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誰に導かれなくてもぼくらは生きる  作者: 城乃華一郎
間章
82/97

短編7.『影人形』その14

 夜。

 ペアテの膝に、頬でもたれかかるようにして眠り込んでいるハース。

 その長い髪は野放図に伸び、まるで背中を毛布のように覆っている。

 手指で頭を撫でるみたいに、髪を梳いてやる。すると、ハースは触れるぬくもりに反応してか、口元を緩ませた。

 見えはしないが、分かるのだ。

 ちゃむちゃむ、小さな口の動く音がして、緩んだ寝息が、ふすー、と鼻を通って吐き出される。それだけで、この子がどんな表情をしているか、分かる。


 同じテントで暮らす組は、家族である。

 それも、血によって縛られた家族ではなく、命で結び付けられた家族だ。朝から晩まで、離れて行動するという期間がほとんどない。目覚めて、共に食事を与えられ、共に穴倉に潜り、やがて子を成し、死ぬまで分かたれず、組として扱われる。

 だから、足音や匂いだけで区別がつくし、感情も伝わりやすい。

 死ぬ時も、落盤に巻き込まれる時は、大体が一緒になって死ぬ。

 ペアテとクオタが、それぞれ落盤に遭い、しかもそれぞれ生き延びたというのは、確率的に言えば、ありえないほど低い事例だったのだ。


 この子とは、逆のパターンになる。


 ハースは、他の三人を同時に落盤で喪った。

 目の前で崩落が起こり、ぎりぎり助かった。

 それが、二度あった。


 薄気味悪がられたし、人数の釣り合いが崩れてしまうので、引き取る者のいなかったところ、丁度ドゥテが大人組に特例で引っ張り上げられたペアテたちの組に、充てがわれた。


(気の毒な子)


 姉がいなくなり、入れ替わりのように妹となる存在が現れたペアテは、ハースをそう評していた。


 同じ組の家族が死んでも、全く落ち込まなかった(・・・・・・・・・・)から(・・)、気味悪がられた。

 呪われた子だと蔑まれた。


 生き延びて、それまでと変わらないでいただけなのに。


 彼女の内心を誰が問いただしただろうか?

 誰も。

 何も、だ。


「…………」


 掌の下で幸せそうに眠る少女を見ながら、死んだ仲間を思い出す。


『……こんなことの繰り返しで、一生俺たち、ここで暮らすのかな』


 環境は変わった。

 一年のうち、そう多くはない日数だが、木を切り出し、加工する時間が設けられた。

 だが、少年はその前に自死を選んだ。

 あの時、彼の運命を予言したガザは、今夜もテントに戻ってはいない。

 ハースだって、昼はペアテやクオタらとは別々になって行動している。

 変えれば世界は変わる。

 変えられるだけの力があれば、世界は変わる。

 そして、変えられないと信じた者から、彼のように死んでいく。


「まだ、眠らないのか」


 床に就いていたはずのクオタが、声を潜めて話しかけてきた。


「ちょっと、考え事」

「すごいな、ペアテは」


 また新しい案を練っていると思われたのだろう。

 ぼうっとしていると、そのように勘違いをされやすくなったのは、今に始まったことではない。

 姉と母とが笑いあっている光景を見てしまったあの晩から、ペアテは変わった。

 漫然と土を運んでいるだけでは、頭の中に湧いてくる感情に押しつぶされる。だから手元で工夫を考え、気を紛らわせる癖がついてしまっただけなのに。

 考えるうちに、皆もやったらよいのではないかと思える案が出来て、放っておくのもなんだからと、クオタに相談をした。そうしたら、影人形探しをしていた仲間経由で話が広まり、いつの間にか、大人組の下にまで届いた。

 知恵者だと褒められ、それが繰り返されるうち、どんどん優れた知恵を期待されるようになって、とうとう坑道全体にまで及ぶ案が生まれた。

 発案者として駆けずり回っていたのは、努力の成果ではない。


 ハースをきっかけとして、年少の組の子たちを面倒見始めたのもそう。

 姉のように振る舞えば、姉の気持ちが分かるかもしれないと真似してみたのが、姉と違って不器用だからやめどころを見失い、手が広がってしまった。

 全部、成り行きに身を任せたにすぎない。


 彼女の欲しい力は、まだ、何一つ得られていなかった。


「誤解だよ。今は、死んじゃった子のこと、思い出していただけ」

「そうか」


 誰をとは尋ねられなかった。

 一年前、ヴゥーヴァーズに嘲笑われながらも成功した新しい工夫は、功を奏しており、落盤の起こる回数は目に見えて減った。

 それでも人は死ぬ。


「クオタ。私は、前に進めてるのかな?」

「死んでいない。他の人を生かしている。この二つだけでも、すごいと思ってるぜ、俺は」

「そう……ありがとう」


 かつて布を巻いていた親指を、今は自分の手で包んでやる。

 影人形に与えられた布は、とうとう擦り切れてなくなった。

 爪が禿げ、指の先の肉が削げるまで、土を掻いた。

 生きたい。死にたくない。

 見捨てられたくない。

 その一心で、力尽きるまで土を掻き続けた。

 だが、人の手では動かし難いほどの大きな岩が塞いでおり、誰にもどうすることも出来なかった。

 あの暗闇を思えば、今は確かに幸せなのだろう。


(本当に?)


