2036年2月の物語
「世界観というものは、どんなものであれ、資源だと思うんです」
今から思えば社長だったと分かる、恰幅のよい西洋系の人物に、そんなような話をした気がして、それが、僕の最終面接の内容だった。腰かけていた社長室のソファは、面した窓辺から山手線を眼下に収めており、数々の高層ビルの、意外にも生活臭漂う屋上を見晴らせて、仄かに冷たい、都会の早春の青さが、その向こうには広がっていた。
西暦2036年、2月、秋葉原。未だにデジタルとアナログの混在する、多様な世界観の聖地に、僕は居た。
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一度何かに対して抱いた感情というものは、生物学的に遺伝して、生存本能を高めるのに貢献しているんだそうです。何が言いたいかと申しますと、僕達は神話よりも更に昔の超古代から、連綿と途絶えることなき記憶をこの身に刻んでいて、幾つもの出来事に対して、幾重もの感情を、両親から色濃く色濃く重なるように受け継いできているという話です。それらの言葉なき時代の感情が、パレット上で重なり合って色合いを濃くする油絵具のように、少しずつ、少しずつ、僕達の中に、明らかな共通項というべき体験を伴って、やがて言葉に結実したんじゃないかという、お話です。少し迂遠に過ぎるようですが、世界観というものは、そんな昔から、僕達人間の中にあって、ずっと育ち続けてきた、育て続けてきた、財産、資源だというのが、僕の考えなんでしょう。
氷河期の終わりに、大洪水の記憶が全人類に刷り込まれ、ジュラ紀の終わりに、白亜紀の終わりだったかな、ともかく、僕達人類の遥かなご先祖であるところの原始哺乳類達が恐怖してきた地上の支配者、竜達への遺伝記憶と相まって、東西で、竜、ドラゴンという、自然を象徴する存在が、物語として、世界観の中に登壇していきます。今では竜、かっこいいもの、日常で象徴として利用されるものとして、資源化された概念になっていますね。同じことだと思うんですよ。世界観というものは、古くは生存のための共有資源であり、現今に至っては、生活を潤し、文化を羽ばたかせるための、大いに有用な観光資源である、という考え方です。
それこそ太古の歴史編纂の結果として織り成されていった神話や、超古代から降り積もって、もうパレット上がぐっちゃぐっちゃに塗り重なってしまって、訳が分からなくなるほど入り乱れた、生物的本能に根差した幻想神話、卑近なところでは、平成ですね、あと、昭和もですか、僕達の両親や祖父母の代の頃の世界状況なんていうのも、世界観じゃないですか。懐古主義って、あれ、ずうっと昔から続く、直近の異世界観を資源化して再利用した、観光産業ですよね。
現実じゃなくてもいいんです。神話を例に挙げましたけれども、今挙げた、直近の時代が最も卑近な異世界観だ、っていう以前にも、たくさんありますよね、身近な異世界観。そうです、フィクションです。フィクションからフィクションをだって生み出しているこの街では、三次創作だってあるわけじゃないですか。薄い紙の本で、未だにある。でもって、そういうアナログなデータを、未だに最新のデータ環境にまで持って来れていない、日本のビジネス環境があります。今更スキャン業しようってんじゃ、個人のアルバイトにもならないじゃないですか。でも、僕達には、武器がある。
世界観を本当の世界にコンバートするという、武器がある。
僕は、御社に、この会社に入って、それらの資源を、それこそ片っ端から世界化したいんですよ。
だって、夢だったじゃないですか。異世界。
夢でしたよ、物語の中に、ゲームの中に、異なる時代に、「ここではないどこか」「いまではないいつか」へ、遊びに行くこと。移り住むこと。そこでしか出会えない人たちと、そこでしか出会えない出来事と、そこでしか出来ない体験を、自分だけが体験する。夢でしたよ。僕は。
それが、今からなら、できるかもしれない。いいや、できる。そういう時代に、やっとなってきたんじゃないですか。
だからですよ。僕がここにいる理由は。
