寝台はひとつだけですが?
とにかく話したくてたまらない大型犬……もとい、リーダイスに折れたわたしは、彼を遠くに追いやった後、お風呂から上がった。手早く水気をきって服を着る。
「気持ちよかったです。お風呂、ありがとうございました」
「そうだろう! この塔にあれがあってよかったと、僕は思う。ところで、なんでそんな口調なのだ。さっき言った通り、もう、僕は王ではない。もっと砕けてもらって構わないぞ」
「でも……まぁ、王族ですし」
「さっきは違ったではないか! やめろ!」
「御意」
「だからそれをやめろ!」
尻尾の幻影をわたしに見せつけながら、リーダイスは不満げな表情をその整った顔に浮かべた。
「ところで、少しはお腹、こなれた?」
「まったくもって問題ない! まだまだ入るほどだ!」
不満げな彼に消化について尋ねると、一転してキラキラとした視線と共に期待に満ちた返答が返ってきた。そうですね、ひさしぶりですもんね。
それにしても、食事や会話って偉大だな。初めて会ったときは死んだような目をしていたリーダイスだけど、今は本当に感情豊かだ。全身で嬉しくて仕方がない! っていう気持ちを表している。
だからこそ、わたしは躊躇うのだ。今後の身の振り方を。別れを告げたら、絶対しょげるし、下手したら泣くよね……。
「それじゃ、デザートでも……」
「食べるぞ! 僕は好き嫌いなどない!」
「それはなにより」
見て、この食い付きっぷり。入れ食いもいいところである。
鞄から焼き菓子を出すと、リーダイスは目に星か太陽でも浮かべそうな勢いでお菓子を見つめる。
餌付けって、される側はおいしくて幸せなのだろうけれど、する側はもっと幸せに浸れるのだと、このときわたしは初めて知った。
「エスフィ」
「なに?」
出した焼き菓子の大半を瞬殺したリーダイスは、最後に残ったひとつをゆっくり噛みしめるように味わっていた。そんな彼の様子をにまにまと見ていたわたしに、リーダイスがそっと声をかける。あ、視線が気持ち悪かったですか? ごめんね~。
「僕は、寝台の用意もしたぞ。お風呂の準備だけでなく、洗濯も掃除も練習したのだ」
「それはすごいね。でも、寝台って……」
王様は主婦にクラスチェンジしたようだった。炊事場があれば、きっと料理もこなしていただろう。
それにしても寝台って。言われてわたしは部屋をぐるりと見回した。簡素な石造りの部屋は、極端にものがない。ベッドだって、ひとつきりだ。
「僕が使っているものしかないが、構わないだろう? 二人くらいはゆっくり眠れる大きさはある」
悪びれもせず、リーダイスは言いのけた。
「……それは」
「どうした? さっきも言ったが、もう僕は王でも王族でもない。気にしなくてもいいぞ!」
気になるのは、そこではありません。
わたしはニコニコと笑うリーダイスを見た。そこには悪意も性欲もなにも見当たらない。ただ、人との触れ合いに飢えた子どもが一人いるだけだった。
(そんなにわたし、男の子に見えるのかなぁ……)
凹凸のない身体に、短い髪。少年の装いをしたわたしは、どうやら完全に少年に擬態できているようだった。なんだか釈然としない。成功は成功だけど、これは失敗だ。大失敗なのだ。
「人と寝るのはちょっと」
「布団に入るだけだ!」
フォローになっていないフォローをかますリーダイスに、わたしは頭を抱えた。ここは、正直にカミングアウトすべきか? だが、彼の問題に巻き込まれたくないという思いと同じくらい、自分の抱える問題に彼を巻き込みたくないわたしは、自分の性別を伝えることを躊躇うのだ。
「ええと……」
「布団に入って話せば、長くまで話せる!」
いかにも良案だろうといった様子のリーダイスを止める手立ては、今のわたしには思いつかなかった。
◆
結局押し負けて同じ寝台を使う羽目になったわたしだったが、恥ずかしいことに布団に入るや否や、夢の世界へ旅立ってしまった。それが相当不満だったらしい大型犬は、朝から不機嫌極まりない。昨日はあんなに懐いてくれたというのに、今朝は顔すら合わせてくれないとか、えらい嫌われっぷりである。極端すぎないか、君。
「リーダイス、ごめんね、昨日は寝ちゃって……」
「い、いや、かまわぬぞ。疲れていたのだ。そうだろう」
王様は自分の怒りをあらわにすることなく、慰めの言葉を口にしてくれた。多分、その言葉で怒りを抑えているのだろう。
「わたしの事情はどうでもいいよ。リーダイスががっかりした方が大事じゃない?」
「僕の方が、大事?」
「そりゃそうでしょう。二年ぶりの会話にワクワクしてたのに、相手が寝落ちしちゃったらがっかり感半端ないでしょう? 本当にごめんなさい」
頭を下げると、頭上でリーダイスが息を呑むのがわかった。一呼吸おいて、慌てて止めに入るところが可愛らしいと思う。
いい人だな、リーダイス。そして、いい人だからこそ、こんなところに閉じ込められて、おとなしく二年も虜囚となっている。本当はさみしくて仕方がないくせに、ひとりきりで。
(こんな小さい子を塔に閉じ込めて、二年も食事なしでほっとけるなんて、センケダルス王……許すまじ!)
不意に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。他国の、更には王族の争いに首を突っ込む気はない。でも、わたしはどうしてもこの子を解放してあげたかった。
自由って、素敵だったよ。わたしも初めて知ったけど、身体が軽い感じがしたの。王族のしがらみは鉄の鎖のように重くて、わたしたち子どもにはしんどいから、なおさら自分自身だけになったとき、すっきりした。
(でも、だからといってわたしになにができる?)
魔声はリーダイスには効かない。弟のセレンドルークとは別な意味で効かない相手がいるとは思いもよらなかったけれど、わたしの歌で彼を解放してあげることはできない。
それじゃ、マナツィアの王宮に忍び込んで王に一言申す? うーん、魔道具の効果がある今の状態じゃ、魔声に頼るにしても途中で頓挫しそう。王と対峙した状態から始められればいいんだけど、なにかうまい方法はないかな……。
「エスフィ? あの……怒った、のか?」
わたしが急に黙ってしまったことで、今まで仏頂面だったリーダイスが、ふと「しまった!」といった表情を浮かべた。
「怒ってないよ。考え事してたの」
「考え事……もしかして、もう、ここを出る……とか?」
恐る恐るといった様子で、リーダイスが出立を口にする。悄然としたその様子に、わたしは胸を打たれた。そうだよね、一人残されるのは嫌だよね。わたしは一人になった経験がまずないけれど、きっとひとりというのはさみしすぎる。
しょんぼりしたリーダイスの手を取ると、わたしは告げた。