 絶え間ない自問が、二年間、ずっとペアテを苛んでいる。


(私は見捨てられた。でも、助けられた。

 どっちを信じたらいい?)


 助かった時、姉は自分を抱きしめてくれた。

 迎えに行った時、姉は母とだけ、笑いあっていた。


 二つを並べると、頭の中がぐちゃぐちゃになり、まとまらない。

 救いを求めるように、ハースの頭を撫で続ける。


「ごめんね、おやすみなさい」


 ハースの頬をそっと持ち上げ、その頭を緩く抱きかかえ、ペアテは床に就いた。

 感じるぬくもりだけが、いつも心に正しかった。


/*/


「ねえ、ヨウィくん。もしも人間が魔法を使えるようになったら、それってどんな魔法になるのかな」


 翌朝、食事を共にしながら、何気なくペアテは尋ねてみた。

 ヨウィは、テントで共に暮らすもう一組の子たちとは、それほど仲が良くない。それでもっぱらペアテらと一緒に食事を取るのだが、原因は実に単純で、まったくヨウィらしい理由だった。

 彼が魔法魔法と事あるごとに口にするから、うるさがられるのだ。

 もっとも、のべつ幕なしに話をするほど、ヨウィも馬鹿ではない。ただ、何か思いつきが得られた時は、もう止まらない。このところは、自分でも悪癖だと自覚したのか、はたまた幼馴染の女の子にキツく諌められたか、食事の席で持ち出さなくはなっていたが、そんな訳で、身近で魔法の話題を彼に振る者がいなくなって久しい中での、この質問である。

 少年は飛びつかんばかりの勢いで乗ってきた。


「影人形探しのこと、まだ忘れてなかったんだね、ペアテさんっ!」

「う、うん」


 眠る前、影人形のことを思い出したから、魔法の話を聞いてみたくなっただけなのだが、頭のよく回る彼のことだ。ペアテが魔法を持ち出すのは影人形に関係している時ぐらいだと、すぐに見抜いてしまったらしい。

 隣では、スープ皿の端に口をつけたままのハースが、目だけペアテに向けてきた。森で彼と同道しているハースにしてみたら、なんで今さらそんな話を振っちゃうの、という疑問は、当然のものだったのだろう。この子もペアテらと一緒の組になり、ヨウィとは接する機会が増えたため、大概彼と同じテントの子たちと変わらない心境に至っている。


「ヨウィ、質問にだけ、質問にだけ答えるよ~に!」


 何から語ろうか、ああでもない、こうでもないと腕組みし始めたヨウィに対し、メルラが横から釘を刺した。


「わかってらぁ!

 えっと、ちょっと待ってね。そもそも魔法ってなんだろうってところからは、確認しなくても、いい?」

「話したがってるのは分かるけど、何度も聞かされたから、流石に覚えてるよ」


 ペアテは苦笑いした。


「まず始めに世界があり、そこを光が照らしました。

 光が世界中にもたらした精霊は万物に宿り、やがて、その力を操ることの出来る種族が生まれ始めます。

 これが今の世界に満ちる、光の眷族。そして、精霊の力を操って、世界に影響を及ぼす力こそが、魔法。

 だったよね? ヨウィくん」

「そうっ!

 これ、地霊族の連中から聞き出すの、すごく大変だったんだぜ!」


 氏族を超えて会話出来るというだけでも、ヨウィの才覚は全く大したものだった。

 人間が蔑まれているというだけでなく、霊族たちは、基本的に同じ氏族内ですら仲が悪いのだ。

 出自となった動物や昆虫だと、お互いが捕食者・非捕食者だったりする関係も珍しくないのだから、これはもう、無理からぬ因縁と言えただろう。王の支配下にある領域では、王命によって争いが禁じられているものの、そうではない地域だと、まだ互いに食ったり食われたりを繰り返しているというのだから、魔法と別の意味で、人間には理解しがたい感覚だった。


「人間には、魔法がないっていうのは、本当は嘘なんだよ。

 だって俺たちの体には、始祖様の血が今もこうして流れている」


 ヨウィは、ギュッと握り拳を作り、その中で脈動する血流を感じて見せた。

 ペアテもそれに倣って握り拳を作る。


「無限の血流。人間に与えられた、唯一にして最大の魔法。

 でも、俺たちは、始祖様から授かったこの力を、未だに扱えないでいる。

 だから人間族は魔法を使えない、なんて、ヴヴァたちに見下されるんだ!」

「私たちに生きていて欲しいっていう、始祖様の祈りみたいだよね」


 この血のおかげで、人間は、どんな時にでも孤独ではない。

 極端な言い方をすれば、誰のお腹から生まれて来ようとも、人間全員が、同じ血を分け合った家族なのだ。

 皆、それを分かっているから、組分けにも応じるし、親と子とで引き離されても、構わないでいられる。


「そうだねっ!

