表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

立ち食いそば屋で、声を荒らげる男。

   2016年11月09日 18:40 新宿。


 新宿駅西口から、大久保方面に進んだ所に、一件の立ち食いそば屋を見つけた。

暖簾越しに店内を覗き込むと客が二人。

そして、職人気質の店員が、一人で切り盛りしているようだった。

中に入ると、食券を買わずにカウンターで注文する形式らしく、「ご注文が決まりましたら、言ってください」と店員は微笑んだ。


 私は、何を食べようかと壁に貼ってあるメニューに目を向けた。

天ぷらそば、うどん 350円。

月見そば、うどん  330円。

わかめそば、うどん 320円。

かけそば、うどん  300円。

この4品を見て、一番天ぷらそばがお得な感じがし、サイドメニューにも注目していた。


 後から入店した男が、躊躇なく「ワカメそばっ、ネギ抜きで」と注文。

ワカメそば・・・?

余り聞き慣れない言葉の響きとワカメそばこそが、蕎麦界の王道であるかのような物言いに、笑ってはいけないと思いつつも、ふっと、鼻から息が漏れた。

しかも、ネギは邪道だと言わんばかりの堅牢な意思にすごみがある。

確か320円だったはず。壁のメニューを今一度確認する。

あと30円足せば、天ぷらそばが食べられるのに、どうしてワカメそばなんだ・・・。

私は水を飲むふりをして、隣の男をちらりと確認した。

 瞬時に、その意を解した。そうかっ、ハゲているからか。

ワカメそばを頼んだ中年サラリーマン風の小太りの風体に納得し、少し間を空けてから、

天ぷらそばとおいなりさんを注文した。


 2分と立たない素早さだった。

ベテラン店員はカウンターから手を伸ばし、丼を隣の男の前に置いた。

すると、「ネギを抜いたんだから、ワカメを多く入れてよ〰ぉ」とゴネ出した。


 新宿は、世界でも有数の大都市。様々な思いを持った人間、人種が(ひし)めき合う街。

それゆえに、欲望も多彩だとでもいうのか・・・。


 店員は、わずかに表情をゆがめて丼を取り、ワカメを足して再び男に渡した。

「えーっ、これだけ?もっと入れてくれよ〰ぉ」

ワカメに対する執着が只ならない。これが新宿なのか・・・。

私は恐る恐るゴネる男を再び見やる。それは慎重に。

 隣の男の頭が、薄毛なら致し方なしとも思うが、額から後頭部まで、すっきりと道が出来ている。ワカメじゃ効かないレベルだ。

知り合いが、薬とリアップで、髪の毛が復活した情報を教えてやろうとも思う。

だが、男の欲望に口出しをする訳にはいかなかった。

この見ず知らずの男が、神通力のようにワカメを信じていたなら、信心を逆撫でてしまう。さすれば、命は幾つあっても足りない。

何度も言うが、ここは新宿なのだ・・・。


 私の心配を他所に、ベテラン店員は動じなかった。

ちらりとワカメ男に視線を向けた後、「申し訳ありませんが、これ以上ワカメをご希望でしたら、トッピングの追加として30円お願い致します」と丁寧に頭を下げた。

「えーっ、30円も取るのかっ」


 このサラリーマンのせいで、天ぷらそばが出てこない。

私は沈黙を続けて観察した。常人ではない、ここまでずうずうしい男はそうはいない。


「え〰っ、おまけしてよ〰ぉ」

尚もゴネる。

 ベテラン店員は、慣れた様子で渋い顔を作り、頭を下げる。

「すいません、こういった安い店ですので・・・」

臆しながらも、さすがに苛立ってきた。この男のせいでそばが出てこないのだ。

他の客も、ワカメと騒ぐ男に白い目を向けている。

いい加減にしろと、私が咳払いをしても、この男にはワカメしか眼中にないらしい。

「こんなに頼んでるんだろうがっ、ケチるなよっ」

 この店には、ワカメ男以外4人いた。皆、お前がケチってんだろうと思っている。

