音楽は人目を避けて
フォーンの町を離れたわたしは、思いつくままうろうろとした。行先がはっきりしていると跡をたどられそうだけれど、はっきりしていなければ読めないんじゃないかと、そう思ったからだ。
ただ、フォーン付近に留まることだけは避けた。ここのギルドを利用したのは、荷物を受け取った際に姉たちにはわかってしまう。そして、姉経由でニーニヤのギルドマスターを務める伯父にバレるはずなので、そこから追われてしまえばわたしの旅も終わるだろう。それは嫌だ。
帰りたくないわけじゃないけれど、今は外の世界を見てみたい。結婚とか、これ以上そういったごたごたに巻き込まれるのはごめんだし、戻ってしまえばこの力のせいで自由に行動できないのだから、今だけでも好き勝手に行動してみたい。
そう思ってしまうほど、旅は楽しかった。思いがけないアクシデントはあったけれど、それを差し引いても楽しさの方が上回る。どうやら放浪の道を選んだ次兄に、わたしは似ているのかもしれない。
さて、思い切って男装してみたわたしだったけれど、この選択は正解のようだった。魔法使いであることも隠したのもあり、非常に快適だ。「子どもなのに一人旅?」みたいなことを尋ねられるけれど、「行方不明の兄を探している」と答えれば、同情されることはあれ、危害を加えられることはなかった。
会話に不自由する身なので、踏み込んで交流を持つとはいかなかったけれど、駅馬車の休憩時間や待ち時間などに、いろんな人たちの話を聞けた。お菓子をいただいたり、代わりに果物を差し入れたりと、話せないなりに人と触れ合うことに、わたしはひどく満足している。人って面白い。見ず知らずの人に親切にしたかと思えば、その人が利用できそうならあっさり掌を返したり、見た目が怖い人の方がむしろ優しかったり、無口な人が、ある一定の話題になると饒舌になったり(これは魔法使いによくいるタイプだ)。
そんな感じで旅を楽しんでいたものの、わたしは並行して本来の目的である長兄を探すことも忘れずに行っていた。長兄に関してギルド関係は伯父や父が手を回しているはずなので、そちらは頼らずに行く。
「銀髪に琥珀の目の、褐色の肌をした長身の男?」
買い物がてら長兄のことを尋ねるわたしに、屋台のおじさんは残念そうに首を振って見せた。
「残念だが見かけてないなぁ。アヤリウスって名前にも思い当たるところはないねぇ」
「そうですか……ありがとうございます」
魔声の効果が気になるのもあって、あまり突っ込んで訊けないわたしは、おとなしく引き下がることにした。アヤ兄の肖像画でも持っていればよかったな。さすがに特徴だけで探すのは難しい。
それにしてもアヤ兄……本当にどこに行っちゃったんだろう。さすがにわたしの能力でも、なにもない空間から長兄を即座に引き摺り出したりすることはできないので(魔声は万能に近いけれど、そこまで万能じゃない)、仕方なく地道に探すのだが……うん、思った以上にその道のりは遠かった。
サジ伯父さんがギルドの使用状況から、クロムに乗った父が大陸中をそれぞれ探しているのに見つからないとは、長兄はやっぱりイセルルートに行ってしまったんだろうか。うーん、今頃向こうの大陸で父かラズ伯父さんに見つけられてたりして。
そうなると、わたしの旅は大義名分を失って、単なる旅行になる。……まぁ、それでもいいか。
とりあえず先程の屋台で買った果物を食べてしまおう。そう思ったわたしは、広場の真ん中にある噴水の縁に腰かけた。さて、これからどうしようか。そんなことを思いながら、リーツを齧る。
今のところ駅馬車で移動しているけれど、これが意外とお金がかかる。魔法師団のお給料はよかったので、わたしは若年ながらかなりの貯金を持っているのだけれど、このお金を下すにはギルドに行って手続きをしなくちゃいけないのだ。出奔している手前、現在地がバレる行動はできるだけ慎みたい。そうなると、徒歩と野宿を繰り返すのが一番経済的に思えた。魔声があるので魔獣や人は怖くない。人目がなければ堂々と魔法も使えるし、やっぱり野宿で行くかな。うん、そうしよう。
そうしたら、野宿の準備だ。なにが必要かな。毛布と、食料と、水と、調味料と、調理器具と……うぅん、意外と持ち歩くものが多い。こうなったら、いっそのこと魔法の収納鞄を買ってしまうか。値は張るけれど、わたしは腕力がある方ではない。かさばるもの、しかも重要があるものを持ち歩くのは無理だ。
「あ」
野宿の準備で頭を悩ませていたわたしは、あるアイディアを思いついて声を上げた。魔声で今の鞄を作り替えられないかな。ちょっと試してみよう。……と言っても、町中では無理だけれど。一旦門の外へ出るか。
◆
町の外へ出たわたしは、外郭から少し離れる。どこまでが結界の範囲外かわからないけれど、門の前はそれなりに人もいるから避けたいのだ。
あたりいに人目がないことを確認すると、わたしは鞄から竪琴を取り出した。座って、張ってある弦に指を滑らせる。普段持ち運んだりしないのでどうなっているかと思ったけれど、音が狂ってはいないようだった。
「さて」
人目を引く前にさっさと目的を済ませてしまおう。わたしは適当な曲を選ぶと、鞄を前にして小さな声で歌い始める。内容は鞄よ収納鞄に変われと、ただそれだけのシンプルなものだ。長く歌う必要もないし、聞かれてしまうのも困る。
しかし竪琴の音はどうしても人目を引いてしまうようで、ちらちらとこちらを見る人が増えてきた。うーん、これ、すぐ立って町に戻ったら怪しいかな?
怪しまれることを危惧したわたしは、そのまま竪琴だけを鳴らすことにした。歌うと魔法が発動してしまうので、伴奏だけ。また、歌っても歌詞がないものにしないと。
「やあ、旅の楽師さん。綺麗な音だったね」
数曲弾いて門へ戻ると、門兵さんから声をかけられた。それを皮切りに、外にいたいろんな人からお褒めの言葉をいただく。そんなに褒められたら照れちゃいますってば!
「外に出たのは竪琴を弾きたかったからかい? それなら広場でやれば人が集まったろうに」
「そうそう、酒場とか、人のいるところでやるといいよ。離れてたからかすかにしか聞こえなかったけれど、綺麗な曲だった。聞いたことない曲だったが、ありゃどこの曲だい?」
「いえ、気分転換したかっただけなので。さっきのは母の故郷の曲です」
実は曲名はわからない。よく母が口ずさんでいたのでメロディだけ覚えていた曲の一つなのだけれど、曲名を訊いたときの返答が聞いたことのない言語だったので、わからないままきてしまった。歌詞も同様で、なにを言っているかわからないが、こちらはそのまま歌うと室内なのに虹が生まれたりして大変なことになるので、人前では歌えないのだ。綺麗なので好きなんだけどね(被害は少ないし)。
そんなことを話しながら、わたしは再び町に戻る。さあ、野宿の準備をしなくちゃね!