短編7.『影人形』その16
(じれったい!)
また岩だ。
「進めないぞ」
冷たく湿った空間に、無言でひしめく熱い肉。惰性を駆って数秒ほどは動き続けたが、声の意味するところを理解して、まばらに静止する。
舌打ち、ため息、くたびれた、苛立ちの。様々な感情が、泥のように閉所で混じり合い、吐き出された。
「刃先、痛めてないだろうな、坊主」
(自分こそ、土埃で喉がガラガラに痛んでる癖に)
「ヘマするものか」
内心の皮肉を収めつつ、若々しく張りのある声でガザは頭に応じた。
剥き出しの上半身の内側には、皮膚一枚の下に、とろりとした熱が溜まっている。
石ころなどぶち割ってしまえ、やれ、構わず進むんだ。そう、蓄えた力が囁きかけてくるようだった。
「道を変える。少し戻るぞ、お前ら」
だが、頭の一声で、半日かけて掘り進んだ距離はあっさりと放棄された。
これだ。
(運ぶだけなら頭を使わずに済むから、楽だったんだがな)
立場を変えて、いざ自分が掘り進む側に回ってみると、思っていたより勝手が違うことに、ガザはすぐ気付かされた。
坑道の後ろの方で、ぼけーっと合図を待っているだろう子供たち。あの中に自分も混じっていたのだと考えたら、我が身の間抜けさに体がむず痒くなる。
一人前の大人として任された採掘は、想像していたのと違って、実にままならない作業だった。
岩盤に当たれば道を曲げる。
進路の上に岩がありそうなら、やはりそこも避けて進む。
くねくね、くねくね、行ったり来たり、まどろっこしい。
また、坑道を支える枠組である支保と、その支保の間に張り渡す矢板とを、組んでは進み、曲がり戻ってはその度に剥がして組み替えてと、やり直しの手間も馬鹿にならない。
(ええい、真っ直ぐ掘り進められればな!
ペアテやドゥテがとっととうまいこと考えればいいんだ!)
頼りにならない他の大人組よりかは、若く、頭のよく働く二人を、ガザは信頼している。
しかし、知恵の両輪たる姉妹の片側が、今は腹を丸くしてさっぱり地下に降りてこない。
それでもって、妹の方も、もしかしたら直に同じ道を辿るのだ。
昔の自分なら、既に癇癪を起こしているところだと、ガザは自嘲した。
(いっそ人任せにせず、やってみるか?)
浅く露出した岩肌は、どれほどの質量をその奥に秘めているのか、見当がつかない。
山の芯かもしれないし、実はうまいことはまって手応えが硬いだけの石かもしれない。
(俺の力で割れる程度の石だと賭けてみるか?
こんな岩一つ割れないで、矮族と戦えるかよ)
喉までせり出しかかっていた蛮勇を、腹に飲み込む。
金属製のシャベルを壊せばただごとでは済まされない。それはまずい。
お利口になってしまった自分への怒りが臓腑をねぶった。
しかし、坑道の最深部は、地上と違い、あらゆる出来事が簡単に土砂で覆い隠される。
心底邪魔だと思われたら、事故に見せかけて埋められて、それで終わりだ。
軽い文句に小突く拳が、土砂の運搬係だった頃の敵で、そいつらには同じだけの拳を御見舞してやれば、それで済んだ話だったのに、生きるのが随分ややこしくなった。
それも気にいらない要素である。
(じめじめして、臭くて、おまけに無族どもは湧くわ、本当にろくなところじゃないな、ここは)
自分の気をそらすために、ガザは思考を別の方向に曲げてやった。
無族。不気味な連中だ。
以前、もこもこと妙な振動を感じた時は、周りの大人たちが声を掛け合って下がったため、それで噂に聞く連中のおでましを察せた。
生っ白い肌で、全然弱っちそうだった。
だが、その掌は、土を掘るのではなく、削って湧いてくる。
削られた土がどこへ行くのかは分からない。あれも魔法なのだろう。
ヴゥーヴァーズたちは、土や石を消すことは出来ないが、土や石の中に眠る金属を取り出して固めることは出来る。結構違う気もするが、きっと似たようなものだ。
(あいつらに出来て、何で俺に出来ない?)