ワカメ男は尚も息巻いた。

「俺は客だぞっ、どうせ雇われ人だろう。上に言ってクビにしてやろうかっ!」と熱く、

そして、焼いたトマトのような色つやを帯びてきた。

この一言に、店員はさい箸を力強くぴしゃりと置き、鋭い眼差しを向けた。

「だったら、食べなくていいですっ。帰って下さいっ」

「食わないとは言ってないねっ。食ってネットに書き込んでやるっ」

ワカメ男は、ぶつくさと文句を言って、ずるずると食べ始めた。

 ベテラン店員は、悔しさを(おもて)に出さず、「天ぷらそば、お待ちどうさま」と私の前に丼をコトリと置いた。

あーっ、やっと食べられると箸を割って、七味をかける。


 喜びも束の間、ワカメ男が私の丼を覗き込んできたのだ。

「あれっ、こっちの客の天ぷらそばには、こんなにワカメが入っているっ。俺はワカメそばだぞっ、ワカメ中心ってことだろうっ」

 私は驚愕した。今確かに、「俺はワカメそばだぞっ」と言い切った。

人間じゃないのかっ!?

しかも、ワカメ中心って、ワカメを中心に、この地球が回っているとでも言いたいのか。

コペルニクスもビックリする発言だ。

 ワカメ男は、今度は私のそばにケチを付け始めた。只ならぬ男の執着にサイコを見た。

私も店員も他の客もムカムカするも、万能ボンド的な粘着力に危険を感じ、無視を決め込んだ。

相手にされないワカメ男はずるずると、そして、くちゃくちゃと意地汚く食べた。

満を持して、箸でワカメを束ね、一思いに口に放り、噛み締めた・・・。


 「あうっ!」

突如、ワカメ男は、新体操のシライ2を彷彿とさせるが如く、仰け反った。

今度は何だと、全員が、目を見張る。

「うーっ!(ほお)を噛んだっ」と実況し、騒ぎ立てた。

 私はざまーみろと内心ほくそ笑んで、眼光鋭きベテラン店員の様子が気になり、ちらりと見ると、くるりと背を向けて肩を上下に揺らしていた。

 ワカメ男は(ほお)を抑えて、箸を置くと(うつむ)いた。

(つう)ーっ・・・」

あれほど、ワカメと喚いていた男は、打って変わって、おとなしい。

すーはーしーはーと呼吸することで、痛みが過ぎ去るのを待っているようだ。

私は、やっと静かに自分の天ぷらそばと向き合えると、つゆを含んだ天ぷらを口にした。

ワカメ男が黙ると、店内がこんなに静かだとは思わなかった。

とはいえ、隣では、さっさと帰れば良いものを、未だにすーはーしーはーと息を漏らし、時折、「ううっ」と声を漏らすため、存在感がこの上なくうっとうしい。

 ベテラン店員さんは、溜まりかねた様子で、ワカメ男に声をかけた。

「お客さん、お水を差し上げましょうか?」

自らを、ワカメそばと名乗り、ワカメ中心説の提唱者として振舞っていた男は、頬を抑えながら顔を上げた。

「いっ、いらない・・・」

風船がしぼんだように、それはか細い声だったため、店員は聞き返した。

「えっ、なんですか」

「いらない、帰る・・・」

食欲が失せたのだろう、ワカメ男はアゴをへし曲げ320円を置く。

 

 財布を持つ左の薬指には、銀色の指輪が輝いていた。

否応なく、彼を一人の人間として、あるべき背景を想像させる瞬間であった。

ワカメ男は背中を丸め、もの寂しさを滲ませて、店から出て行ったように映った。

隣の丼を覘いてみると、ふやけたワカメがつゆの底に沈んでいる・・・。


 憶測だが、恐らくワカメ男は、家庭でも職場でも疎んじられているのかもしれない。

私を含め、人は、物事がうまくいった時。また、誰にも相手にされず、見向きもされぬ時。

いずれにしても、他者に認めてもらいたいと思う。

自慢する者、SNSで『いいね』を強要する者、強情者。あるいは、他者を攻撃し、自己存在の正当性を知らしめようとする者。手段は違えど、肯定してもらいたい気持ちが裏にある。

