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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
間章
91/97

短編7.『影人形』その23

 見慣れた小さな手が、テントの入り口を捲り上げるのを、その場の誰もが注視していた。

 バツが悪そうに眉を曇らせながら入ってくるヨウィ。後ろに続く、二人のペアテに似ていて異なる、少女の顔。


 ペアテは喋らなかった。

 ドゥテも喋らなかった。


 互いのまなざしが、他の何より早くて雄弁だったから。


/*/


「おこら、ないんだね」


 言いよどむ唇が、小さくだけ動いて、短い言葉を吐いた後、キュッと固く縮まった。

 伏せそうになっている目を、それでも上目がちに、ペアテは姉へと向け続ける。

 両手も握りしめ、叱られるのを堪らえるつもりで身構えている子供のような格好だ。


 ドゥテは片手を挙げ、断りを入れてから、かつての定位置に腰を下ろす。

 まだ目立たない腹部をいたわる仕草で、母になる少女は座った。


「こちらの方でも、ざわつく程度にだが、騒ぎは聞き及んでいた。

 森にはまだ、あえて知らせに行く者がいなかったようだな。

 幼い者たちを動揺させない配慮で、良かったように思う」


 ドゥテは質問に答えず、目を伏せながら、己の知るところを語る。

 迷いなく、その目がペアテもどき(・・・)の上に留まる。


「ここに座りなさい。私が背中を拭おう」


 目の前の床を、指先で浅く叩き、示した。

 彼女は頷き、すんなりとドゥテに傷ついた背中を晒すようにして、示された場所へと座る。上体が曲がらないので、膝のバネだけを頼りにかがんでいき、途中からストンと尻を床に落とす。それから、足を崩した。

 ヨウィはそそくさとドゥテの手に濡らした布を渡し、テントの外へ出た。足音が遠ざからず、トスンと音がしたので、入り口に陣取ったようだ。


 服の裾を捲り上げ、上体を裸にし、傷口周りを拭う。

 丁寧で、慣れた手つき。


「……本当に、妹によく似ている。そっくりだな」

「中身はともかく、ガワはほとんどペアテだから」

「こうしていて、痛まないのか?」

「痛いよ。でも、痛がる必要までは、ないかな。

 私は、ペアテの痛みまでは身代わりで引き受けていないの。

 痛みは奪えない。とても大切だから、奪わない」


 姉が、もう一人の自分とそうやって自然に語らっている光景を、ペアテは立ったままで見つめていた。

 その眉は、くしゃり、何かを堪らえるみたいに歪んで波打っている。


「傷、治るのか? 魔法なんだろう」

「うん。ペアテと同じ早さで治るよ」

「そうか」

「――お姉ちゃんよりも先に、ペアテ、お母さんになっちゃったね」

「昔からそうだな。後ろをついてきているようで、前に行き過ぎる。

 二年前も、それで一人だけ落盤に遭った。


「本当なら、私が巻き込まれているはずだったのに」


「……気にしていたの?」

「どうして、わざわざ枠間の組み方を考えたと思うんだ」


 低い笑い声。


「あれも、私が一人で考え出した話じゃない。

 母さんにも知恵を貸して貰って、それが私の手柄になっただけだ。

 後でそのことは全員に打ち明けるつもりだった」

「お姉ちゃんに似て、アリテラお母さんも頭が良かったんだね」

「私たちに、だろう。いや、それを言うなら、母さんや私よりも、お前の方がすごかった。

 お前は一人で考え出した。私が一人では出来なかったことを、一人で成し遂げた。

 あの落盤の経験と、ずっと戦い続けていたんだな」

「そういうこと、みんな話してくれないんだものな、ドゥテ。ずるいよ」

「……すまない」

「家族だからって、お姉ちゃんと妹だからって、言わなくても伝わるなんてこと、ないんだよ。

 妹でもない私だから、言えることだけど」

「そう、だな。

 私は、私が犯した過ちに、あの時気付かされて、それで、逃げたんだ。

 母さんに頼んで、ペアテと離れて暮らせるよう、手柄を全部自分のものにした。

 でも、お前は追ってきた」


 ドゥテは、目の前の背中を拭う、その手を止めた。

 さらさらの肌に、赤く刻まれている、二つの傷跡。

 塞がらず、未だに生々しく血をじくじくと染み出させている。


「それだけじゃない。

 影人形も、お前はちゃんと見つけた」

「こういうの、見つけたって言えるのかな?

