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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
間章
92/97

短編7.『影人形』その24

「子供に、どんな名前を付けるつもりなの?」


 長い沈黙の後、ペアテが口にしたのは、ありきたりの日常じみた質問だった。

 その場の全員ともが意表を突かれて、一瞬、言葉の意味を考えてしまうほど、それまでの文脈から飛んだ質問に、硬直した空気がいっぺんに崩されていく。

 自らがもたらした変調を、ペアテ自身、予想だにしていなかったようで、みんなの顔を見回しながら、彼女は驚きを露わにした。


「酷いなあ、そんなに緊張して見守らないでよ。

 私だって、お姉ちゃん離れ位はしてるの。

 離れて暮らすようになってから、もう二年近いんだよ?」


 周りが何を考えていたのか察したペアテは、努めて明るい声色で語ってみせる。

 その様子に、横たわっていたはずのクオタが身を起こし、呼びかけた。


「ペアテ」

「クオタ、無理しちゃ駄目だよ」

「すまない」

「……え?」


 クオタは、その隻眼を引き歪めながらも、ペアテに対して頭を垂れてきた。

 明るい声色に合わせて浮かべていたペアテの表情が、困惑で途端に乱れる。


「ど、どうしたの、クオタ。クオタまで謝ること、ないんだよ?」

「俺は、二年前、お前が落盤に閉じ込められた時……。

 何もしてやれなかった」

「そんなの、クオタの時、私もそうだったの!

 気にしないでよ!」

「だけど、そういうことなんだろ?」


 面を上げたクオタのまなざしは、至って真剣だった。


「お前、自分でも分かってるんだよ。

 俺だってそうさ。

 他人が相手なら、こうやって許してやることが出来る。

 それなのに、どうしてドゥテだけは別なんだと思う?」

「……」


 クオタの目線が、影人形に向いた。

 つられてペアテも自らの横顔を見る。

 本当なら、決して見るはずのなかった顔だ。


愛しているからこそ(・・・・・・・・・)許せない(・・・・)

 自分で自分を許せないように、自分の一部と感じているからこそ、相手を許せないんだ。

 悔しいけど、まだ、俺はそこまでお前のことを愛せていない」


 傍で聞いているメルラが、ぱちくりと目を瞬かせた。

 普段なら、照れてキャーキャー騒ぐ話題だったが、さすがにそのような雰囲気ではない。

 ただ、黙って聞き入っている。


(クオタさん、喋るのもしんどいって言ってたのに……)


 メルラは思うのだ。

 自分の痛みをこらえて相手のために動くのもまた、確かに愛情だと。


「理屈じゃねえよな、こういうのって。

 でも、俺は不思議なんだよ。どうしてお前、ドゥテや俺ならともかく、自分自身を(・・・・・)許していないんだ(・・・・・・・・)?」

「そ……」


 そんなはず、ないよ。

 そう言おうとして、また、口が開けられなかった。


 ペアテは、自分でも自分のことが分からなくなる。

 それで、自分と同じ姿をしている、影人形を見た。


 人間ではないから、魔法だから、ペアテたちと同じような懊悩を抱かなくともよいはずの彼女の顔には、よく観察すると、力ない笑みが張り付いている。

 その口元が、クオタの言葉を肯定してきた。


「クオタの言ってること、違わないよね(・・・・・・)


 押し殺していたドゥテへの感情すら代弁してみせた分身が肯定するのだ。

 否定しきれなくなって、ペアテの唇は震えた。


 亀裂が入る。


 押し固めていた、食い縛って堰き止めていた口元が、小さくだが、開かれ始めた。


できそこないの(・・・・・・・)わたしがわるいの(・・・・・・・・)


 どれだけ口にして、また、歯を食い縛る。

 目は焦点が合わなくなった。否。

 どこをも見つめないで、虚空にだけ、焦点を合わせている。


「わたしたちは、にんげんは、わたしは。

 できそこないだから、わるいの」


 サムイ。


 寒い?


 体が震え出している。熱が、光が体に通っていない。

 その体を、メルラとドゥテが、両側から抱きしめた。


 クオタは、立ち上がらない。

 クオタはペアテの目だけに焦点を合わせている。

 その口が、はっきりと告げた。


「分かるよ」

「うそ」

「分かるさ。俺も、同じ気持ちになった。

 だからこそ、影人形に助けられた。忘れたのか?

