逃げるが勝ちとはよく言ったもの
結果から言うと、鞄の改造は大成功だった。なにを入れても入るし、重さもない。
内心浮かれて、わたしは旅の準備をした。果物や牛乳、お肉やお魚なんかも鞄に入れる。今までの鞄だと痛むものは入れられなかったけれど、今となっては入れ放題だ。
そんな風に買い物しまくっていたのがたたり、わたしのお財布には北風が吹き荒れることとなった。まずい、これはお金を下さないとどうにもならない。ウルフレアを出るときに、結構な額を入れてきたんだけどな。
旅の準備にはお金がかかるのだと思い知りながら、仕方なくギルドへ足を向ける。下ろしたらすぐに逃げ出した方がいいので、この町を出るときは勿体ないけど駅馬車を使おう。
そう決心したわたしは、残り少ないお金をはたいて、駅馬車のチケットを買った。とにかくすぐに出発するものを選んだせいで、行先はラクトピアのファラディという町になる。パルティアとの国境近くにある町だ。
チケットを片手に、わたしはギルドへ向かった。ドキドキしながら預金を下したけれど、問題なく下ろせたのでほっと胸をなでおろす。うーん、意外と探されてなかったりする? わたし。有り難いんだけど、少し淋しい。いや、探されたらめんどくさいから嫌なんだけどね。
まぁ、資金も下ろせたし、準備もできた。あとは逃げるに限る!
なんだかかくれんぼか鬼ごっこのようだなと思って、こっそり笑った。
◆
国境を越えてラクトピアに入国する際に再度身分証の提示を求められたものの、ファラディまではすんなりと行けた。あんまりすんなり行き過ぎて、むしろ不安になるくらいだ。それとも、長兄を探すという名目が受け入れられているのだろうか。アヤ兄は貴重な魔法使いなだけでなく、新しく魔法陣を創り出せる稀有な存在でもあったから、きっとそちらの捜索が優先されたのだろう。長兄の件は触れてはいけない公然の秘密的な扱いだったから、詳細は訊いたことないんだけど。
まぁ、なにもないということはいいことだ。純粋に旅を楽しめばいい。うーん、もしかしてレオリアに行っても平気だったりするかな? もう何年もロイユーグ叔父さんには会っていないから、会いに行くのもいいかもしれない。そうなると、また駅馬車を使う?
そう思ったわたしは、行先をレオリアに決めた。ただし、駅馬車は使わない。せっかくそろえたのだしと、徒歩の旅を選ぶことにしたのだ。
外の世界を見たことがなかったわたしにとって、徒歩の旅はさらに刺激的だった。
埃っぽい、白茶けた道は石がごろごろしていて歩きづらいし、咽喉が渇いたりお腹が空いてもお店一つない。なにもないかと思えば突然倒木が道を塞いでいたり、道が複数に分かれていたりと、そういうアクシデント的なものはある。
でも、頬を撫でる風は青く澄んでいて気持ちがいいし、すんなり空に向かって伸びる草原がさわさわと奏でる音も素敵だ。
非常に気分がいいので、人通りがない上に時折魔獣が現れるということを理由に、わたしは上機嫌に歌を歌いだした。なんの遠慮もなく歌えるのは久しぶりだ。セレンが側にいたときは気兼ねなく歌えたけれど、王都に行ってからは鼻歌一つでも気を付けていたから、その解放感は格別だった。
まぁ、歌詞は選ばなきゃまずいので、そこらへんは適当……というか、魔獣なんてこないよ! 疲労もこないよ! と、そういう自分に都合のいいことだけをでたらめに並べて旋律に乗せる。
「きていいのは善いことだけ~」
ああ、楽しい。旅っていいなぁ!
歌で魔獣を避けたり疲労を軽減しても、時間は経つ。頭上で輝いていた太陽は姿を消し、蒼月と紅月が代わりに光を放ちだした。今、何刻くらいだろう? まだ蒼月の時間だと思うけれど、闇の時間に入る前に野宿の準備をしておいた方がいいかと思われた。季節は春になったとはいえ、まだ夜は長い。
有り難いことに街道を外れてしばらく歩くと、ちょうどよさそうな開けた場所に出たので、そこを初めての野営地とすることに決める。焚き火のために石を積み上げ、そこらに落ちていた枯れ枝や枯葉を投げ込む。魔法で火を出せるとはいえ、燃料はあった方がいい。なくてもいいけど、つけるだけと維持し続けるのでは、それなりに魔力の消費量が違う。
「クッション買っておいてよかったぁ~」
敷布の上に買っておいたクッションを置き、毛布にくるまったわたしは、満足した声を上げた。魔法でブーストをかけておいたとはいえ、疲労がゼロになったわけではない。普段こんな風にたくさん歩いたりしないので、わたしの脚は疲れていた。ブーツを脱ぎ、横になったわたしは、頭上に脚を持ち上げてバタバタさせたり、両手でとんとんと叩いたりして、凝りをほぐすよう努める。
自室でくつろいだような体勢だが、一応目くらましの魔法はかけているので、誰にも見られていないはずだ。
それにしても疲れた。歩くのは楽しいけれど、こんなに疲れるんだ。
でも、それを上回る楽しさが、旅にはあった。自分が高揚しているのがわかる。疲れているけれど、身体が軽いような錯覚を覚えるのは、魔法のせいじゃない。
「星、綺麗だなぁ……」
こうやって寝転ぶと、空が綺麗なのがよくわかる。柔らかい光を放つ双月を飾るように、星々が瞬いている。
「きらきら きらきら 空の星
わたしに 素敵な 贈り物
ピンクのリボンに 砂糖菓子
可愛い 白い 仔猫ちゃん」
ぼーっと空を見上げていたわたしは、完全に油断していた。ウルフレアでは仕事以外で歌ったりしていなかったのに、今日は調子に乗って歌いまくっていたのがいけなかったのだろう。このときのわたしは、本当になにも考えず、母や姉が歌っていたわらべ歌を口ずさんでいたのだ。
それに気づいたのは、頭上にピンクのリボンが飾られた砂糖菓子の包みが降ってきたからだった。包みの角が鼻にぶつかって地味に痛い。
「やっちゃったか……」
砂糖菓子を手にしつつ、わたしは上体を起こし、耳を澄ます。“素敵な贈り物”として口にしてしまったのは砂糖菓子だけではない。案の定、細い鳴き声が耳に届いた。
「うにゃ」
鳴き声を元に仔猫を捜したわたしは、その姿に目を丸くした。
「……幻獣の幼体?」
そこにいたのは、白く小さな──翼を持った猫だったのだ。