 ふふっ……」


 赤黒く、あるいは一部で青黒く内出血している、肩の裏の傷跡。

 それを確かめた後に、ドゥテは、立ち上がると、よどみなくテントの一角からあるものを取り出した。

 針と糸だ。


「こう開いていては、血が溢れてしまう。

 縫うから、痛むぞ」

「……うん」


/*/


 布や糸は貴重だ。それを繕う針も、それ以上に大切なものである。

 失くさないよう、しっかりと仕舞われている。

 場所は、ドゥテがこのテントを離れてからも、変わりがなかった。


「ペアテ、来なさい」

「う、うん」


 初めて呼ばれ、戸惑いながらも姉の傍に寄る。

 隣でかがむと、姉の匂いがした。


「子供を産む時にも、傷が出来る。

 それで、女は縫い方を知っておかないといけない。

 私も教わった。見て、覚えるのよ」

「え、えっ?」


 急に伝えられ、困惑する。


「傷って……その、裂ける、の?」

「私の時は、お前に縫ってもらえたらいいと思ってる」

「ええー……慣れた人がやるんじゃ駄目、かな?

 自信ない……」


 ぷつり、傷の端から肉に針を通す、ドゥテの指。

 手元を狂わせないために、口元だけを微笑ませて、その指の主は語り聞かせる。


「大体の傷や汚れは、始祖様の魔法のおかげで、致命傷にはならないんだ。

 大人組はすごいぞ。男衆は、回復力に任せて好きに喧嘩をするし、無族と戦った者たちだって、平気で傷を負ったまま仕事に出る。

 綺麗に縫ってくれれば、それで充分よ」


 語る端から、開いた傷口が、少しずつ、少しずつ、寄せ合わさり、縫い固められていく。

 ペアテはひどく奇妙な気持ちになった。

 この傷は、身代わりになってもらっているだけで、ペアテ自身の傷なのだ。

 それが塞がれていく様を、こうして傍から眺めているなんて……。


 後ろから覗き込む気配がした。

 振り向くと、メルラが興味津々に見つめている。

 彼女は、ぽぉーっと開けていた口を慌ててつぐみ、視線を上に逃した。


「お前も見ておきなさい」


 招き寄せたドゥテの声が、笑っていた。


「俺一人だけ仲間外れかよ」


 すねた調子で、クオタがそこに混ざってくる。


「クオタは前からいろいろ見えてるんだから、それで我慢しましょうね」


 腕が動かないので、体の前も隠せないまま、全てをさらけ出していた影人形が、おどけた風にたしなめた。

 それで、場に笑いが生じた。


「あのー……ホントのホントに外に閉め出されている俺はどうなんでしょう……」

「ヨウィはいいの~!

