塔の上にはお姫様?
蔦はシュルシュルと音を立てながら、まるでカーテンのように両脇に引かれていった。濃い緑のカーテンが消え去ると、目の前には古ぼけた石の壁と、その間にぱっくりと口を開けた入り口が現れる。射し込む陽の光と風に、キラキラと埃が舞いながら輝いた。
塔の中に一歩足を踏み入れたわたしは、淀んだ空気に顔をしかめた。蔦や埃の量といい、淀んだ空気といい、塔にはしばらく……いや、相当誰も足を踏み入れていないようだった。
「くしゅんっ」
舞い上がる埃が鼻を刺激して、くしゃみが出てしまった。足元を見ると、絨毯のように埃が堆積している。うーん、これは歩くたびにくしゃみ地獄になりそう。それは嫌だな。
わたしはらせん状になった石の階段を見上げながら、その高さにため息をつく。これを歩くたびに埃の歓迎を受けるのはごめんこうむりたい。
「埃よ 埃
綺麗になあれ
まとめてお外にぽいっとな」
愛用の竪琴で適当な旋律を奏で、わたしはうんざりする量の埃を片付けた。実家でこの掃除方法を試すと母に怒られるけれど、魔法師団ではよくやっていたのでお手の物だ。
さて、埃も片付いたし、上ってみようか。
◆
くしゃみの素を掃討したわたしは、竪琴を片手に抱えたまま階段を上った。臨戦態勢というやつだ。なにせ、上にいるのがお姫様とは限らない。……幽霊かもしれないし。あれ、わたしの能力って、幽霊には効くの!?
それに思い当った瞬間、足が止まった。うん、ちょっと落ち着こうか。幽霊に魔法が効くか。それについてはわからない。なにせ産まれてこの方、幽霊などにはお目にかかったことなぞない。つまりは未体験。実験したこともないのだ。
わたしは残り少なくなった階段を仰いだ。階段の最後が見えるくらいには上ってきてしまっている。どうするか。
「誰」
足を止めて逡巡していると、わたしの存在に気付いたらしい階上の人物が、刺々しい声を投げかけてきた。はっきりと聞こえるこれは、どう考えても生きている人間の声だ。それなら怖くない。
残りの階段を上り切ったわたしは、鉄の閂で閉じられた粗末な木のドアと対面した。お姫様はこの先にいるようだ。
閂に手をかけたけれど、錆びついているのか、動かない。単に重いだけかもしれないけれど。
「扉よ わたしを通して!」
ここまできて閂と格闘するのはめんどくさいので、魔法でこじ開ける。人目を気にしないと、わたしの魔法は非常に便利なのだ。
今度はするりと動いた閂を外し、わたしはドアを押す。
随分と開けられていないのだろう、耳障りな軋み音を立てながら開いたドアの向こうには、比較的大きな部屋があった。石の床の上には緋色のラグが敷かれていて、右手にはベッドとサイドテーブルがぽつんとある。
そして、奥に開けた窓辺に、誰かが座っていた。
「えっと、こんにちは……」
ここまで意気揚々とやってきたものの、声をかけるのがちょっとためらいがちになってしまったのはご愛敬だ。だって、人間と話すのは緊張する。気を遣わなければいけないから。
斜め格子が嵌った窓を背にした部屋の主は、ゆっくりと立ち上がった。逆光で顔はよく見えないけれど、射し込む光に煌めく長い髪の毛が、さらりと肩から落ちるのははっきりと見えた。
白っぽいワンピースを着たその人は、わたしの存在を確かめるようにしばらく見つめた後、再び敵意に満ちた声をかけてきた。
「誰? ここになにしにきたの」
「え、あ……えぇっと、道を尋ねに?」
「は?」
わたしの返答が意外だったのか、一瞬声から棘が抜ける。
『あ、フィリア! 上がれたの?』
「うん」
窓の外のユートがわたしの姿を見て嬉しそうな声を上げた。竪琴を持っていない方の手を上げて応えると、窓の縁につかまっていたユートは格子の間に頭を突っ込む。が、案の定背中の両翼がつっかえた。
『羽が邪魔で入れない!』
「だろうね」
『フィリア、助けて!』
「わかった」
お邪魔します、と小さく告げて、わたしは部屋の中へ足を踏み入れた。呆気にとられたままらしい部屋の主はなにも言わない。それを了承と取ったわたしは、ずんずんと窓辺へ足を進めた。
「なんの用?」
長い蜂蜜色の髪をしたお姫様は、とても綺麗だった。年はわたしと同じか、少し上くらいだろうか。切れ長の不思議な青灰色の双眸は、怪訝そうにわたしにむけられている。着ているものはひどく簡素なものだったけれど、その美貌を損なうことはない。
ただ、お姫様はとても痩せていた。骨と皮とまではいかないけれど、かなり華奢だ。わたしもそう体重があるほうではないけれど、きっとわたしより軽いだろう。背は、彼女の方が頭ひとつほど高いのに。
「あ、どうも、通りすがりの魔法使いです」
間抜けな挨拶をすると、呆気に取られていたお姫様から再び敵意が剥き出しになった。綺麗な顔ですごまれると結構怖い。
「魔法使い? 遠くまでご足労なことだけど、無駄足だね」
「はあ」
「どんな魔法も僕には効かないよ。知ってるだろう? 《太陽の恵み》の持ち主は、剣も魔法も毒も効かない。殺すことができないから、こうやって閉じ込めてるんだろう?」
「はあ?」
今度はわたしが呆気にとられる番だった。今、なんて言った?
「魔法……効かないの?」
「そんなことも知らずにこの塔へ来たの? 馬鹿じゃないの」
お姫様は口が悪い。
鼻で笑うと、お姫様はしっしっと犬でも追い払うかのように左手を振った。
「さっさと帰れよ。叔父上に“無駄な労力使わなくても僕はここから出られないし、出る気もない”って言っといて」
「あれ……お姫様じゃ、ない?」
「あんた、本当に馬鹿なの? 姫なはずはいだろう? なに聞いてきたのさ」
目をぱちくりとさせるわたしへ、お姫様はため息をついて見せた。
「男の子?」
「ふざけんなよ。どこからどうみても男だろう。あんたと同じだよ」
わたしの返答はひどく彼女──もとい、彼の自尊心を傷つけたらしい。眉間にしわを寄せて彼は腕組みをした。そういう態度をされると、たしかにお姫様には見えない。性別を聞いたせいもあるだろうけど。
「それは置いといて、ちょっといいかな?」
「は?」
「その仔、助けたいんだけど。友達なの」
わたしは窓で閊えているユートを指さした。仁王立ちになっていた彼も、つられてなのかそちらを見る。
「この子、あんたのなの?」
「友達だよ」
わたしの返事は、またもや彼のお気に召すものではなかったようだ。ひどく不快な様子で、彼はわたしを睨みつける。
「ああ、そう!」
「うん……。あの、助けさせてもらっても、いいかな?」
「…………いいけど」
不承不承といった体で頷くと、わたしが通れるようにか、彼は横にずれてくれた。
「おいで」
『えへへ、挟まっちゃった』
格子に手を差し入れて、広がっていたユートの翼をたたむ。そのままそっと引き抜くと、すぽんとユートはわたしの腕の中へ飛び込んだ。
『フィリア、ありがと~』
「どういたしまして」
「……なぁ」
鼻と鼻をくっつけて笑うわたしたちへ、恐る恐るといった様子で彼が声をかける。
「あんた、幻獣と話せるのか?」
「え? ああ、うん……まぁ」
頷くわたしに、彼は小さく「いいなぁ……」と呟いた。