声もリフレインしている。
「日頃は兄がお世話になっています。結城杏子と言います」
そう毅然と名乗った彼女の顔も忘れられなかった。そうか。結城には妹さんがいたのか。あんな奴の妹なんて大変だろうな。って、違うだろう!!
この世界におけるプロ野球選手というのは、他の星々では推し量ることのできないほど特別なものだ。一握りの一握りのほんの限られた一握りの選手がプロ野球選手という道に進み、しかもその中でもごくごく一部の人間がスター選手と居て喝采と称賛を浴びんほど受ける。無論そこには良い言葉だけではなく、罵声や土星も混じっているかもしれないが、それが聞こえなくなるほどの歓声を受け続けるのがプロ野球選手という生き物なのだ。プロ野球選手というのは、いわば興行職業の花形中の花形なのだ。
だからもしも普通のプロ野球選手の息子は、自分の親が自慢で自慢で仕方がないだろう。もしかしたら小学校時代の結城は、俺の父親はプロ野球選手だって自慢しまくっていたかもしれない。そんなことをしている結城を想像しちょっとかわいく思えた。でもそれは特別なことではなくて、とっても普通なことで、しかもつい最近まで野球をしていたのなら、父親を誇りに思うのが普通だ。
もしかして、とある漫画とかで見たけれども、自分の親があまりにも偉大過ぎて仕方ないから、自ら言わないのではないだろうか。優秀な親の前でひれ伏す結城を想像した。自分と相手との才能の限界に打ちひしがれる結城を想像した。うーむ、あんまりイメージに無いな。私は日付が変わってからもこんなことを考えては首をぶるぶる降っていた。
そう言えば、杏子って人はもうひとつ気になることも言っていたな。
「プロ野球選手だった」
「今はアメリカか台湾か、ひっそりと引退したのか」
この言葉は、色んな意味で引っかかる点がある。まずは、結城の妹ということは、その父親の娘でもあるはずの杏子ちゃんが、どうして親の行方を知らないのかということだ。そもそも、プロ野球選手の動向というのはマスコミでもよく取り上げられている。どんなにも無名な選手であっても、引退の時には記事が出るし、どこかの独立リーグへ移籍した際にもしっかりと記事になる。私は家に帰ってからスマホを充電しつつネットの海に潜りこんでみたが、結城仁智の父であろう結城智四選手のその後については2年前のアメリカ独立リーグ挑戦から途絶えていたし、他の選手は大凡その後の進路まで詳しく記載されていた。どうやら結城選手の動向についてはネットでも一部で話題になっていて、その中には結城に触れている物もあった。こうした外側の人間がこうして動向がわからないと言っているのは、不可解であるが理解できる。でも、内側の人間であるはずの実の妹が言う言葉としては不自然極まりなかった。
しかしながら、親がいないというのはこれまでの関わってきた結城像と一致するところがあった。彼の家に行ったとき、やたらと広い家と多くの部屋があったが、それらが今でも機能しているとはいいがたいものだった。誇り被ったものもたくさんあった。こうした広い部屋は、結城選手が成した財産で立ったものなのではないか。ネット情報で申し訳ないが、結城選手はいわゆる一部のスター選手という立ち位置で、最高出塁率で2回、最多打点で1回そのリーグのタイトルを獲っていた。10年前には所属球団の優勝にも貢献し、チームにとってかけがえのない存在であったという。年棒は多い時で2億近くまで行ったという。私には桁が大きすぎて実感がわかないが、この星のサラリーマンの生涯平均年収がおおよそ2億と少しと考えると少しはその金額の乖離について実感できるであろう。そして、それが今はもう使われていないというのは、所属球団から戦力外通告を受け、コーチになる打診を断り、他の国へ渡ったからではないだろうか。
そして何よりも私が悩み続けている言葉があった。それは、初めて結城の家に泊まりに行った夜のこと。どうして初めて会った時あんな態度をとったのかと質問した時だ。
「自己嫌悪というか、自己絶望かな」
「自分が何で生きているのかわからないんだ」
彼のその悲痛な叫びが、その経歴と混ぜ合わせると違和感を生み出してしまっていた。何故、このような裕福な家庭で、誇れるはずの親を持ちながら、こんな悲しいことを言い始めているのだろう。誰かのために死にたいだなんて、そんなことを言ってしまうのだろう。やはり、先ほど勝手に妄想した父親との才能の違いに思い知らされたのだろうか。いやいや、それだけで死にたいまで行くのは流石に筋が通らない。真剣に野球部をやっていたのならわかるけれど、ならば途中で抜け出して私を救いにきたりしないだろう。と、ここで昔助けてもらった時の結城を思い出して照れてしまい、スマホを投げ出して枕にブフォっと被さってしまった。そのまま照れつつお尻を左右にズリズリと動かして、ちょっとだけいい気持になってからまたスマホを持った。やめよう。今は考えることに集中しよう。時刻は午後1時半。こんなにも遅くまで起きていたのは久しぶりだった。
では他に何の理由があるんだろう。そう想像するには、私の結城に対する情報は圧倒的に不足していた。まだまだ、彼について知らないことが多すぎるのだ。どんな思いでこれまで生きてきたのかわからないんだ。でも私は、それを本人に直接聞くのは躊躇われた。また、怒鳴られてしまうかもしれない。他人の領分に勝手に入り込んで、怒られてしまうかもしれない。無理だよ。だって私は、宇宙人なのだから。
正真正銘れっきとした宇宙人である私と、宇宙人みたいな地球人の結城。この2人の距離は、近いようでめちゃくちゃ遠い。しかもそれを詰めようともしないのだ。結局彼が野球部をやめた本当の理由は知らないし、今どんな風に生きているのかもよくわからない。よくわからないことだらけだ。それでもいい、と割り切ることができるのなら、こんな遅くまでグダグダと悩んでなんかいない。それでもいいと言いたいのに言えない私は、いつまでたっても半端な宇宙人だ。
その日はいつ寝たのか覚えていない。でも、悩みに悩んで結局結論が出ぬままに寝たことはよく覚えていた。そして、次の日実は早く起きなければいけないことも、私はすっかり失念していたのである。どじを踏んだと地団駄を踏むのは、大体6時間後の話だった。