 影人形は、そいつ自身の絶望が姿を取った存在だ。

 さっき聞いたばかりだろ」

「うそ」

「嘘じゃない。

 俺には姉さんや兄さんがいないから、お前の気持ちなんて、そのままは分からねえよ。

 でも、その感覚(・・・・)だけは知っている。

 その感覚(・・・・)が分からない相手とは、きっと、一緒にはいても、俺の方から気持ちを通わせられない。

 そう思ったから、俺は、ペアテ、お前を影人形探しに誘ったんだぜ」


 寒くて歯の根が合わない。

 どうしてこんなに寒いんだろう?

 怪我もしていないのに。

 ここは真っ暗闇で湿って冷たい、あの土の中じゃないのに。


 どうして目が、何にも焦点を結べていないんだろう。


 どうして声が、届いてこない。


「お前……もう一度、絶望しちまったんだな。

 もうそこに、お前の絶望は出てきているのに」


 影人形は、何もしない。

 言葉で指し示された彼女は、人間たちを見守るだけだ。

 数千年、彼らの血に潜み、ずっと繰り返してきた通り。

 絶望そのままの表情で、見守っている。


 穏やかな、けれども力ない微笑みという、諦念を体現した表情で、座り込んで、動かない。


「お前を最後に助けてくれるはずのお前自身が、ペアテ、お前から、切り離されちまった」

「ペアテ、私はここにいるぞ、ずっといるぞ!

 待ってる、お前を一番には出来なくとも、待ってる!」

「ペアテさん、ペアテさんは立派な人だよ~!

 ペアテさんのおかげで、みんな、前より安全に働けるようになったもん!

 ペアテさんは出来損ないなんかじゃないよ!」


 次々と唱えられる呼びかけにも、だが、彼女は反応が出来なかった。


 その輪郭が、曖昧さを帯びた黒に染まり出す。


「ペアテさんっ、駄目だ!

 影人形さんの言ってることが本当なら、今度こそ、影の病(・・・)に罹っちゃう!」


 さすがに、この期に及んで一人外で事態を静観することも出来ず、ヨウィが飛び込んできた。


「影の病は絶対に治らない!

 罹る前に止めてくれる影人形さんが出てきちゃってるんだから、そのままでいたら、絶対に止まらない!

 そんなの駄目だ、駄目だよっ!」


(ああ、)


(ウルサイナア――)


(ココハ、ヒドク、マブシイ)


 ペアテの眼球の白目に、黒い靄が掛かり始める。

 まぶしそうに、黒くなりかけの目が細められた。


 その時。


「――ペーねぇ?

 みんな?

 どうしたの?」


/*/


 もさもさに伸び放題の長い髪、あどけなくもわがままで、自ら以外を省みることのない幼さで出来た表情の顔、低い背丈に、薄くてか細い肢体。


「ハース……」


 テントの入り口をまくり上げ、不思議そうに入ってきた幼女の姿を認めて、知らず、ペアテはその名を口走っていた。


「あっ! クーさん、怪我してるー!

 何かあったでしょ!

 それで今日はみんな早く帰ってたの?」


 ペアテの震えが、止まった。


「ドゥテさんも来てるー!

 こんばんは、ねえねえ、どうしてドゥテさんまで来てるのー?」


 無邪気にも、その幼女は何も知らずに振る舞っている。

 ペアテの絶望も、それに共感出来るがゆえに何も出来ないままになってしまったクオタの葛藤も、二人の味わってきた苦しみを知らないので、呼びかけるより他に術を見つけられなかったドゥテたちの焦燥も、彼女には何の関係もない。


 何の関係もない。


(私、は……)


 目の靄が、急速に晴れていく。


「お、おかえり、ハース。

 戻ってきたら、ただいまって言わなきゃ、駄目、だよ――」


 口が、喉が、自動的にこれまでの習慣をなぞって働いた。

 とがめられ、顎にシワを寄せて唇を尖らせるハース。


「はあい、ただいまー」


 むくれこそしながらも、素直に言いつけに従って挨拶をする。


 ふいに走った激痛で、ペアテは顔をしかめて崩れ落ちた。


「!!」

「!!」


 両側から抱き支えていたドゥテとメルラが、違和感に気づく。

 ペアテの背中に、傷があるのだ。


「ねえねえ、どうして二人ともペーねぇに抱きついてるの?

 私も抱きついていい?

 あっ、狭いからヨーにぃにしようかなー。

 クーさんは怪我してるから、抱きつける人、もう他にいないし(・・・・・・・・)


 最後の言葉に、ハッとなって五人(・・)は、あるはずの存在が占めていた空間を見やった。


 影人形が、いなくなっている。


「あっ、ガザさん今日は来るかな?

 ねっ! みんなここにいるし、きっと来るよね!

 よーし、ガザさんに抱きついちゃおうー!」


 一人はしゃぐハースをよそに、彼らは、まだしばらくは、誰もいない場所を呆然と見つめるのだった――。

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