 どんな傷もすぐに治るし、魔法で病気を治さなくちゃいけない霊族たちと違って、俺たち人間は、ほとんど病気に罹らない。

 そうでなくちゃ、こんな無茶苦茶な生活してたら、すぐに死んじゃうって、ほんと!」

「ねー、ペーねぇ、それが人間の魔法ってことにしちゃ駄目なの?」


 口を挟んで来たのはハースだ。結論をとっとと出して、話を打ち切りにしたい意図が、その口ぶりからはあからさまに透けて見えた。

 だが、ペアテが意見を述べる前に、ヨウィがすかさず割り込んでいく。


違う(・・)

 それだけだと、始祖様の魔法であって、俺たちの魔法じゃないんだって!」

「ヨウィの話し方だと延々伝説とかの下りが入りそうだから、いっつも聞かされてる私が説明するけど~、光の一族が人間を眷族として認めたからには、人間も、自分で扱える魔法が必ずあるはずなんだって~」


 メルラが後を引き取ったので、口を尖らせつつも、ヨウィは引き下がる。


「影人形さんが使った魔法と、始祖様の血の魔法とって、どこに似たところがあるのかな」


 ペアテが見かねて本題を差し出してやると、彼は満足げに頷いた。


「そこなんだよねー。

 前から色々俺の考えを話してみたけど、どれもいまいち皆ぴんと来てないでしょ?」

「ああ、あの、全身が血になって土の間をすり抜けたとか、体を再生しながら無理やり通り抜けたとかいう珍説か。さすがにそんなもんを使われたら、俺もペアテも痛みで分かるだろ」


 それまで黙って話を聞いていたクオタが、くつくつと肩を揺らして突っ込みを入れる。


「それに、仮に人間の使う魔法が体を作り変えるものだとして、どうして元に戻せるんなら、俺の目や、ペアテの指を治してくれなかったんだ?」


 意地悪く笑うクオタの、その顔には、成長してやや相対的に小さくなったものの、縦に走る太い傷跡が、右目の上を通り過ぎ、顎にまで達して残されている。


「ペアテも、ヨウィに変な話をさせるようなこと、聞くなよな。どうしたんだよ、まったく」

「クオタさんだって魔法が使えたら使いたいでしょ? ペアテさんだってきっとそうなんだよ!」

「あなたとクオタさんたちを一緒にしないの~! もう!」


 交わされる賑やかなやり取りを眺めつつ、何ともつかない曖昧な笑みを浮かべるペアテ。

 笑みで一度は細められた目を、改めて大きく開いていくと、その目は空を見上げていく。


(魔法、か……)


 あながち、ヨウィの言葉も嘘ではない。


 もし、もしもだ。

 もし、人間が魔法を使えるようになったら、そして、そのためにペアテが何らかの貢献を果たせたら。

 そうしたら今度こそ、もう二度と、誰にも見捨てられない位、大事に扱われるようになるのだろうか。


(そのための手がかりになるなら、影人形探しを再開してもいいかもしれない)


 この二年、影人形に助けられたという子供は出ていない。

 現れる条件となる落盤を減らしたのが、当のペアテなのだから、痛し痒しである。


「影人形さんのこと、ドゥテに今度会ってみて、話を聞いてみる」

「えっ?!」

「どうしたの?

 私、月に一度の向こうの集まりには、元々顔を出していたんだから、そこまで驚かなくてもいいじゃない」

「そう、だけど、そのー……いや、なんでもないっ!

 ごちそうさまっ!」


 ヨウィは慌ててスープの残りを呷り飲み、席を立った。

 不審に思ってメルラを見やると、まるでペアテの視線から逃れるように、これもむにゃむにゃ言い訳がましくヨウィの文句を口にして、そそくさと去ってしまった。


「どうしたのかな。変な二人」

「仕方ないさ、あいつらはドゥテと会わなくなって長いもんな。

 俺も組が分かれてから、会ってないから、ちょっと顔を合わせづらいぜ」


 場を丸く収めようと、的はずれな擁護をしてきたクオタに合わせ、それ以上の追求はよしたものの、釈然としない様子でペアテは眉根を寄せる。

 ハースは、神妙な面持ちで、そんな彼女を後ろから眺め続けていた。

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