食事はとても大切
「それも魔法?」
「そう」
わたしの答えに、青灰色の双眸が揺れる。
塔の上で一人きりだった彼。蔦で覆われた塔は、随分長いこと人の出入りはなさそうだった。
淋しいんだろうな。誰も来ないって言っていた声には、寂寥感が滲んでいた。たった一人。訪れる人もいない塔の上で、彼はなにを思って誰を待っていたんだろう。
「あの……さ」
火の気もない寒々しい室内を見回して、わたしは口を開いた。
ベッドはあるけれど、生活感のない部屋。本が詰まった本棚はあるけれど、家具といったらそれくらいだ。わたしが入ってきたドアとは別の扉があるので、そちらにいろいろあるのかもしれないけれど、まぁ……なんていうかとても淋しい部屋なのだ、ここは。
「お腹、空いてない? 食べるものだったらあるけれど」
「食べ物?」
なにを言っていいのか、かける言葉を見つけられなかったわたしは、華奢な彼の体躯を見てそんなことを口にしてしまった。あの痩せ具合はご飯が足りてないのかもしれない。
適当に口にしたわたしの言葉は、意外にも的を得ていたらしく、曇った青灰色の瞳は一瞬で明るくなった。
この感じだと、相当……お腹減ってたのかな。胸が苦しくなったわたしは、手にしていた竪琴を鞄にしまうと、代わりに詰め込んでいたフラガリアをいくつか取り出した。テーブルを探したけれど、テーブルどころか椅子すらないので、とりあえずハンカチを敷いた窓の桟に置く。人が座れるくらいの幅があるそこは、テーブル代わりにするにはちょうどよかった。
「うわぁ!」
歓声を上げる彼に、涙が出そうになった。誰だ、ここに閉じ込めて満足に食事を与えなかった奴! 出て来い! わたしはこっそり拳を握った。
食事は大事だ。身体を作るものだし、お腹がすいたら元気はなくなるし、後ろ向きになるし、怒りっぽくもなる。
「まだまだあるよ」
涙を浮かべて小さな赤い果実をむさぼる少年に、わたしの声は届いていないようだった。そんなに空腹な状態でお肉とか食べさせちゃダメだろうな、と、隣でリーツを剥きながら考える。お粥……いや、重湯? とりあえずこのリーツも固形じゃダメかも。
「すりおろしリーツになぁれ」
鞄からお皿を出して、手にしたリーツを加工する。ついでにパンもパン粥にする。あまりの手抜きっぷりに母が怒りそうだ。バレないからいいか。
それぞれの皿に匙を添えるや否や、白い手が伸びる。驚きの食べっぷりだ。たくさんあげたいけれど、胃がびっくりするだろうと思って量を減らしたんだけど……減らさない方がよかったかなと思うくらいの勢いだ。
『ぼくのフラガリア~』
「まだあるから」
甘酸っぱい果実はわたしの好物だったので、たくさん仕入れていた。肩の上で強請るユートに分け与えていると、彼も目線でもっとよこせと伝えてきた。大丈夫なんですか、お腹。
◆
ちょっと心配になる量を食べつくすと、彼は人心地ついたのか、急に恥ずかしがるそぶりを見せた。色が白いせいで、耳まで真っ赤なのがバレバレだ。
「その……はしたないところを見せてしまって、すまない」
「お腹空いてたんだね……」
「……ここ二年ほど、食べてなかったから」
「二年!?」
目を剥いたわたしに、うつむいたまま彼は頷いた。
「僕は……ちょっと特殊で。ていうか、きみは誰?」
「あ……そっか、名乗ってなかったね。わたしはエスフィ……」
リア、と続けようとして、言葉を呑み込む。そういえば彼はわたしを男の子だと勘違いしていた。同年代とはいえ、なんだか事情がありそうな彼に正体を明かしてしまうのは危険かもしれない。面倒事から逃げてきたというのに、また面倒事に巻き込まれるわけにはいかないのだ。
「エスフィ?」
「うん」
「変わった名だね。マナツィアの民ではないの?」
「違うよ。旅をしてて迷子になった」
中途半端に名乗ったせいで、おかしな偽名になってしまったけれど、仕方ないだろう。
迷子になったと告げると、彼は少しおかしそうに笑った。笑うと華やかだ。性別に関係なく、美人という言葉が当て嵌まる笑顔だった。
わたしが名乗ったことで自分も名乗ることにしたらしい彼は、顔を上げるとスッと居住まいを正した。背筋を伸ばしたその姿には、凛とした気品が窺えた。
「僕はリーダイス。リーダイス・イルツァ・マナツィーだ。食事を分けてもらった礼を言う。久しぶりに味を感じた」
「……あの、もしかしなくても」
彼の名乗りを聞いて、わたしの背筋に冷たいものが走った。その名前には覚えがある。とてつもない面倒事と一緒に! そんな、面倒事は困る。困るのに!
「僕はマナツィアの王だ。もっとも、王位は簒奪されたけどな」
秀麗な顔を歪めて、彼──リーダイスは告げた。
「リーダイス……先王、陛下……でした、か……。その、亡くなられたと伺ってて」
「リーダイス、でいい。もう王ではない。対外的には死んだことにされていただろうが、僕を殺すことは神様にしかできないからな。叔父上も始末に困って北の塔に閉じ込めるしかなかったらしい」
どうやらわたしは迷いに迷ってマナツィアへ来ていたらしい。いつの間に国境を越えたのだろう。気付かなかった。
それにしても、困った。なにが困ったかというと、このマナツィアという国はひどく特殊な国だからだ。
宗教国家と名高いマナツィア王国は、二年前に即位したばかりの幼王が流行り病で崩御して、その叔父であるセンケダルス・ホーニグ・マナツィーが王位を継いだ。センケダルス王の兄であったウェルニケア王も同じ病で崩御されたこともあり、表立ってその理由を取り沙汰されることはなかったものの、たしかに疑惑が残る崩御だったと聞く。
「《太陽の恵み》があるせいで、殺害されることも、病死することも、餓死することもない……が、さすがに水と太陽光だけで二年生きるのはつらかった」
リーダイスはそう言うと額にほっそりとした指をやった。そこには、太陽神の徴と同じ形の痣が刻まれている。それが、彼の言う《太陽の恵み》なのだろう。
それにしても、太陽の恵みとはよく言ったものだ。見方を変えれば、つまりリーダイスの置かれた状況になれば、それは恵みではなく呪いだろう。死にたくても、死ねない。二年も絶食が続くなんて、わたしには──いいや、誰にも耐えられない。
それなのに、この人は耐えさせられたのだ。狂わなかったのが奇跡だろう。
「だから……その、もっと食事を分けてもらえると嬉しい」
そのつらさを想像して涙ぐみそうになったわたしは、真っ赤になって食事を強請るリーダイスによって正気に戻された。うん、空腹はつらいもんね!
ようやく王様出てきました。