【挿話】婚約破棄で大騒ぎ
「……っ、これを届けたのはどこのギルド!?」
最愛の妹からの手紙を読んだ私は、思わず声を荒げた。罪のない団員が震えあがるのを見て、焦りと怒りをぐっとこらえる。小包を部屋に届けてくれた彼に罪はない。
私の様子が普段通りになったのを見た彼は、一転してほっとした様子を見せると、真剣な顔で記憶を探り出した。
「たしか……北の、レガルタ管轄地域のギルドだったかと」
「詳細を確かめて。どこの出張所で手続きが取られたのか。大至急」
「急ぎます!」
言うやいなや、団員は部屋から飛び出して行く。扉が閉まるのを確認した私は、机の上で開かれた包みに目をやった。
そこには、綺麗にたたまれた魔法師団の制服一式と、その上に羽織るローブがあった。小さな作りのそれは、これの送り主である妹・エスフィリアのものだ。揃いのブーツはないので、そちらは妹が履いたままなのだろう。詰めの甘いあの子にありがちな失態だ。
事の発端は、婚約破棄だった。──そう、婚約破棄。思い出しただけで腸が煮えくり返る。
エスフィリアは、この国のナリスダール王子と婚約関係にあった。
恋愛からの婚約ではなく政略結婚だったため、その婚約が成立するまでは色々ごたついた。ウチの両親は恋愛結婚だったせいか、特に自分の娘を好きでもない相手に嫁がせるのを嫌がったのだ。
それはもちろん両親だけでなく、わたしも弟たちも同じ気持ちだった。家族には幸せになってほしい。そう思うのは当然のことだから。
そのためその話も一旦は断られたのだが、そのまま終わりとはいかなかった。兄や上の弟のリディゼルトが、先にあった婚約の話を蹴って逃亡を図ったことも、フィリアの婚約話に関わっていた。フィリアの風変わりな能力もまた、大きな理由となった。
わたしが妹の結婚話を後押ししたのは、宰相夫人となっていた従姉のルルーシェの説得を受けたからだ。
そのときまだ自宅にいた妹は、すでに末の弟のセレンドルークがいなければまともな生活が送れない状態にあった。セレンはすぐ上の姉であるフィリアにことさら懐いていたから現状問題は起きていなかったけれど、仲の良い姉弟とはいえ、いつまでも二人一緒ではいられない。
だが、セレンの天然結界から外れるとなると、フィリアは別の強い結界に守られた場所にいなければ、まともに人と会話をすることができない。生涯声を出せないなんてそんな可哀想な一生、愛する妹に送らせられるはずもなかった私は、従姉に加担して両親の説得に回った。引き合わせたナリスダール王子もフィリアに対して好意的だったし、意外とうまくいくのではないかと、そんな気すらしていた。
なのに、なのにだ!
あの馬鹿王子、あろうことか他の女にうつつを抜かしたのだ!
私がそれを知らされたのは、昨日のことだった。だが、フィリアがいなくなったのは、それより六日も前のことだ。行方不明になった兄アヤリウスを捜しに行くという唐突な文面は、私や夫を混乱させた。
伝手をたどってフィリアの行方を調べさせているところに、ようやく婚約破棄の話がやってきた。そして、その直後に妹からの荷物。
私は頭を抱えた。
馬鹿王子と浮気相手が出会ったのは、馬鹿王子の士官学校で行われた御前試合だったらしい。栄光の冠を勝者に授ける乙女役に、相手の女性が選ばれたのがきっかけだ。その日婚約者だったフィリアが王妃様のおつかいで不在だったのも、二人の接点を持たせる原因だったかもしれない。
その後、二人は大胆にも王城で逢引を繰り返していたと聞く。相手は、そのために伝手をたどって王妃様の侍女にもぐりこんだそうだから、出会いの日にフィリアが不在だったのことにも、恣意的なものを感じる。
こんな大胆不敵なやり取りを、わたしや夫、またルルーシェ夫婦が馬鹿王子の浮気のことを知らなかったのは、様々な人間の思惑が重なったせいだった。
宰相の失脚を願う人やダーニャドーズ家がこれ以上の力を持つことを嫌った人、ディルスクエア家が国の中枢に食い込むことを良しとしない人は、揃って夫や従姉夫婦への情報を統制させ、また、フィリアがフリーになることを願った人たちは、私や両親の耳に馬鹿王子の醜聞が届くことを邪魔した。「祖父のようにはいかないな」とうなだれる夫を宥めるのはちょっと大変だった。情報戦で祖父にかなわないのは、祖父が規格外だっただけだ。情報戦が苦手だった義父に夫は似たのだろう。
なお、フィリア出奔から婚約破棄の連絡が来るまで六日もかかったのは、馬鹿王子本人が申し出たのが遅かったのと、王家サイドが事実を隠したまま馬鹿王子を説得していたから、らしい。
……馬鹿王子、婚前旅行に行こうとしていたそうだ。それの準備を優先して、婚約破棄の報告を怠っていたと知ったとき、私はひどく馬鹿馬鹿しくなった。コレと妹を結婚させなくてよかった。心底そう思った。
だが、馬鹿王子に呆れるのと、婚約破棄の話は別だ。結果として結婚がなしになったのはよかったけれど、そのためにフィリアが出奔したのはいただけない。兄を捜しに行くというのは見え見えの口実だ。
「フィリア……無事でいて」
私は祈る。あの子の特殊な力はあの子を助けるとは思う。けれど、あの子は無鉄砲な性格な故と言うか、あまり人を疑ったりしないせいで色々面倒ごとに巻き込まれやすいのだ。
なんだか余計な面倒ごとを引き寄せていそうな妹を思い、私はため息をついた。