自分の手で、異世界を作りたい。そして、そこへ行きたい。とても娯楽や趣味のレベルじゃ出来ないほどに、間近で、そしていくつもの世界を、僕は作りたいし、触りたいし、見たいし、体験したいんです。
夢に出会いたい。歩いた先に、すぐ目と鼻の先にある夢に、触りたい。
それが僕の、志望動機です。
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青い空を目と鼻の先で薄く遮る、紫煙が浮かぶ。その向こうには、スモークガラスが更に一枚、僕と外界とをさえ薄暗く隔絶して立ちはだかっている。今となっては空気税さえ追加されているんじゃないのというほど値段の高騰した、煙草の副流煙が、自分の大きなため息で拡散する。もちろん、僕は面接に落ちた。
「喋りすぎなんだよなあ……」
何に貢献できるかを語るべきで、何がしたいかを語る場ではないというのは、意識していたはずだった。一次面接や二次面接で、そのあたりのことを突っ込まれず、あたりさわりのない経験談や、同じ地元トークを採用部署の課長さんと繰り広げていたから、油断していた。
にっこり笑った社長さんは、流暢な日本語で、ご苦労さん、帰っていいよとだけ伝え、僕は秋葉原の一等地を占拠する高層ビルディング最上部から、その後わずか30秒という超高速退却を味わわされた。後日結果を追って連絡いたしますとも、お疲れ様でしたとも言われず、エレベーターの真ん前にまで直接連行され、社長直々に▼ボタンを押されたのだ。これはもう、問題外という意志表示以外の何物だというのだろうか。
灰を落とし、吸い殻をねじり落してから、喫煙ルームの最深部から這い出すべく、会釈を二三度繰り返して、コート姿のご同輩たちの間をすり抜ける。黒く高級感漂うシックな内装の、せいぜい六畳ばかりの狭苦しい箱から出ると、冷たく透明な外気が僕の肌から熱を待ち構えていたかのように攫っていく。
肩をすくめ、雑踏に紛れ込んでいく僕。音もなく電車が高架を走り抜け、間抜けに見上げる僕だけを置いて、発車した。まだ、ホームにだって、たどり着いてさえいない。
失敗こそしたが、世界観が資源だという持論に、自信がないわけではない。あらゆる物語、あらゆる「ここではないどこか」「いまではないいつか」には、それだけで観光資源としての価値がある。人は、日常から離れた非日常に浸ることを、いつだって望んでいる。それこそ人生に絶望しかなくても、人生に張り合いしかなくても、どちらの道であれ、現実逃避先として、あるいはリフレッシュするための快適なバカンス先として、異世界というものには、それだけで抗い難い魅力が発生している。
(僕に足りないのは、プレゼン能力だな)
頭の中でアイデアをこねくり回すばかりで、それを人に見せる経験についぞ時間を費やさなかった結果だ仕方ないと、内省しつつ、改札をくぐる。僕の耳にだけ響く柔らかな電子音と共に、ゲートが滑らかに開閉して、最新のVR作品が展示される駅構内へと飲み込んだ。この作品も、監督で事前にチェックを入れてある。当然の嗜みだ。VR系の作品表現が始まって早々に名を挙げた若手も、今や時代の最前線を担う、流行作家。片や、それを洟垂らしながらスゲースゲーとグループで話し合っていた子供の僕は、未だに何者でもない、就職浪人。
一目でその場の世界を異世界に置き換える力を持った、物語性の高いVRPVの中を突き抜け、上がるエスカレーターの先、総武線。これから新宿を突き抜けて三鷹方面へと帰っていくために、さて、お茶の水で快速に乗り換えようか、はたまた中野ブロードウェイで気分転換の途中下車ぶらり旅でも楽しもうかと、気持ちを切り替えながら、なるべく下がらないよう、落ち込み慣れした自分を鼓舞しながら、ホームドアの前で行儀よく佇む。
結局のところ、現実逃避の非日常さえ、僕は日常にしてしまっている。
それが何より悔しくて、現実逃避慣れしてしまった自分のふがいなさよりも、自分の夢を自分で貶めてしまっていることが、本当に悔しくて。
不意に溢れ出した涙を、あくびでごまかすことぐらいしか、今の僕には出来なかった。




