能力のご利用は計画的に
「通しなさい……」
力を籠めて、わたしは発言した。普段なら怖くて言えないけれど、今はそんなことを言っていられない。逃げなくちゃダメだ。結婚がダメになって、結婚から逃げ出したというのに、こんなところで捕まりたくなんかない。
「通しなさい!」
けれども、魔結界石を使った直後のせいなのか、それとも団長の作った魔道具の効果が強いのか(多分こっち)、魔声は発動しなかった。いや、少しは発動したのかな? イリエルナさんだけスッと道を開けたから。
でも、アルフェルドさんとギゼールバードさんは動かない。
こんな中途半端な発動しかしないとなると、もう一つの方法を持ち出すしかない。調弦している余裕はないから、ここは伴奏なしで一つ。
魔法紙を片手に一歩踏み出したギゼールバード(もうさん付けする必要性を感じない)から二歩離れて、わたしは深く息を吸った。効果として見込まれるのは、王城の結界内と同じか、それ以上かくらいか。これから旅をするにあたって、どうやっても自分の能力が及ぼす影響は知るべきだから、ちょうどいいチャンスだと思おう。
旋律は適当でいいんだけれど、子守歌だとついでに寝てくれたりするかなという下心で、わたしは聞き慣れた音を頭に思い浮かべた。元の曲は、母が幼いわたしたち兄弟に歌ってくれた、懐かしい歌だ。
「眠れ 眠れ ゆっくりと
光が 告げる 朝まで眠れ
ここには 誰も来なかった
魔法使いは いなかった」
とにかく、わたしはここを立ち去りたい。そのためには眠ってもらうことが一番だ。
また、追われては堪らないので、わたしの存在も忘れてほしい。その思いを、歌に籠めた。
わたしの歌声が部屋に流れると、すでに魔声の効果が表れていたイリエルナが最初に眠りに落ち、それを追うようにアルフェルド、ギゼールバードが床に頽れた。
三人が完全に眠りに入ったのを確認したわたしは、そうっと歌うのをやめる。歌声が途切れても起きる気配がないのを見ると、目論見は成功したようだった。我ながら怖いくらいの効果だ。
“竪琴の魔女”、“歌謳いの魔女”。魔法師団で、わたしはそう呼ばれていた。呪文による魔法の威力は普通だけれど、ひとたび魔法の竪琴を使えば、その音色を以って強い魔法を行使する。そう、思われていた。
実際のところ、わたしの力の基は魔声なので、今のように竪琴がなくても魔法は使える。竪琴は魔声に気付かれないためのフェイクだ。
けれどもなぜ声で発現しなかった魔法が歌になると威力が増加するのかというと、これはわたしの声による魔法を、旋律と音程の加減によって増幅させているから、といったところだろうか。どうして歌になると増幅効果があるのかは、実はよくわかっていない。過去の魔声持ちの記録にも、歌については書かれていないのだ。
ちなみに竪琴自体も団長の手による魔道具なので、一応音色に魔力は含まれている。だからと言って、わたし以外が扱ってもこういう使い方はできない。竪琴の音色だけでは意味はなく、魔声持ち以外が歌っても反応はない。唯一呪文と旋律を組み合わせると多少効果が上がることは、製作者である団長や、副団長を務める姉フェルメーアが確認してくれた。
だからその結果を隠れ蓑に、対外的にはわたしは“竪琴と相性がよく、呪文と旋律を組み合わせて使う魔法を研究している魔法使い”ということになっていた。
わたしの能力が一番強く発揮されるのが歌ったときだというのは、幼い頃からわかっていた。母や兄姉たちの真似をして歌ったとき、魔力が見える父は、わたしの魔力が急激に膨らんだのが見えたのだと言った。そして、言葉になっていなかったその歌がきちんと意味を持つようになったそのときのことを、幼いながらもわたしははっきりと覚えている。
歌ったのは、母の故郷で歌われていたという子どもの歌だった。木の実が池に落ちて大変! という歌詞だったのだが、わたしが歌った瞬間、その場にいたわたし以外の全員が、突然現れた池の中に落ち、本当に大変なことになったのだ。挙句おかしな魚の魔獣も現れて、わたしは本当に真っ青になった。