 バカバカしく見えるワカメ男が、特殊な変態ではない。

程度の差こそあれ、満たされぬ思い、苛立ちが、たまたま立ち食いそば屋で爆発したように思えた。

悲しき人間の性を、この新宿で見た思いがした・・・。


 私は、丼の底にへばり付いたワカメを口に入れ、気をつけねばと自戒し、

天ぷらそば代350円を店員に渡した。

「お客さん、あと30円お願いします」

私は意味が分からず、壁の値段を再確認した。

「天ぷらそば350円ですよね?」

「そうですが、ワカメのトッピング代を・・・」

私は頼んだ覚えはない、瞬間的に怒りが込み上げるも、平静を装う。

「頼んでいませんよ」

ベテラン風の店員は首を捻って、疑惑の眼差しを向けている。

「あれ〰っ、さっきワカメって言っていませんでしたか?」

「ワカメはさっきの客だろうっ!俺じゃねえよっ」

突発的に、私は怒りをぶちまけてしまった。

店員は尚も押してきた。

「え〰っ、でも、トッピングしたんですけどね」


 つい5分前の記憶が巻き戻された。

私の天ぷらそばが出てきた時、ワカメ男が「こっちのワカメが多い」と騒いでいたことを思い出す。

やみくもに因縁をつけていた訳ではなく、アイツは間違っていなかったのだっ。

このそば屋のオヤジが聞き間違えて、勝手に私の天ぷらそばにトッピングしたのだ。

しかも、今、私を見る目が「ワカメを多く食ったのに、金を払わず渋る客」と責任を転嫁している。

 この野郎・・・誰が好き好んでワカメなんかトッピングするかっ!

更に、怒鳴ったり怒ったりしたら、アイツと同じになる。

たかが30円を渋るつもりで、怒っている訳じゃないっ。

不必要にゴリゴリと固く、恐らく中国産と思しき美味くもないワカメで揉めること自体、腹立たしい。

悔しいけれど、30円踏み倒して警察沙汰にされたら、笑い者もいいところだ。

 仕方なく、財布を取り出した。

ベテランを気取る店員は、惚けてレジの画面を見て、スカしている。

その白々しい惚け方が、ムカムカとし、さっき食べた天ぷらが脂っこいと怒りと入り混じる。

このまま、大人しく勘定を済ませるのかっ、泣き寝入りするしかないか。

飲み屋でクソまずいお通しに、500円支払うくらいに悔しい。

 

 財布の中を見つめていると、私の内なる悪魔が囁いた。

それ、出しちゃえよ・・・。

多少の戸惑いもあったが、スカした店員に微笑んだ。

「じゃあ、1万円でっ」

私は王手とばかりにビシっと置き、指先を前に進めた。

店員は、この世の終わりのように目をひん剥いた。


 勝ちも負けもない、小さい丼のつゆの中で、ふわふわと浮遊し、沈殿するワカメのように、

私もこの新宿で浮遊する存在なのだろう。


                                            (終)



貴重なお時間を割いて御拝読頂き、誠にありがとうございました。


ブログにて、天保の大飢饉の災害により発生した、甲州騒動にまつわる「理不尽」と「不条理」の中で生きる小説を全文掲載致しましたので、宜しければお読み下さい。

尚、満足頂けましたら、木戸銭としてキンドルにて販売でしている同作品をお買い上げ頂けましたら幸いに存じます。


「紺野総二 死に場所」で検索してみて下さい。

「小池豊教授の発見」もお読み頂けましたら幸いに存じます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