旅支度はお一人で
「一旦出てしまうと、塔の狭さがひしひしと感じられるな」
大地に寝ころびながら、リーダイスが呟く。蜂蜜色の長い髪が、緑の草の上で綺麗に波打つのをぼんやり見ていたわたしは、彼の呟きに微笑んだ。たしかに、塔は狭い。だが、それに気付けたのはよかったと思うのだ。一人きりで狭い塔で一生を終えるなど、この人恋しい王様には似つかわしくない。
そんなわたしの気持ちなど知りもしない彼は、骨っぽい右手をついと上げると、太陽の光を遮るかのように掌を広げた。
「太陽はあたたかい。知っていたが、外の光はまた違う」
「塔は石でできてるから冷えるもんね」
「うむ。風呂が殊更あたたかかった」
「お風呂あってよかったね」
一方のわたしは、塔に凭れかかっている。膝の上では、ユートががじがじとわたしの指を齧って魔力のお食事中だ。
「それにしてもさ」
かけられた言葉に、リーダイスは掌からわたしへと視線を移した。青灰色の双眸が、訝し気に細められる。
「リーダイスの服、調達してこなきゃね。さすがにその格好じゃ、外出歩けないよ」
「そう……だろうな」
リーダイスの服は、それはもう、簡素である。そして、小さい。ゆったりとした作りなせいで着れているものの、この二年で彼がどれだけ成長したのかがわかるくらい、袖も裾も短いのだ。これでは外を歩けまい。
指摘され、自分の服を改めたリーダイスは、少し頬を赤らめた。いちいち可愛らしい王様である。
「だから、わたし一旦街へ行って、旅の準備をしてこようと思って」
「! だが、エスフィ……」
「ちゃんと戻ってくるよ~。あ、ユートもお留守番お願いできる?」
『うん、いいよー! 果物お土産に買ってきてくれるなら』
「ちゃんと買ってくるよ」
ユートを残しておけばリーダイスも安心だろうと思ったが、効果は薄そうだった。
「帰ってくるな?」
「当たり前でしょ」
「置いて行かないな?」
「ちゃんと迎えに来るし、置いていきません」
しゅんとしてしまったリーダイスを慰めようと、わたしはユートを抱えたまま立ち上がった。寝転がったままのリーダイスを覗き込むと、きょとんと眼を見開かれた。
「約束。ね?」
「……これはなんだ?」
「え? 指切りだけど?」
差し出した小指が物悲しい。どうやらこの王様は指切りをした経験もないらしく、どうしていいのかわからないようだった。
「こうして小指を絡めてね、約束するの。ゆーびきーりげんまん、嘘ついたら針千本のーます!」
「……針を千本も飲んだら痛そうだ」
神妙な顔をして指切りをしながら、リーダイスはそんな感想を漏らした。普通は針を千本も飲んだら死ぬだろうが、彼は寿命でない限り死なないだろう。地獄に苦しみにさらされるだけだ。
やっぱり≪太陽の恵み≫は呪い以外のなにものでもないと、そのときわたしは強く思った。
◆
そして現在。わたしはひとり街にいた。塔から近くもなく遠くもなくといったところにあるその街の名は、ベアート。有り難いことに商業都市である。
活気あふれるその街では、様々な市が立っていた。店舗より露店が目立つ街は、やはり物珍しい。わたしは置かれた状況も忘れて、しばし街を散策した。
(さて、問題はなにを買うかということと、費用の調達、かな)
迂闊にギルドで預金が下せないので、路銀は節約したい。ぶっちゃけ、お金を稼ぎつつ旅をしたい。そうなると、わたしにできることは限られているので、旅の楽師の体を取るか、魔法で稼ぐかのどちらかだ。そして、できるだけ魔法を使いたくないわたしにできるのは、竪琴を奏でることだけだった。歌は禁止。ダメ、絶対。
(リーダイスに歌ってもらうのはありかな~)
声変わりしたての未成熟な声帯が奏でる音楽というのも素敵だよな、とわたしはひとり夢想した。あの声に合うのはどんな音色だろうか。高くなく、低くなく。
(いつか、一緒に歌いたいなぁ)
そこまで考えて、ふと我に返る。セレンドルークと違って、リーダイスは自分に対しての魔法が無効となるだけだ。歌は別の影響が出ないとも限らない。
(……無理か)
無謀な夢は早々に諦めたわたしは、改めてリーダイスに合いそうな服を探し始めた。多少丈が長くても、どうにかなる。そういうデザインのものを求めて市を渡り歩く。
「坊主、一人かい?」
「兄を探す旅を」
「そりゃ難儀な……まだ小さいのにな。それで、なにがほしい?」
「服」
ぶっきらぼうな物言いのわたしにも、店主は愛想よく品物を見せてくれる。
感謝しつつ、わたしはリーダイスに似合いそうな服をいくつか見繕った。靴……はどうしよう。ここに連れてきて選んだ方がいいかな。靴に魔法をかけることは可能だけど、リーダイスが絡むと発動するか怪しいのでなんともしがたいことに気づく。
「サンダルも」
迷った末に革で編んだ変わったサンダルも購入することにした。サイズは大きいかもしれないけれど、ダメだったら魔法をかけて自分サイズにすることにする。
(よし、こんなものかな)
買い物を済ませたわたしは、町の入り口にある広場へ向かった。なにをするかって? それはもちろん、演奏である。