それ以降、わたしの家には祖父が作ってくれた魔結界石で常に強い結界が張られることになったし、歌うことも禁じられた。というものの、魔法使いであった母方の祖父の指導の下、歌詞のない歌だったら特に魔法は発動せず、その場に光と謎の多幸感をもたらすという、意味不明な効果があることが解明されたので、それは“歌詞のついた歌のみの禁止”に変わったのだけれど。
さて、完全に眠りについた三人を置いて、わたしはこの家から逃げる用意を始める。
居間の壁にかかっていた大きな鏡の前に立ったわたしは、自分の姿を改めて眺めていた。
白い女児用のワンピースの上に流れる、長い黒髪。ワンピースがシンプルなデザインな上、刺繍などの飾りがないせいで、髪の毛が短かったら男でいけるかもしれない(どうせ凹凸ないし)。
今回のことで思ったんだけど、わたしが目立った理由は“魔法使い”で“女”であったからだ。傭兵ならまだしも、そうでない女の一人旅はかなり珍しいし、魔法使いはさらに珍しい。
ウルフレアを出奔したときには思いつきもしなかったんだけれど、その両方を備えたわたしが目立つのはどうしようもないことだったみたいだ。
このままの格好で旅を続けては、今回みたいなことに巻き込まれることも増えるだろうし、連れ戻される可能性も高くなる。せっかく旅に出たのだから、わたしは戻りたくない。
そう思ったわたしは、鞄からナイフを取り出した。無造作に髪をつかむと、うなじの部分にざっくりと刃を入れ、そのままひと思いに切ってしまう。
短髪になったわたしは、目論見通り、どう見ても男の子だった。
髪を切ることに躊躇いがなかったと言えば嘘になる。けれど、結婚に嫌気が差していたわたしは、思い切ることにしたのだ。髪は伸びる。旅が終わるころには(いつになるかわからないけど)元通りくらいにはなるだろう。
切り取った髪は、魔法で消すことにした。魔結界石の効果はまだ続いていたので、歌って消滅させる。これでよし、と。
身支度を終えたわたしは、ハンガーにかけていたローブを手に取った。そのまま羽織ろうとしたものの、これに刻まれた紋章が今回の騒動の原因だったことを思い出し、とりやめる。今日は曇っていて、ローブなしで出歩くのは少し肌寒そうだったけれど、制服を含め、ローブを着続けるのは危険なように思えた。せっかく性別を隠したのに、魔法使いであることを隠さないのでは意味がない。
とりあえずローブは裏返して紋章を隠してから持つことにして、さっさとこの町を離れよう。
ウィンダーシュム家を抜け出したわたしは、再び駅馬車屋へと足を向けた。おっと、その前に古着屋を覗いて行こう。マントかなにかがあるといいのだけれど。服装が整い次第、魔法師団の制服はウルフレアに送り返してしまおう。わたしが持っているのは父が使っていたような魔法の収納鞄ではないので、不要なものを持ち歩くのは厳しいのだ。
◆
フォーンの町の古着屋で、わたしは何セットか着替えを買い求めた。
古着屋というのは、特に子ども服の品揃えがいい。子どもはすぐにサイズが変わってしまうので、着れなくなったものは古着屋に下ろし、次のサイズをそこで買うことが、庶民の間では普通に行われているからだ。
もちろん、お母さんが作ってくれる家も多くある。うちでは、父や(母は立体物を作ることが苦手だった)、黒猫亭のメルルおばさんが作ってくれることが大半だったから、服を買い求めるために古着屋を訪れることはさほどなかった。そのせいもあって、古着屋を覗くのは楽しかった。
そうは言うものの、ゆっくり見ている暇はない。できる限り手早く購入し、わたしは店を出た。有り難いことにマントの在庫があったので、魔法師団の制服は一式まとめて返送することにする。送り先は姉でいいだろう。しばらく不在にすることの謝罪と、捜索不要の旨を書き込んだメモと一緒にギルドに預ける。商業ギルドは手紙や荷物の配達もしてくれるのだ。
ギルドで荷物を送る手配を終え、わたしはようやく駅馬車屋に向かった。
さあ、次はどこに行こう?