98.5枚目
「仁ちゃん、じんちゃーーーーん!!!!」
遠くから聞こえるその声に、威圧を持って毅然と対応したくなった。今になってもまだ自分のことをじんちゃんなんて呼ぶアホは、沢木以外いない。そう確信していたからだ。僕はすっかり坊主からスポーツ刈りへと変身してしまった自分の頭を思い出しながら、五厘刈りの沢木を睨んでいた。
「来てたんじゃないすか!!声かけてくれたら良かったのに、何でしなかったんすかー!」
今日は静かに野球の試合を見に来ただけだと言うのに、面倒な奴だ。僕は心底鬱陶しそうな顔をしつつ振り返った。
「良いだろ別に、もう野球部なんて関係ないんだし」
「関係ないことないっすよ!」
「そもそもお前は何でここにいるんだ?ミーティングとかは無かったのか?」
そう突っ込むと痛いところをつかれたのか、沢木は曖昧な返答をして笑顔になった。こいつ、野球部わざわざ抜け出して来やがったな。
「いいから戻れよ。じゃないとまた怒られんぞ」
「大丈夫っすよ!じんちゃん見かけたから野球部戻るよう説得して来たって言えば何とか許してくれるはずっすよ、牛尾なら」
あー、むしろ良くやったと声をかける牛尾先生の姿がありありと映った。あの先生は自分を目にかけすぎていた。もっと他にもいい選手が集まっていると言うのに、だ。特に捕手に関してはそんな感じで、後輩のシニア出身の1年生だって、恐らく自分と遜色ないほど活躍できるはずだ。地味でアピールするのが苦手だが、少なくとも野球への情熱を失ってしまった自分なんかよりよっぽど使える人材だろう。
「で、説得に来たのか?」
「そうしたいのは山々っすけどね……それ以上に聞きたいんすけど……じんちゃんって、妹さんいたんすか?」
ん?要領の得ない質問だな。まあそんなの、慣れっこといえば慣れっこであるが。
「妹?居ないぞ」
「あれ?居ないんすか?」
「何の話だ?」
「あれっすよ、今日アルプス席で杏里ちゃんと遠垣?って言う1年生と話してたんすよ。『結城仁智の妹、結城杏子』って」
あいつかあ……いつの間にこっちに帰って来てたんだ?そう思いながら俺は頭を掻いた。
「それは妹じゃない。従兄妹だよ」
「いとこ?」
「そう、一個下の従兄妹。ったく、何でそんな嘘をついてるんだか……」
そして大きなため息ひとつついたのちに、
「もしかして……家田とかにそう自己紹介していたのか?」
と重大なことを確認した。
「そうっすよー」
沢木は能天気な口調で答えていた。こちらからしたらそんなふわふわした状態だと色々とまずいのだが……まあ彼からしたら大した問題ではないのだろう。
「まあ、今度会うし訂正入れとくわ」
「そうっすねー、序でにじんちゃんがプロ野球選手の息子であることもバレたっすよー」
……は?
「家田に?」
「杏里ちゃんにっす」
「なんで?」
「杏子ちゃんが話したからっす」
あのクソ馬鹿野郎!!!いやクソバカ女!!!僕は心の中で最大限彼女を詰った。いやまあ、時間の問題であったことは確かなことだ。なんなら結城 野球でアンド検索するだけで、父のWikipediaまでひとっ飛びできるのだから、いつかバレるということは重々理解していた。しかしながら、それが自発的に知るのと、自称妹から知るのでは情報の確実性が段違いだ。
「でもあれっすよ、家田さんから聞いてたっすよ」
「何を?」
「結城くんって、どんなプレイヤーなの?だったっすかね?どういう質問の仕方だったかは忘れたっすけど、そんなんだったっすよ」
「というか、何お前はお前で聞き耳立ててんだ?応援しっかりしろよ」
「嫌だなあじんちゃん。俺は耳がいいっすからねーあれっすよ、自然と聞こえて来ちゃう的なそんな感じっすよ」
どんな感じなんだか……僕は最大限呆れた顔をしていた。
「結構混乱している顔をしていたので、フォローくらい入れといたほうが良いかもしれないっすね、というか次はいつ会うんすか?」
「え?」
「いや、家田さんと次会うって言ってたっすけど、次はいつ会う予定なんすか?」
沢木がニヤニヤした顔をしながら尋ねてきた。なんだこいつ、と思いつつ自然と顔が照れてしまうのが人間の辛いところだ。
「も、木曜かな」
「何しに行くんすか?」
「……お前は関係ないだろ」
「あーーそんなこと言っちゃうんすか!!幼馴染に対してそんなこと言っちゃうんすかー!」
「お前都合のいい時だけ幼馴染とか言ってんじゃねーよ」
そう言いつつもまあ、確かにこの学校にいるもので1番長く自分と関わっているのは沢木だ。それは間違いなかった。
「もしかして、じんちゃんが野球部辞めるのも、親父さんのせいなんすか?」
いきなりだった。青天の霹靂に雷鳴が轟くが如く、沢木はそう質問してきた。これには俺も言葉を詰まらせるしかなかった。
「あー大丈夫っすよ。言わなくて大丈夫っす!ならもう、何も言わないっすから」
そうして沢木は踵を返した。
「だてに、じんちゃんと長い訳じゃないっすからね」
そんな捨て台詞を残して。全く嵐のようなやつだなと思いつつ、僕はまだ自分の胸のドキドキを抑えきれないままでいた。とりあえず木曜日、どうやって取り繕うか。それを考えながら、僕は万展を後にしたのであった。