 そこにいて!」


 最初は張り詰めていた空気が、こうして少しずつ緩んでいく。


/*/


「……ペアテが絶望を止めると、お前はどうなるんだ?」


 その疑問は、水面に投げ込まれた石のように、場に再び波紋を招いた。

 波紋は静寂に姿を変える。


「どう、なんだろうね。ちょっと自信がないな。

 こういう状況を、始祖様も想定していた訳じゃないから、どうなるかは、確証がないの」

「予測でいい。

 お前はペアテの身代わりと言った。

 身代わりを止めた時、この傷は、ペアテに戻るんだな?」

「うん。だから、私は早く傷を手当てしてほしかったんだ。

 せっかく助かった命を無駄にするのは嫌だもの」

「じゃあ、今、お前と入れ替わっているペアテの体こそ、本来のお前の体ということにはならないか?」

「そうなるの」

「……消えるのか」


 言い終えると、ぷつり、その指に糸を絡めてドゥテは断ち切った。

 答えを待たずに、縛り止めた傷口の上からあて布をして、再び彼女は妹の体に服を着せてやる。


「消えないな」

「……うん、消えないね」


 言い交わす二人を、間近で眺めているペアテは、歯を強く噛み締め、何かを堪らえることしか出来なかった。

 何を堪らえているのかは、自分でもわからない。

 でも、何かを言い出そうとして、それを喉から出すまいと、懸命に食い縛っているのだけは分かる。


 その顔を、振り向いたドゥテが、下から覗いてくる。


「そんなに私は、お前を絶望させてしまったのか?」

「……」

「何も言えなくなるほど、お前を追い詰めてしまったのか」

「……」

「こうして、お前の身代わりになって話してくれる影人形が現れなかったら、私はいつまでもお前の思いを知らずにいたんだろうな」

「……」


 目が、合わせられない。

 目を合わされても、その目に焦点を合わせることが出来ない。

 唇が、どうしても開かなかった。


 手が、頭を撫でるように伸びてきて――

 戻っていった。


「すまない。

 けれど、やはり私は私を辞めることは出来ないよ、ペアテ。

 何も出来ないと思ったら、きっと次もすぐに諦めてしまう。

 最良を選べなくとも、その次にいい選択肢を探してしまう。

 このお腹の子供こそ(・・・・・・・・・)そうなのだから(・・・・・・・)


「あの夜、お前に失望され、お前に愛されなくなって、それで誰かを愛したくなってしまった。

 誰かに愛されたくなってしまった。


大切な者が(・・・・・)一人だけだから(・・・・・・・)失うのが怖いのだと(・・・・・・・・・)私はそう考えた(・・・・・・)

 支えが多ければ、それは、すがりつくのではなく、普通に生きているのと変わらない。そうは思わないか?


「……ずっとずっと昔のことだ。

 親というものがいると知って、血の繋がりというものがあると分かり、私は、それが失われるのを、とても恐れた。

 だって、世界とのつながりを(・・・・・・・・)なくすのは(・・・・・)誰でもつらいだろう(・・・・・・・・・)


「血の繋がりがあるというなら、私たち人間は、皆、同じ血を受け継いでいる家族なのにな――


「それでも、お前という確かな繋がりを失うのは、実のところ、物心がついてから、ずっと怖いままだった。


「私が二年前のお前よりも幼かった頃、まだ、お前が自分で自分の体も拭えなかった頃、私は、身の回りで、ぽろぽろと掌から水がこぼれ落ちるようにいなくなっていく仲間たちを見て、やっと理解したよ。


初めから失くすつもり(・・・・・・・・・・)でいれば(・・・・)恐れも薄れる(・・・・・・)

 ああ、初めから、最悪を織り込んで行動すれば、それを避けるために何をどう考えたらいいのか、見えてくるのだな、と。

 幼い私は、そうやって、この世界を理解したんだよ。


「私は、賢かったのじゃない。

 私は、初めから諦めていただけだ。

 私はすぐに何でも諦める。

 それだけの女なんだよ。


「お前のことも、そうだ。

 子供のように面倒を見てきた妹じゃなくて、本当の子供なら、子供の子供、そのまた子供と、未来が続いていく。

 そうしたら、私の命が続く限り、愛し続けることが出来るだろう。

 どこにもお前がいなくなっても、どこかにお前の面影を見つけて、自分を慰められるだろう。

 そう思って、二年前から、私は一人の男と逢瀬を重ね始めた。


「怖かったんだ。

 この、何も確かではいられない世界の上で生きていて、たった一つだけを大事に思うのは、私には、とても怖い。

 お前のためにも、私自身のためにも、誰かの面倒を見ることに、すがるように生きるのを、やめようと思った。


「影人形の言葉を借りるなら、私は、絶望することを恐れて、絶望をすら、諦めた。


「すまない、ペアテ。

 私は、お前を一番には選べないよ。

 私は一番を作りたくない。

 一番を選びたくない。

 だから――――


「私は、お前を一番には愛せない」

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