ああ、駄目だ。また考えが元のところに戻ってきてしまった。
(どんな壁だろうが岩だろうが、ぶち割れれば、それで良かったんだ)
ガザは二年前を思い出していた。
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『まって、いかないで、みすてないで』
土に耳を当てなければ、そして同じ組で暮らしていなければ、とてもじゃないが聞き取れなかっただろう、ペアテの声を、ガザは聞いてしまった。
さすがに顔色が変わる。また、その様子を、こちらを注視していたクオタとドゥテが気づくのだ。
声が伝わる程度の厚み。
岩の周りを掘れば、道がつながるかもしれない。
子供の頭に単純な思考が湧いてくるのはすぐだ。
「駄目だ。例え今生きてても、酸欠ですぐに死ぬんだよ」
食い下がろうとした彼らの機先を制して、頭が告げた。
閉じ込められれば、風がない。風がなければ空気が吸えない。そうしたら、どうしたって息が詰まって死んでしまう。
簡単な道理だ。
「俺は大丈夫でした! あの子だってきっとそうだ!」
クオタはなおも引き下がらなかったが、大人たちは首を横に振り、無言で踵を返していった。
地上へと引き上げるのだろう。
大人たちは坑道の図面を見直して、どこを掘り進めるか、考えをまた詰めなければならない。
ガザは、大人たちの列の、すぐ後ろに、ドゥテも付き従っているのを発見し、叫んだ。
「妹だぞ! いいのか!?」
「私に出来ることがあるならしている」
取り付く島もない。
信じられなかった。
クオタまでもが、悔しそうにはするものの、やはり地上への道を引き返し始める。
「くそっ!!」
殴りつけた岩は、ガザの勢いをまっすぐに跳ね返し、殴る力と跳ね返す力とに挟まれた拳の骨が鈍く軋んだ。
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(普段から粋がっていた分、余計に悔しかったっけな)
力自慢といっても、何の事はない、ただの子供で、本当はとても無力だったのだ。
人間は、無力だった。
ヴゥーヴァーズたち、地霊族に反発するのも、彼らが自分と比べ物にならない力を有していることへの妬みだ。
「坊主、ぼさっとしてるんじゃねえ。いつ連中がまた湧くかもしれねえんだ、前見ろ、前!」
「おう、分かってる!」
その地霊族でさえ、地中にあっては無族のために無力となる。
貴重な鉱物資源を掘り出せるのは、かろうじて無族に勝てて、三すくみの一角を担っている、人間だけなのだ。
力、力、力!
(どれだけ求めても、ちっとも見えてきやしない!)
それこそヨウィの言うように、人間が魔法を使えるようになったとしても、魔法を無効化する無族のいる限り、地下では体を張るしかない。
もどかしさに歯噛みして、ガザはスコップの柄を堅く握った。
早く体を動かしたい心の表れだ。
(こんな気分のまま、じっとなんてしていられるか!)
犬歯も剥き出しに、若い男そのものの荒々しさを撒き散らしながら、ガザは作業再開の号令を待っていた。
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「奥の方で、また掘り直しみたいだ」
足止めを喰らい、立ち尽くすしかない行列の中ほどで、クオタはそのように後ろのペアテに説明してくれた。
「ガザあたりがまた苛立っていそうだな」
冷え冷えとした地中で、少しでも止まっていると、すぐに冷気が這い上がってくる。
体が冷えると、気持ちも落ち着かなくなる。それを嫌って、彼は軽口を選んだのだ。
「みんなはゆっくり足踏みしていてね」
ペアテは、自分も何かせねばなるまいと、年少の子供たちに声をかけた。
「ドタドタ音を立てたら駄目なの、ゆっくりで、音が出ないように。
難しいでしょう? やってみてね」
どうやったらよいか分からずに、まごついている子の前で、手本を見せてやった。
『弱いからこそ、助け合わなきゃ生きていけないのが人間だろう!』
クオタが昔ガザに言い放った言葉だ。
その言葉の通り、子供たちが凍えないよう、助けているのだ。
足踏みをしながら、穴の奥を見やる。
この底には、ガザたちがいる。
暗い坑道。その細い穴倉は、ペアテが生まれて初めて入った頃と比べれば、だんだんに深く、そして長く複雑に育っている。
掘り進んだ最先端から順繰りに、巻き戻るようにして天井と壁に木板を貼って、補強の成された光景は、昔と少しだけ色味が違う。
足元に広がる黒い土と、焦茶色に表面だけ焼き固められた木板では、匂いも違った。
今と昔の違いに、感慨が湧いてきた。
彼女は、意識の表面だけを子供たちへの応対に向け、静かに思考を過去へと沈めていく。
(どんなに呼びかけても、誰も返事をしてくれなかったな)
あの時、影人形だけがそばにいた。
だから、助けてくれたのはいつもそばにいてくれた姉だと信じたかった。
でも、違った。
姉も、自分を見捨てていた。
しかも、姉には母がいた。
妹がいなくなっても、姉にはまだ母が残されていたのだ。
(ずるいなあ。大人って、ずるいなあ)
ペアテが助かった時、ドゥテが嬉しかったのは本当だろう。
でも、助からなくても絶望するほど深くは傷つかなったはずだ。
そうと気づいた時から、影人形の正体はどうでも良くなった。
誰が自分を救ったのかに、興味がない訳ではなかったが、いつでも自分を救ってくれる相手でないと、意味がない。
それなのに、今更もう一度会いたいと願うのは、虫が良すぎるだろうか?
(あの時のガザくんみたいだな。自分さえ強くなればいいって思ってる)
それでもきっかけが欲しかった。
周りから認められるためじゃなく、自分で自分を認めるための、きっかけが。
(私は……私はいつまで子供でいられるのかな?)
身勝手な考えの中、ふと、辿り着いてしまう疑問。
(私は今も、子供なのかな?)
「……ペアテさん、ねえ、ペアテさん」
繰り返し呼びかけられて、やっと呼ばれていることに気がついた。
我に返ると、目の前で童女が不安げな顔をしている。
列の動きが止まってからこっち、手押し車はずっと壁に寄せてある。
横を通って、話を聞きに近寄った。
「どうしたの?」
「ねえ……なんだか地面から、変な音、してない?」