1枚目
前置きが長いのは退屈だろうから、手短に済まそう。これからはじまるこの物語は、宇宙からはるばる来た私の潜入調査の記録である。圧倒的ノンフィクションであり、決して妄想譚ではないことを先に触れておこう。
まず私の紹介をしよう。私は宇宙人である。地球から96光年離れたアルフェラッツ星の住民である。事情により本名は明かせないが、これはまたいつか話していくことにする。アルフェラッツ星は主な構成元素が水銀とマンガンなため、おおよそこの星の住民が生きていけるような環境ではない。しかし我々からしたら、酸素なんて有毒なものを吸い込んで生きている地球人の方がよっぽど理解できない。我が星の卓越した技術がなければ、この星で生きていくことなど到底無理だった。
私は宇宙人である。しかしながら誰一人としてそのことを知る者はいない。何故かというと、私は今地球の中にある島国、日本の女子高生として日々を送っているからだ。姿形すべてが平均的女子高生。強いて言うならば右目を隠さなければならないため、包帯でぐるぐる巻いているが、そんなもの大した差異を生むものではないだろう。学校推奨のセーラー服を着て、日本特有の黒髪おかっぱ頭で、身長が150cm体重40㎏ときたら、最早女子高生としか形容できないだろう。
私は宇宙人である。宇宙人でありながら今は地球で暮らしている。これは何故か。察しの良い読者なら気づいてしまっただろう。そう、私はある計画に参画し、そのために遠路はるばる地球へと流れついたのだ。これは我が生命体の存亡をかけた一大プロジェクトであり、これはやがてこの世界を掌握せしめんと…
「では、次の問題①と②を家田と…その隣に座っている結城!前に出て黒板に解法を示してみなさい」
おっと、数学教師に呼ばれてしまったか。まあいい、このことはおいおい話していくことにしよう。名前だけは書いておこう。家田杏里。この世界での私の名前だ。無論別の異名があるのだが、ここではこの名前が私を表す記号となっている。
私はてくてくと黒板へ向かっていった。あまりに自信満々に歩いてくるので、少しのけぞっているみたいだった。まだ2年生が始まってひと月、しかもこの数学教師は今年から転勤になってこの学校に来たらしい。なるほどならば、私のこの封印されし邪眼の存在にいささか懐疑的であってもおかしくない。実際保健体育科の安藤などは、未だに包帯をとれだのギャーギャー喚いてくる。実に不愉快だ。この封印をとって後悔するのはそちら側なのだぞ?人類史に残る戦犯になりたいのか?私はそう言いたい。この教師もさしずめ、不良生徒への見せしめだと思ったのだろう。だが甘い。私は確かに宇宙人だが、手を抜くのは嫌いだ。実は授業中、一睡もせずにノートをとる優等生なんだ。その証拠をしかとお見せしよう。
私は三角関数の応用問題を、参考書の解答通りに解き切った。地球以上に発展した文明に住んでいたのだから、これくらい朝飯前だ。少し拍子抜けしている教師を尻目に、私は席へと向かった。
「おい家田」
なんだ教師?完璧な答えを書いているはずだぞ。突っ込める穴があるというなら突っ込んでみろ。所詮それはでっち上げだろうがな。私は少し憐れむような眼で教師の顔を見たが、教師は顔色一つ変えずにこう言った。
「お前、なんで②を解いてるんだ?お前の担当は①だぞ」
しばしの、硬直。遅れて湧き出てくる、恥ずかしいという感情。私はどう取り繕えばわからなくなって、わたわたとし始めた。教室でも笑い声がちらほらと上がった。もっと早く言ってくれよ。なんで言ってくれなかったんだよ…
私はとりあえず黒板消しだけ持って、ふらふらとしていた。恥ずかしさで顔が真っ赤になっていたに違いない。因みにわが故郷の種族は顔が白いのがデフォルトだ。なんてそんな話している場合じゃない。
「と、とりあえず消さなくていいから、①も書いてくれる?」
教師のこの言葉で平静を取り戻した私は、黒板消しをチョークに変え、解答をかき始めた。途中数字が崩れ、三回くらいチョークを折ってしまった。足の震えが全身に伝わってきた。早く自分の席に帰りたいと心の底から強く思った。
席に帰ってきて、ふうと一息つくと、教室内でまた小さな笑いが起きた。何が面白いというのだ。私は真剣に問題と向き合っていたのだぞ。こんなことを言いたくなったが、これがジェネレーションギャップならぬスターギャップなのだなということで理解することにした。
では話の続きといこう。私は宇宙人である。とある壮大なプロジェクトのためにこの地球にわたってきたのだ。ここまでは説明しただろう。そのプロジェクトとは、そう、アルフェラッツ星人の地球移住計画である。アルフェラッツ星は今食糧危機と人口増加に悩まされている。それの改善策の一環として、我々の持つ超高度な文明技術を使い、この地球を征服し、支配し、第二の故郷を作り上げるという計画なのだ。だから私はこうして潜入捜査をし、この国、果てはこの世界の現状の把握と報告に努めているのだ。その報告のための書類は、常にカバンに携帯している。何も書かれていない真っ白な紙に、小さい気づきから大きな出来事までリアルタイムに事細かく記載しているのだ。何か発見したことや感じたことがあった時にメモできるようするためだ。そして逐一報告する。報連相は仕事するうえで大前提だからな。それは地球でもアルフェラッツ星でも変わりはない。今も『やはりこの国の青年たちには陰湿な印象を受けている』とメモを取っていたところだ。
「なあなあ、家田次の問題教えて」
いきなり小声でささやかれると、肩をポンと叩かれた。それに驚いて、ひゃっという情けない声を上げてしまった。無論周りの視線はこちらに向かってくる。どうやら肩を叩いた主は隣に座っている結城という男だった。確か野球部で、いっつも授業中寝ている印象しかなかった。いや、今はそんなことどうでもいい。
問題は、持っていた書類をうっかり手放してしまったことだ。
書類はひらひらと空を舞って、今か今かと結城の机に降り立たんとしていた。大事な大事な報告書、見られては大変なことになってしまう。私は逡巡したが、迷っている暇はなかった。
「おい家田。どうしたんだ・・・」
数学教師の言葉など聞きもせずに、私は数学のノートをどんと結城の机に置いた。舞っていた書類もたたきつけるかのように机に不時着した。これで、まだ中身は見られていないはず。私は息を荒げながら、ノートに下敷きとなったエリアに手を突っ込んだ。あとは報告書さえ回収すれば、すべてオールOKだ。私は紙を掴むと、それを思いっきり引っ張った。
あまりに力が強すぎたため、切れ端のように一部分が切り取られてしまった。しかも、堂々と罫線が入っていた。どういうことだ。報告書は無地で線の一本すら入っていないとても書きずらい代物だったというのに。
気づいたときにはもう遅かった。結城は置かれたノートをどけて、その下にある報告書に目をやった。報告書は無事だった。その更に下にあった彼のノートは、一ページ無残な切れ端を生み出していた。そして呼応したかのように教師の声が響いた。
「おまえら、なにしてんだ!」
この後、しっかりと先生に説教を受けたのは言うまでもないだろう。